朝のうちは少し雲がありましたが、昼が近づくに連れて冬晴れの東京。

今のところは、風がないので助かります。

 

 

昨日は、浦和まで出かけて4人だけの新年会に参加。

メンバーは定年までいた会社のお客様。

 

4人のうち、私を含めて2人が病気を抱えています。

当然、にぎやかな新年会になるわけもなく。(笑)

私のパンパンな顔を見て、『どうしたの?』という話題からスタート。

 

顔だけでなく、体全体が “パンパンマン” だと笑いを取りつつ。

この話題は覚悟の上でございます。

それでも『会える時に会っておかないと、次はないかもしれない』という最近の心情で参加したわけです。

 

 

ところで…。

 

浦和で降りたのは何十年ぶりだったかな。

もう、昔の面影すら忘れています。

 

 

浦和にはパスポート関連やら、県警本部に仕事で行っていました。

20代の後半の頃ですがね。

 

 

今でこそ、大宮や近隣の市を統合した “さいたま市” になっていますが、その頃は浦和市。

その浦和は今でも県庁所在地なのです。

 

私、うっかりそれ知らなくて…。

昨日の席で、『昔、浦和に県庁があったじゃないですか…』と言ったら、今でもあると浦和の人に怒られた。(笑)

市の大規模統合で、てっきり大宮に移ったかと思っていたのです。爆  笑

 

 

今でこそ、浦和は京浜東北線のほかに、上野駅や東京駅を通って東海道線に直通する宇都宮線(東北線)、高崎線(上越線)の列車。

そして、同じように池袋駅や新宿駅、渋谷駅などを通って東海道線に直通する湘南新宿ラインが停車します。

 

 

しかし、浦和駅に京浜東北線以外の宇都宮線や高崎線の電車が止まるようになったのは、Wikipediaによると1968年のこと。

それも、朝夕のラッシュ時だけ。

その後、すべての列車が浦和駅に停車するようになったのは、1982年と言いますから、私が現役時代に浦和に仕事で行っていた頃には、まだ通過していたわけです。

鉄道ファンの間では、県庁所在地で普通電車が通過する駅として有名でした。

 

当時の浦和駅西口から県庁へ向かうと、静かで落ち着いた街だなという印象が残っているのですが、今は本当ににぎやかな街になっています。

 

 

ところで、今は “さいたま市” になっていますが、大宮と浦和って何かとライバル視をされているのです。

まぁ、私のように外から見た人間が言っている分には面白い。

 

 

こんな記事もあります。

 

 

そして、昨年公開された2作目もヒットしている映画の「翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて~」の中では、このようにも描かれています。

 

 

 

以前にも書きましたが、直線距離にしたら大したことないのですが、東京の東端に住んでいると埼玉って案外と縁が薄い。

最近、多少は良くなっていますが、昔は南北に走る鉄道が東京の東部にはほぼなかったからというのが大きいかな。

今でも、私の地元から浦和や大宮に行くのには乗り換えが必要ですからね。

 

 

その浦和と大宮というのを少しですが…。

 

 

“大宮宿” というのをWikipediaで検索すると、以下のようなことが出てきます。

 

中山道の前身となる街道は、戦国時代に後北条氏によって整備されたが、その時代には浦和宿の次が上尾宿となり、大宮は両者の中間点で馬継ぎをする場であった。またその街道は、一の鳥居から氷川神社の参道を通り、神社の前で折れて迂回していた。神社の鳥居前、参道沿いに既に町と呼べる集落があったようである。
大宮宿の脇本陣の主であった栗原家が伝えるところによると、天正19年(1591年)に栗原次右衛門保逢が地子免許と引き替えに宿役を勤めると願いを出した。免税は受け入れられなかったが、これを機に大宮宿が設けられたという。

 

 

どうやら、先に発展していたのは浦和だったのかな。

さらに、このWikipediaによると…。

 

明治時代に入り、街道の重要性の低下に伴い、宿場町としてのにぎわいは終わった。日本鉄道が敷設されたものの、町の衰退から浦和駅 - 上尾駅間には鉄道駅が設けられなかった。しかしその後の誘致運動により東北本線の分岐点として大宮駅が開業し、さらに大宮工場が設置されたことで、鉄道の町として発展した。

 

 

確かに、国鉄時代の大宮工場というのは、関東における一大拠点でしたから。

 

 

今は、大宮には新幹線各路線も停車するような、大きな都市に発展しています。

 

そんな埼玉県ですが、私にはちょいと不思議に感じることもあるのです。

京浜東北線を使っても僅か8分の距離にある大宮と浦和の相互のライバル視。

根っこには何があるのでしょうかねぇ。

 

 

例えば、同じ県内で仲が悪いと言われている都市があります。

 

青森県では、弘前(津軽藩)と八戸(南部藩)。

 

長野県では、松本市と長野市。

 

この二つは昔から私も知っています。

それ以外にも、静岡県の静岡市と浜松市とか…。

 

それが、西日本になると、皆目見当もつかないし、東日本でも実態はわかりません。

ただし、無理やり廃藩置県で同一県内になってしまったからというのは、なんとなく納得性もあります。

国にしても、隣国同士は仲が悪いというのは、当たり前のようになっていますし、現状の我が国を見ていても…。ヤメテオキマショウ

 

 

 

そして、話しを戻して浦和と大宮のこと。

これって、歴史的なこととは関係なさそうですね。

実際に大昔から浦和だったり、大宮だったりに住んでいる方の話し聞かないとわからないかな。

 

そして…

 

そもそも、埼玉県って東西にも大きな県なのです。

さいたま市にしても、県庁所在地の浦和にしても、ずいぶんと地理的に偏っている場所だなと感じます。

こうした地図を見ると、他の埼玉県西部の皆さんは 浦和vs大宮のライバル関係をどう見ているのか興味がわきますね。グラサン

 

 

 

 

てなことで パー