昨夜のうちに雨もやみましたが、朝の段階ではすっきりと晴れるまでではない東京の空。
最近というか、以前から一日中救急車が走り回っていたり、深夜にパトカーが高速ですっ飛ばしていたり。
昨日、放送されたNHKの「バタフライエフェクト」。
特集はジャズシンガーのBillie Holidayが歌った「奇妙な果実(Strange Fruit)」。
ただし、以下に書くのはそのことではなく、来週に放送される番組に関係したこと。
このロシアが最初に作ったカラシニコフという銃は世界中にばらまかれ、製造されて…。
という話しは知っています。
それほど、銃には詳しくないのですけれど…。
ベトナム戦争時代の話しは、実際に従軍した方から聞いたことがあります。
以前にも書いたことがあるのですが。
当時、旅行代理店には、研修という名目のもと、航空会社の協力で各国へ招待されることがありました。
良い時代でしたねぇ。
私が20代後半だったはずですが、某国へ招待されて10人ほどの他の旅行会社のスタッフと一緒に行ったことがありました。
日本からは航空会社のスタッフと、その観光局の方が同行。
その同行してくれた観光局の方は、私より10歳近く上だったはず。
毎晩のように一緒に飲んでいた中で出た話し。
自分は戦争に行っている…。
そんなアホな…。
ところが、彼はアメリカ留学中にベトナム戦争に従軍していたのです。
永住権を持っていたため徴兵されるということで、それなら志願ということに。
従軍年数が一番短かった海兵隊へ。
海兵隊には、彼以外の日本人は一人だけいたらしいと。
細かい話しは抜きにして、アメリカ軍の銃は今でもM16なのかな?
当時、米軍はM16でベトコンや北ベトナム軍はAK47。
こちら、M16
M16 Wikipedia
こちら、AK47
AK-47 Wikipedia
米軍のM16は精密なので、少しでも砂ぼこりや土などが入ってしまうと撃てなくなってしまう。
そのため、日頃の手入れが大変だったと話していました。
対するAK47は機構が単純なのか、そんなことはなかったらしい。
実戦ではやらなかったらしいのですが、銃の先端に銃剣をつけての白兵戦。
AK47は木製の銃床で、対するM16はプラスチックの一種。
M16の銃床は割れてしまうことがあるから、その部分を使わないように注意しろと言われていたと。
ベトナムでの海兵隊は、ヘリコプターで陸軍より前方の最前線へ。
彼は、かなり小柄なのですが、撃たれた友軍の大きな黒人兵を担いで走って逃げることができたと。
ただし、最後は撃たれてしまいハワイの病院へ。
日本人の海外旅行が少しづつ増えてきた時代に、自分はなにをやっているのかと。
いつも思うことなのですがね。
世界中の武装勢力が使っている武器。
まぁ、小銃レベルなら現地生産もできる国はあるでしょうけれど。
対空ミサイルやらロケットランチャーなどは、そんな国には絶対に作れない。
どこかの国が、それとも結託した武器商人が…。
ということなのでしょうが、なぜそこに手を付けないのかと。
アメリカがアフガニスタンから撤退する際に、ごっそりと武器を残していったとか、ウクライナに支援した武器があちこちに流されているという話しもありますし。
人間はどこまで愚かなのでしょうねぇ。
さて、今日が最後になる深夜放送の話し。
まず、1977年からオールナイトニッポンのパーソナリティーを担当した近田春夫さん。
久しぶりにお名前を聞きました。
一言では、説明できないような方です。
近田氏は国内向けのラジオは、それほど聴いておらず、FENで洋楽を聞いていたと。
FENも懐かしいです。
FAR EAST NETWORKと言って、在日米軍向けに放送されていたラジオ番組。
今は、AFN(American Forces Network)という名前に変わっていると。
当時のFENを英語の勉強になるからと聴いたのですが、とても私の当時の能力では無理!
近田氏がオールナイトニッポンのパーソナリティーとして考えたのは、他のパーソナリティーと違い、喋りではなく曲をメインにすること。
それも、選曲で面白い番組にしていこうと。
単にヒット曲をかけるのではなく、自分が好きな曲を選曲していく。
自分以外にも、音楽を聴くことを楽しむリスナーがいるはずと。
ラジオというのは、リスナー自身が好きな曲を聴くだけではなく、局側の人が選曲をしたものを聴く快感というのもあると。
そして、作曲家の筒美京平氏の曲が好きだったからという理由で、ロックミュージシャンでもあった近田春夫氏の番組の中で、一番かかったのは郷ひろみさんの曲だったという話しも。
また、その中には、後に「真夏の出来事」のヒットで知られる平山みき(平山三紀)さんの曲も気に入って「ビューティフル・ヨコハマ」をよくかけていたと。
平山ミキさんは、筒美京平氏と作詞家の橋本淳氏の秘蔵っ子だったと。
ちなみに、前回書いたバンバンの元奥様。
近田春夫さんは、次のようにも話します。
深夜放送は、ラジオの小さなスピーカーから流れてくるAMの音質が雰囲気を作り上げる。
だから本当は、radiko(ラジコ)では聴けないと。
わかるような気もします。
私は、近田春夫さんがパーソナリティーの時代は、深夜放送は聴いていませんが、様々なタイプの方がいたんだなと。
そして…。
デビュー曲の「迷い道」が大ヒットした渡辺真知子さん。
その影に彼女を支えた人物がいたと。
当時、彼女の所属するCBSソニーの宣伝担当の石井氏という方。
売り出しのためにテレビも考えたものの、まったく知らないテレビの世界では、何もできないし、社内にもテレビにブッキングできるような社員もいなかった。
また、ラジオでヒットすれば、テレビより長持ちするという変な自覚もあった。
そこで、ラジオ局のディレクターに対して、全部できることをやってみようと。
当時、ウォークマンの前身のようなものがあり、まったく売れておらず、100個ほど在庫があった。
そのカセットの中に、宣伝部の部長の言葉と渡辺真知子の「迷い道」、そして彼女の言葉を入れて都内のラジオディレクターに送った。
しばらくして、リアクションがあったとか、リクエストが来るようになった。
問題は、渡辺真知子という人は、本来は明るい人。
彼女自身がこう言います。
ラジオから流れてくるこの曲を歌う歌手のイメージは、髪の毛が長くて暗めな女性のイメージ。
当時、大きな声で笑わないようにとか、少しおしとやかにと会社から言われていたと。
確かにそうなんですよね。
最初にテレビで見た時に、えっこんな人。
今でも歌声はほとんど変わりません。
そして、最後は “イルカ” さん。
今は、1991年から日曜日の朝の「イルカのミュージックハーモニー」を担当。
彼女のオールナイトニッポンの初回放送は、1974年の4月。
まだ、“かぐや姫” のコンサートの前座をやっていた頃。
最初はコンサートでも、声もかからず。
それが、オールナイトニッポンを担当するようになってからは、声援が来るように。
「なごり雪」がヒットして、名前が一般にも知られるようになったのは、1975年のこと。
やはり、深夜放送のおかげだと。
番組の当初、10通ほどのリクエストハガキが番組に届いた。
一応、局としてのPRはしていても、誰も名前も知らないはずなのに…。
見たことのある字だなと思ったらペンネームを使ってお父様がハガキを書いていた。
心配していたのでしょうね。
ディレクターもわかっていて、良いお父さんだねと。(笑)
深夜放送は、NHKのラジオ深夜便以外は最近全く聴きません。
それだけ歳を取ってきたのでしょう。
でも、ラジオ深夜便はニューミュージックの特集や歌手の特集を時々やりますから。
余計なおしゃべりは無く、アナウンサーの曲の紹介だけ。
だから50分ほどの番組でも、10曲以上かかることもあります。
最初の3時頃から聴き始めて、途中で寝落ちというのが良い。
最後まで聴いてしまうと、たいへんなことに。
てなことで