北海道旭川市の作家(故)三浦綾子さんの「泥流地帯」という小説を御存知でしょうか。

これは1926年(大正15年)5月24日の十勝岳大噴火により発生した火山泥流にまつわる物語です。

突如発生した火山泥流が当時の上富良野の町を襲いました。

 

内閣府の防災情報のページにこうあります。

「1926(大正15)年5月24日、十勝岳が噴火を起こし、高温の岩屑なだれが発生し、残雪を溶かし25分あまりで山麓の富良野原野まで泥流が到達した。寒冷地で積雪期に起こる噴火災害の典型的な事例である。」

「1926年噴火では大泥流が山麓の集落を襲い144名の犠牲者を出す大災害となった」

 

この災害を知った三浦綾子さんが現地で当時のことを知る方から取材をして、泥流被害の惨事と当時の人々の復興に至る不屈の精神を克明に小説に描いたそうです(本編出版1977年 続編出版1979年)。

 

 

不思議体験ブログでなぜ急に昔の災害の話、と思われたかと思います。

 

今回ふとこれを思い出したので・・・

 

以下は実際に体験したお話です。

 

 

独身時代私は一人でドライブして温泉に行くのが趣味の1つでした。

旭川生まれの旭川育ちでしたが、近場の美瑛・富良野方面は行ったことがありませんでした。

大学生になってからようやく行くようになりました。

あちら方面は北に行くのと違って丘の風景がとても素敵でドライブしてて楽しいので好んでよく行っていました。

富良野にラベンダーを見に行ったり、丘の花畑を見たり。

 

ある時「吹上温泉保養センター白銀荘」に行きました。

訪れるのは2度目位だったと思いますが、帰る時、以前通った道筋を忘れて少し脇道に逸れて走っていました。

進む先には国道があるはずだから問題ないだろう、と他に車のいないのどかな道を走っている時のことでした。

 

急に視界が暗く感じ始めました。

 

はじめは貧血かなと思ってしまいましたが、

 

急に頭にイメージが伝わってきて・・・

 

火山の岩肌から漏れたような赤い光、そしてそれに続いて暗い何かがこの辺を覆いつくし、それらが体を圧迫してきて押しつぶされるような重苦しさに息をするのが苦しく感じました・・・。

 

あ、やっぱダメだ、一旦車停めよう!

 

と路肩に寄せて停めました。

停めるのに必死でまわりが見えてませんでした。

段々落ち着いてきて

先程のイメージは何なんだったんだろう?

と思いながら、車の窓からふと横を見ると、

そこに石碑が見えました。すぐ隣には神社も。

 

・・・・・・。

たまたま停まった所に石碑なんてものすごいタイミングだな・・・

これは何かあるのだろうか・・・

気になって車から降りて石碑を見に行きました。

 

あったのは文学碑でした。

冒頭の画像です。

十勝岳爆発により発生した泥流がこの辺一体を流れ家や木を押し流し、当時そこに暮らしていた人々を飲み込んだというようなことが書かれています。

 

え・・・この辺でそんなことが起こっていたの?

学校でも家でも聞いたことがなかったので、その碑文を読んで茫然としました。

こんなに綺麗な観光地なのに、開拓期にそんなことが起きていたのかと。

先程のイメージは火山泥流のことだったのかと・・・。

 

帰ってから文学碑についてネットで調べました(当時ガラケーだったので帰ってからパソコンで調べました。今だったらスマホですぐに調べられそうですね)。

 

「泥流地帯」文学碑建立趣意

『大正十五年五月二十四日に起きた十勝岳の爆発は残雪を溶かして押し寄せてきた泥流によって、一四四名の尊い人命を奪ったほか、開拓以来血と汗による苦難を乗り越えて築いた沃野を一瞬のうちに泥田と化してしまいました。
この惨事は、上富良野の歴史の中で最も悲惨で忘れることのできない大きな災害として記録されています。
しかし、現在ではそれらの惨事の状況を知る人も少なくなり、この困難な災害に敢然と立ち向って、今日の沃野に復興した先人の労苦や努力も、今では遠い過去の出来事として忘れ去られようとしています。このような先人の努力と、たくましい開拓精神は、上富良野町の誇りであり、この気風を次代を担う青少年に引継ぎ、今後の町の発展に資することは、現代に生きる私達に課せられた大きな責務であると思います。
(中略)
私連発起人はこれを機会に、先人のたゆまない開拓の努力と、復興不能といわれた災害を乗り越えた不屈のフロンティア精神を、町の永遠のシンボルとして後世に伝えるとともに、作家三浦綾子さんが綿密な調査と多量の資料を基に描いた小説「泥流地帯」により、私達に先人の偉大な精神を再び甦らせてくれた功績を讃え、「泥流地帯」の文学碑を郷土と富良野地方開拓発祥の地であり、十勝岳爆発被災の地である草分地区に建立し、先人の尊い労苦と遺業を讃えるとともに、その精神が永遠に受け継がれていくことを心より祈念するものです。』

 

この文学碑がある場所は草分地区というようで、神社の名前も草分神社でした。

草分地区は「十勝岳爆発被災の地である」と碑文にのっていました・・・。

 

上富良野というと美瑛からつづく綺麗な丘や花畑のある観光名所のイメージでした。

上記の文学碑建立趣意にあるように

当時の惨事の状況を知る人も少なくなり、復興した先人の労苦や努力も、今では遠い過去の出来事として忘れ去られようとしています。

観光でこちらを訪れる機会がおありでしたら、先人のことに思いを馳せて頂けたらと思いました。

 

今回この体験談を書こうと思い至り、自分が見た文学碑に関して再度調べていたら、

今年は三浦綾子さんの生誕100年にあたることを知りました。

また、それに合わせて「泥流地帯」が2022年に映画化される予定だったそうです。

ただ、コロナの影響で撮影作業が遅れた為、映画の公開は来年になったみたいです。

 

映画が2023年に公開されて、この地であったことが他の方にも伝わればいいな、と思いました。

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 


スピリチュアルランキング