今日もお会い出来て嬉しいです過去の栄光・紙筒
手放し写真集
散らかっている部屋から片づけるということではない、ことから始まった私の断捨離
屋根裏部屋の駆け上がって、「これって、取っておきたい?」
自問自答を繰り返す日々。
ほんとうに『モノに自分が現れる』といわれ、『過去の栄光グッズ』いろんなものを手放しました。写真には取っていなかったけれど、賞状のたぐい・・・等々
巻きづつに入ったもの、お宅にもありますよね。
けっこうあれは嵩張る、かさばる、仏壇を置いてあったボックスの隅の空間に、家族の分も少しづつ…突っ込んでありました。
これは親の思いが張り付いている。
高齢者のお宅に伺うと(私はケアマネだったのでそういう機会が多かった)都会の家でも
長押の上に飾られている『勲章』『感謝状』『過去のおばあちゃんの写真』
それを見ながら、ご家族の来歴をお伺いすること、お聞かせ願うことが多かった。
いかにも,飾って当然の重みのあるモノ、実際の重量ではありませんよ…
内閣総理大臣 ○○
または勲何等といういかにもいかにも・・
単に○○年・町内会長 など、軽いもの、この軽いものにすがって生きてきている、
ある種の恵まれない人生。
私にも巻き筒がありました。
海外シニアボランティア 何回もさせていただいたので、その度に感謝状?だったか、時の外務大臣名で『○○大臣』と書いてあるモノが、溜まっていきます。夫もあり、夫に聞きました。
『どうしようか?これ取っておく?飾るってことはないよね。』
夫は『醜悪です』
言下に言い放ちました。
ほんとうに潔い。そんなことを見せびらかす人生は、情けない。ということか・・・
惚れ直しました。
私の育った実家は違った。
時代もあるけれど・・・
兵庫の田舎からでてきて、立身出世は大事と思ってきた父、その事にやっぱりからめとられてきた父の人生。墓じまいをするために、何回かおとづれた父の幼いころの郷里。
日本の田園風景の中で、父はケンカして負けると「一生、泥饅頭喰っていきていろ!俺は総理大臣になる!」と叫んでいたそうだ。
その家の価値観の中で生きてきた私。
というわけで一杯捨てました。何本かの筒を、そうだね、燃えるゴミの日だよね。
これは他人軸の最たるもののお話。
しかし私には、これが後悔・後悔・後悔に繋がるがくせんとしたモノがやっぱりあった。
辛いので、あすに続くにします。