1968年・高校生・浮いていた私
2022年末それらと出会い
今また出会い別れる。
『ここは私のいる場所じゃない』合わないと思って、異和感満載の高校生時代。
とはいえ、こんなものを発見。アルバムを整理中。高校の文化祭?の企画。
いったい何年前だ・・つまり大事にしていたんだ。ひっかかりがあった。
高校生3年生、お嬢様学校で、この人たち・・と違うと思いながら・・つまり、引け目です。経済的に恵まれていない・・このメンバーの中ではという意味です。このことはずーと引きづっていたなあ。場違いな感じ。
家では、たぶんこのことは言わなかったなあ…情けなくなるから…そんなことで悲しくなっている娘なんて情けないよね。
じゃあ、実力で勝負かというと、そんなこともできないで、学生だから、勉強でというのもあったかもしれないけど、それだってできないほうではなかったけど、決してできるわけではない。要領が良くないのか?集中力がないのか?たぶん努力もできない。
人間としての余力が違うなあ・・ということを思っていた。
経済に余力があるのみならず、たぶん持って生まれた才能?も違いそうな学友を嫉妬していた。その中で、どんな立場をとるのか?女子高だったから、よその男子校の生徒たちと付き合っている人もいる中で、遊びも、趣味もこなして、上手に勉強もする学友を嫉妬していた。
こんなことも今だから、さらっと書けること。
私は全くずいぶん真剣な奥手の文学少女だった。
「書を捨てよ。街にでよう」
時は60年代後半の政治の季節。
家にも異和感満載、学校にも違和感満載。自分の生き方を問うといえば、やはり政治的な方向。
私をとらえたのは、、むのたけじ氏。
秋田の老翁に手紙を書いた。
素敵な手紙が出てきた。
父なるモノへの憧憬ですね。自分のよって立つところを真剣に求めていた。でてきた。やっぱり大事にしていたんだね。
でもその時代の本を捨てなきゃ。
河上肇氏、いろんな著者に手紙をかいた。自分の焦慮、焦燥感を書いた。
自分は浮いていると思った。しかし、少なくとも高校生の文化祭で
【現代高校生の孤独】と銘打ったクラスの企画を通して、優等生のグループからも協力者を得て、7~8名の仲間がいたらしい。ガリ版刷りのパンフ。
それから後の、孤独の時代が記憶を勝手に塗り替えてしまっていた。
私の孤独な高校生時代。と思っていたけど実は違っていた。
こうしたものがあるのがよいのかはわからない。しかしこの時点で出会って、記憶を塗り替えて、手放していく・・ベストタイミングだったろう。
すべて手放した。と格好良く言いたいが、むのたけじ氏 先年 100何歳で世を去った。手紙を一枚だけ残した。そんなに、むのたけじ氏が好きだったかは、わからない。でもきちんと大人扱いしてくださったことに感激した18歳の私。
恥じないようにいきたいと思った。しかし、恥じるような生き方しかできなかったと思う。
ただ、むのたけじ氏のその活動の場所であるということだけで、秋田を旅した。
探す場所を聞くたびに、「またその先で、ききんしゃい?」のような言い方をされた。先の先まで答えるわけではない、そんな教え方に妙に感動した。そんな土地から、こういう思想が生まれるのかと思った。
その後著作を追求したわけではないのに・・・
これらのモノに再会して、心が揺さぶられた。
今は、なくても生きていけるよ。
さよなら・・
こんな風に捨てたもの。手放したものを語ることは、もう一度その時代を今生きている。
自分の断捨離ストーリを書くということは、単に思い出に浸ることではなく、問い直しをするということ。
最初にあった時代。
そして、封印していた時代。
捨てた日々。
今その事を再度思い出している日。
多くの方に育てられた私がいる。