久しぶりに朝からすっきりと晴れた東京。
洗濯でございます。
一昨日、床屋に行ったのですが。
目の病気で服用しているステロイドですっかり髪質が変わってしまい、うまくセットができなくなりました。
そのため、近場での外出はキャップをかぶって。
人に会うために外出する時はハードムースで固めないと…。
床屋のおばちゃんに話したら、これでどう?
ずっと子供の頃から、右から左へ流していたのを、逆に左から右へ。
なんと、この方がまとまりが良い。
面白いものです。
ただし、慣れないので、つい手で右から…。
昨日の続きです。
昔は、東京で大阪から来た車両などを見ると嬉しくなると書いていましたが。
JRになって分割されてしまったので、東京で大阪などの車両を見る機会があるのは、東海道・山陽新幹線や、唯一の定期寝台列車「サンライズ」くらいだと。
昨日も書いたのですが、JRの旅客用車両には、所属の電車区(車両センター)などが書かれているのです。
特急型電車では連結面に、一般車両では側面左下に。
ところが、今後この標記が消えるという話しが出ているようです。
以下のように組織改正が行われたからなのかな。
関西では一足先に組織改正が行われていて、標記も一部変わったという情報もあるのですが。
東日本では、以前に行われた際には車両への標記も変わりました。
しかし、今回は上記のように標記そのものが消えてしまうということもありそうです。
何せ首都圏本部の電車だけでも9600両以上ということで、書き換えるのかステッカーなのかはともかく、その手間を考えると実務上で影響が大きくないのであれば、無くなるのは仕方ないのかなと。
残念がるのは、ファンだけ。
ただし、機関車に差し込まれているというか書かれている区名札はそのままでしょう。
JR貨物所属の機関車がほとんどですが、一部にはJRの各旅客会社所属の機関車もありますから。
その区名札って、機関車の運転台の下に表記されている以下のもの。
鉄道博物館に保存されているお召列車専用のEF5861号機。
「田」と表示されていますが、昔でいうところの田端機関区。
こちらは、JR貨物の新潟機関区の所属。
最近、よほどのタイミングでないと地元では機関車を見ることが少なくなりました。
大昔の蒸気機関車時代は、新小岩機関区があって「岩」という区名札が差し込まれていました。
今は「岩」というと、日本で最後の蒸気機関車による旅客運転を行った岩見沢機関区のC57が有名ですが、新小岩にもC57が配置されていました。
その後、新小岩機関区が廃止されてからも貨物の入れ替え線が残っていたので、田端機関区や高崎機関区などの電気機関車、ディーゼル機関車では佐倉機関区所属の機関車をよく見かけました。
少し前までは、新鶴見所属の機関車は当然ですが、長岡や名古屋などの機関車も時々見かけたのです。
それが、最近は機関車そのものを見かけなくなってしまったのは、寂しい限り。
これは、まだレール輸送用の貨車と牽引する機関車が必要とされていた頃。
今は専用の車両があって機関車を必要としなくなってしまいました。
ここに出てくるEF65501号機は、ここで私も見かけています。
今のレール輸送はこんな事業用車になっています。
ですから、稀に遠隔地の機関車を見ると、ついワクワクと。(笑)
五稜郭所属の機関車なんか見た日には…。
だらだらと書いていたら長くなってしまいました。
とりあえず、電車の所属やら機関車の所属の話しは、ここまでにします。
鉄道ネタは、思い出すことも多いのですが、写真も撮っていないからなぁ。
てなことで