昨日から冬に逆戻り。
本当に三寒四温という言葉がぴったりします。
 
今日も、雲が多めですがお日様も少しは顔を出している。
でも、寒いという東京です。
 
 
 
自粛と書いても、新型コロナのことではなく、一昨日書いた “昭和は輝いていたの “発禁” 、“自粛” の音楽のこと。
その続きを書きたいと思っています。
前回は、戦争に伴っての “発禁” のレコードについて書きましたが、戦後も規制と自粛はありましたし、今でも放送ということでは、ありますからね。
 
 
図書や映画にもありますが、ここは音楽だけに絞ります。
 
敗戦で当然、戦時中に禁止されていたジャズやハワイアンも解禁に。
しかし、今度はGHQ(進駐軍)による検閲が始まります。
番組で取り上げたのは、レコードそのものへのクレームではなく、タイトルにクレームが付き変更させられたのが、最終的に「星の流れに」という題名になった曲。
戦後の名曲の一つですが、元のタイトルは「こんな女に誰がした」というもの。
進駐軍(米軍)に反感を抱かせるような題名だからということから。

この曲の作られた経緯などは、Wikipediaを読んでください。

若い人にもぜひ読んでおいてほしいことかな。
 

 

この曲は、最近までずいぶんいろいろな歌手がカバーをしています。

 

ちょっと脱線しますが、この歌は知っていましたが、この頃の時代背景などは中学生か、高校生の頃に映画「肉体の門」で知りました。
そして、半村良さんの小説にもこの時代の知識を得るのに助けられました。
 
 
さて、話しは戻ります。
 
 
戦後、発禁という曲はなかったはずですが、放送できないという曲や発売を自粛したというレコードはあったということです。
昭和27年には以下の写真のような自主基準ができます。
そして、レコードはできても放送されない曲が出てきます。
いわゆる自主規制ということでしょうかね。
以前からあった「トンコ節」や「芸者ワルツ」というのが、当時ではラジオでは放送されなかったようです。
その後、自主規制が緩くなったのか、テレビでも放送されていますけれどね。

「芸者ワルツ」で問題になった歌詞の部分は…

 

貴方のリードで島田も揺れる

チークダンスの悩ましさ

 
考えすぎなんですよ。(笑)
 
 
そして、「トンコ節」。

これって、上の動画では唄っていないのですが、番組で言っていたのはこの4番の歌詞。

曲全体もかなり艶っぽいのは間違いないのですがね。
この歌、私オリジナルよりも替え歌を先に覚えてしまいました。
どんな歌だったのかは、書きませんが。(笑)
 
そして、ちょっと面白いと思ったのが、以下の映像。
 
昭和34年に発売を自粛したということです。
この年は現在の上皇上皇后陛下の皇太子時代のご成婚の年なのです。
その年にこんな歌をということで、発売されても放送は自粛ということで。
ただし、「お別れ公衆電話」は、大ヒットしました。
 
番組は、ここで終わっていますが、私の時代になってもいくつもありますね。
一つは、これは今でも放送は無理だろうなというのがこれ。
他にもいろいろとあるのですが、まずはこれが思い浮かびます。

 

ちょっとおかしな方向に進みそうなので、真面目な話しを。
 
「帰ってきたヨッパライ」で一躍有名になったザ・フォーク・クルセダーズ。
「イムジン河」も全国的にその後に有名になりました。
しかし、以下のようなことから放送を自粛。
 

そして、今はNHKの「アナザーストーリーズ」でも特集をされるほどになっています。

 
 
 
自粛の判断は難しいですよね。
その時の時世にもよるでしょうし。
 
作る方も最初からそれを狙ってというようなこともありそうですがね。
そうでないとすれば、やはり何となく納得できないという考え方になっても仕方ないかなと。
人を傷つけるような曲であれば論外ですがね。
 
 
先日も書いたように、音楽ということを離れて、言葉ということになると、ある種の言葉狩りの様相を呈してきているような気がします。
これに対しては様々な意見がありますが、これもネット社会だからなのかな。
 
 
 
てなことで パー