今日は、朝から雨模様の東京。
少し動くと暑いかな…。
 
こうした時の服装が一番面倒。
今日は、夕方から出かけなければならないのですがね。
何を着て行けば良いのか。
こうした時は、サラリーマン時代は楽でした。チョキ
 
 
先日、BS-フジでの再放送なのですが、以下のような番組が。

 

この番組で話していることが、ひじょうに懐かしくて、興味深くて。

とは言え、もう50年前後昔のことだし。

 

今、聴く深夜放送と言えば、昨年入院した時に聴いていた「ラジオ深夜便」を時々。

 
 
若い頃も多少は深夜放送は聴いていましたが、そこまでどっぷりと浸かっていたわけでもない。
高校までの私の人生って、何をしていたのかなと思うほど。
 
それでも、番組で流れた曲はすべて知っています。
しかし、深夜放送でのオンタイムではなく多分後追い。
 
そんな負になることを書き綴ってさえも、この番組は面白かった。
書いたところで、同年代の人しか理解されないかもしれませんが。ショボーン
いつか自分で読み返した時に、何を思うのかだけでも良いかなと。
 
これ、書くと長くなりそうですので、ちょこちょこと分けて。
まずは、スタートしてみます。
 
番組で最初に触れたのは、「オールナイトニッポン」。
放送がフジテレビですから、これは仕方ない。
 
どっぷりとは浸かっていませんでしたが、もちろん知ってはいますし、聴いたこともあります。
 
上の写真は、後にニッポン放送の社長にまでなった “かめさん” こと、亀淵昭信さん。
番組で触れた以外にも、他にたくさんのパーソナリティーの方がいらっしゃいました。
 
私が書くより、以下の方がわかりやすい。

 

ここに出てくる野沢那智さんも、土居まさるさんも故人になってしまいました。
 
土居まさるさんは、文化放送でしたが、同じ文化放送で “みのもんた” さんの先輩。
“みのさん” がラジオに出てきた時に、土居まさるさんに似ているなぁと。
大学での先輩後輩でもありましたからね。
 夕方にも、若い人向けの番組があった時代の話し。
 
 
深夜放送全盛期は、今の深夜放送と違い有名タレントのDJがおらず、ラジオ局のアナウンサーがほとんど。
60年代の後半から、若い人向けの深夜放送が各局でスタートした時代。
糸居五郎さんのように、おしゃべりをするよりも、曲を1曲でも多くかけるという方も。
 
野沢那智さんと白石冬美さんの番組。
 

 

こちらは、落合恵子さん。
“れもんちゃん” と言われて人気がありました。
それが、今は…。
ヤメテオキマショ。
 
 
「走れ歌謡曲」というような、深夜運転をしているトラックなどのドライバーさん向けの番組もありました。
提供は日野自動車でしたね。
DJの人気番付
 
関西では1967年から放送されているMBSヤングタウン。
当時、パーソナリティーをしていたのが、アナウンサーの斎藤務さん。
座って司会をするのは嫌だと、マイクを持って出演者やら見に来ているスタジオのファンの間を行ったり来たりと。
 
既成の年代のリスナーは要らないとまで、考えていたそうです。
この方、東京でもテレビで放送されていた「ヤングおー!おー!」の司会をされていたのを覚えています。
 
 
そして、ラジオが若者向けの情報発信源になっていく。
 
1973年にオールナイトニッポンのパーソナリティーをやっていた “あのねのね” が、リスナーに呼びかけたら遊べそうということで、放送終了後に山手線の始発電車に乗ろうと放送で呼びかけたと。
 
ニッポン放送の最寄り駅の有楽町から彼らは始発電車に乗ったら、新橋、浜松町と、どんどん増えてくる。
 
座っていたら、立っていた人が押されて窓ガラスが割れた。
これ以上乗っていたら危ないとばかりに、大崎駅で電車のドアが開いた瞬間に降りて駆け出して逃げた。
その後をファンが追いかける。(笑)
幸いにもけが人は出なかったということですが、今なら大変な報道になったことでしょう。
しかし、山手線の始発電車に乗るなんてことは、よほど都心に住んでいないと無理ですがね。
 
“あのねのね” って、知らない方がいるでしょうが、こんな曲で一気に有名に。
 
ここからが本当は書きたいのですが、次回にします。
 
 
ところで、J-COM テレビでは、こんな番組を今でもやっております。w

 

 

まぁ、ローカル番組ですからできるのでしょうけれど。

 

 
 
てなことで パー