なんと、昨日アップしたブログを消してしまいました。
そのため、先ほどのブログが、よりわけのわからないことになっております。
以下の「アリとキリギリス」
ごく簡単に書くと、こんなこと。
幸せの尺度は人によって違う
「夏に遊んで暮らすと冬に苦しむ」ということだけを考えると、キリギリスは不幸な人生を送ることになったと考えられるかもしれません。しかしキリギリスにとっては、夏に遊んで暮らすことこそが人生にとって大切だった可能性もあるのです。冬に死んだとしても、夏を陽気に過ごせるほうが幸せなのかもしれません。
以下は、先ほどアップしたブログそのままです。
今日の東京は、雲はあるものの晴れています。
寒さはそれほど感じない?
“?” となっているのは、最近感覚がおかしいのではないかと。
昨夜、カレーを作ったのです。
レンジでチンでも良いかなと思ったのですが、作り終えたら21時というくらいに頑張って作りました。
それが、味がよくわからないのです。
別におかしな材料を入れたわけでもないし、市販のカレールーですし。
前回は上手く作れているのですが、今回は…。
味覚がおかしくなっているのかな。
さてと…。
昨日のアリとキリギリスの話し。
私が破滅型の人生をたどっているような書き方をしていますがね。
ある意味では、そうかもしれません。
ただし、そこまで無茶だとは思っていませんけれど。
普段は慎ましやかにしております。
ただし、行ける範囲で落語会へ行ったり、モーニング娘。を追いかけて、各地へ旅行をしたりということをやっていますけれど。
銀行協会のこんな記事があります。
抜き出しですが…。
総務省統計局の2019年「家計調査年報(家計収支編)」(二人以上の世帯のうち高齢無職世帯の消費支出)によると、世帯主が65歳以上の夫婦世帯における毎月の支出は、食費、住居費、光熱費など生活を維持するために必要な支出(消費支出)が23万9,947円。それに税・社会保険料など非消費支出を加えて27万929円。対して、収入は公的年金などの社会保障給付21万6,910円に、その他の収入を加えて23万7,659円ですから、毎月3万3000円ほどの赤字となります。
記事全体はこちらから。
私の場合は、一人暮らしですし、家賃やローンの負担はありません。
月によっては、まとまった支払いもあるので一概には言えませんが、銀行協会の金額には遠く及びません。
年金の手取りの中でも、少しは余裕があります。
ただし、昨年の目の病気のように、何かあるとけっこうと大変ですが、一応貯金もないわけではないのです。
もちろん、この先も電化製品が壊れたり、家の修理ということも考えないといけないわけですけれど。
どの程度まで貯金が耐えられるかな…。(笑)
それこそ、落語会もモーニング娘。を追いかける旅行を一切やめてそれに備える。
一応書いておきますが、モーニング娘。というのはきっかけの一つなので、どちらかと言うと、旅行をするのがメインの目的です。
それらを止めてまで備えるとなるとどうでしょうか。
あらためて、後述もしますが、基本はこんなこと。
いつまで元気でいられるのだろうか?
せめて、元気でいられるうちには、好きなことをしたい。
もちろん、今でもできる範囲内でやっているつもりですが、時々貯金に手が出てしまう。
以前に友人の孤独死で人生観が変わったと書いたことがありました。
そして昨日は、やはり学生時代の友人と電話で話をしたところ、肺がんのステージ4。
彼はスポーツマンでした。
肺がんが発覚する1か月前に人間ドックを受診して、何でもないと言われていた。
それが、いきなりですからね。
幸いに新しいタイプの薬が効いていて、今のところ転移もすることなく。
完治することはなくても病巣が小さくなっていると。
しかし、どこでどうなるかわからないということなのです。
先週の学生時代の連中4人での昼食会。
「新NISA」が話題になりました。
私以外はやっているそうです。
こちらは何も言いませんが。
何のために貯蓄や投資をしているのかな。
将来の不安とか、孫のためと。
まぁ、理由はそれぞれあります。
以前から考えていることは…。
私だけではないはずですが。
いつまで元気でいられるのだろうか?
そして、前述したように、元気でいられるうちには、好きなことをしたい。
好きなことといっても、贅沢には興味がないのです。
旅行にしても、同行者はいないのです。
同行者がいれば、楽しんでいてくれるかななどと、つい気にしてしまうから、気が休まらない。
そりゃ、仕事での添乗も散々してきましたからね。
贅沢は現役時代に、仕事でもプライベートでも、かなり経験もしましたし。
だから、ろくに貯金もない。(笑)
結局、「健康寿命」と「寿命」なんですね。
寿命というのも問題ですが、もっと問題なのは、元気であと何年いられるのかという「健康寿命」。
話しが変わりますが…。
母親が亡くなる直前に、施設に入りたいと言い出したことがありました。
多分、私に気を遣ってというのが大きかったはず。
母親の状態は、それほど酷い状態ではありませんでしたが、少しづつ失敗することが増えてきたのは確かでした。
しかし、私としてはそんな苦労とも思わないレベル。
なぜかというと、当時から最初の会社の後輩から介護の様子を聞いていたのが大きかったかな。
それでも、時々喧嘩もしましたがね。
その時に、施設に入るとどれくらいかかるのかなと、すぐ近所にあった施設の費用を見たのです。
東京の東端とは言え23区内。
母親の年金と当時の父親の遺族年金では、とても無理。
もちろん、母親の貯金もありましたから、当分の間は大丈夫でした。
ただし、当然のことながら、終わりが見えないわけです。
例えば、10年とか15年と分かれば対応は考えられます。
失われた30年間。
政治の失敗だと思いますけれど。
その間、ほとんど物価も賃金も上がらないまま。
そうなると、こうした介護施設に入っていた方にとっては、意外にも良かったのではないかなと。
今後、インフレ基調になってくることが予想されますが、年金はそれほど上がらないはずですからね。
年金が上がらなくても、物価の高騰やら賃金上昇を考えたら、こうした施設の月々の管理費だって上げざるを得ないわけです。
そうなると、大変だな。
90歳前後まで長生きするのが珍しくない世の中になっています。
その時に施設に入っていて、金が不足して施設を出て行かなければならない。
それはつらいよなぁ…。
まぁ、そんなことがないように皆さん貯蓄や投資をしているのでしょうが。
私は…。
どうしましょ。
だから「PLAN75」の世界もありなのかなと。
相変わらずの乱文で、わけのわからない部分もあるかと。
これ以上考えても、よりわけのわからないことになりそうなので、このままアップします!
てなことで