アメリカの印象操作だったのかどうかは別として、確かにこのような雰囲気はありましたね。
昔のアメリカのテレビドラマでは、大きなキッチン、冷蔵庫、テレビが置かれた居間など、当時の日本人からすると羨ましいような生活が。
ただし、そこには主人公の親が出てこない。
出てくるのは、「奥様は魔女」くらいではないかな。
まぁ、それも魔女ですから同居していたと言えるのかどうか。
以前に、マスコミが流している 「DINKS」 にもブログで触れましたが、少子化になるわけですよ。
その昔、大家族制度でしたから3世代同居は当たり前。
確かに一次産業が主体でしたから家族総出で家業というのがありましたし、長子相続というような問題もあったのは間違いないことですが。
だから、敢えて国の福祉がということは大きな問題ではなかったのではないかなと。
そして、戦後。
東京を中心とする大都市集中が始まる。
その昔は、地方に残る両親を残して子供たちが都会に出てきていました。
今は、都会に出てきた世代で親子の別居が続いています。
これは、もう仕方がないことなのかなとも感じますが。
“もりぞの医院” のブログのようなことも考えても良いのではと。
そして、今や共稼ぎが当たり前の時代。
これも、すべてとは言いませんが、マスコミで専業主婦がいかにも悪いイメージを作ってしまったのではないかと。
そうなれば、ゼロ歳児保育だのと福祉にも金がかかるのは当然です。
ただし、それが昔と違って共稼ぎをしないと生活できないという環境に置かれている人が多い。
さらに東京などの大都市への一極集中によって、地方では就職先がない。
これも一つの大きな原因なのかなとも。
この二つの問題は、結局政治の問題でしょうか。
何か良いアイデアはないのでしょうかねぇ。
最初に “あのねのね” のことを少し書いてしまいましたが、1973年にオールナイトニッポンのパーソナリティーに抜擢されたのが、その年にデビューしたばかりの彼ら二人。
彼らも深夜放送のファンで、暴走気味のトークは、その愛情の裏返しと番組のナレーションでは話しています。
何もわからないまま、スタジオ入り。
午前1時までは、番組ディレクターを兼ねていたカメさん(亀淵昭信)さんがしゃべり、そのまま彼は調整室へ。
“あのねのね” の二人は、カフスイッチすらわからず、午前1時になりいきなり喋り始めた。
ガラスの向こう側からスタッフが飛び出してきてカフスイッチをゴムバンドでぐるぐる巻にして、お前らは一切これに触れるなと。
その後、調整室がマイクのオンオフをやることに。
彼らは、片っぱしから思いついたこと、面白そうなことを喋りまくったと言います。
ロッキード事件があった際には、ロッキード本社まで電話をしたと。
授業中の○時○分に一斉に立ち上がり、商売!商売!と言おうと、呼びかけたことがあり、実際にやった生徒がいたそうで。
そうしたら、それオールナイトだろうと先生から。
先生もラジオを聴いていたというヲチが。
深夜放送は、自分たちも本音のトークだったと。
だからこそ、リスナーも本音をぶつけてきてくれたのではと彼らは話します。
そこで、『コンプライアンスって、正しいのかな? と、思うことがある。』という発言が。
あの頃のオールナイトニッポンのようには、もう喋れないのかなと原田さんが。
そうしたら、1回や2回はできないことはないと、ただし直ぐに降ろされる。
さらに、1回ではなく、開始15分かもと清水さん。
これ、わかる気がします。
行き過ぎたコンプライアンスが、テレビやラジオをつまらなくしている。
さらに、それはネット社会の発言まで。
今さらですが、人を傷つけたりする発言は良くないのは当たり前なのですが。
不快だとかいうことで、発言が封じられてしまう。
難しいですね。
言いたくありませんが、昔は面白かった。
一度やって終わるのも面白いと、清水さん。
本気で喋るというのは、こういうことだと伝えたいと続けます。
その気持ちはわかりますがね、番組担当者の後始末が大変です。
TBS、文化放送、ニッポン放送の深夜放送御三家が出揃うと、ブームが加熱し、吉田拓郎、松山千春、中島みゆきなどの人気フォークシンガーが、パーソナリティーをすることが増えてくる。
デビューアルバムに入っている「Velvet Easter」。