不登校歴の長かった息子に対して、もうしっかり40男なのに、また30年も前の自分のとった行動を反省して、「反省だけなら猿でもできる」と思いつつ、後悔が捨てられない私。こんなことで簡単に許されてはいけないんだ!自分を許してはいけないんだ!相手から許されない限り私は自分を許してはいけない!

なんだ、蛇が自分のしっぽを追いかけまわして・あれ?蛇にしっぽってあったっけ? じゃあトカゲでもいいけど、トカゲのしっぽは千切れると切れるし、また生えてくるんだけど・・・・

 

つまりは意味不明な反省と後悔をし続けている。それって趣味みたいなものかも・・

 

でも、やめられない、とまらない、

 

モノの断捨離に取り組むのが、大事と分かりながら、これは嗜癖化している。つまりわかっていない。

相手に謝りたい。謝りたいと考え始めると、相手の都合が消えてき得てしまうから消えてしまうから、これはだめだ。大事なことは失敗したくない。

 

失敗の数が足りない?

ふうう、鼻息荒く、過去のモノに取り組むことに。

なんか昔の手紙が出てきた。

反抗期が繰り返しあった私。順調にいかなくなると、すべて親のせいにしてきた私。その痕跡が手紙の束。もう10年も前に亡くなった母は、結構私からの手紙を取っていた。

 

私は母からの手紙はもうあらかた捨てたけど、厳しい検閲をくぐって、自分が母に送った手紙はなんだかとってあるものもあった。

 

これを発見!

たぶん、私が今謝りたいと思っている時期の息子への思いのころと同じか、少し前か、まだまだ、爆発する前のころだなあ。

母へ「花岡青洲の妻」の読後感など書きながら…あっと驚く、40年も前の私が母に対して書いている言葉

「お母さんも、いろいろと久恵に対して愛情をかけてあげられなくってすまなかった、と思っているようですが、もうそんな思いは捨ててください」

何?

捨ててください」って書いているんだよ。昔の私が、おお 賢かったなあ・・こどもの私は賢い。親の立場になるとほんとバカだよね。

40年も前に解決していたことが、今また、引っ張り出してきている。

 

捨てるのがいいのだよ。昔の私が言っている通り、母が捨ててくれない限り、子の私は、失敗した子育ての子」という構図になるから、やめてくれ!!!って思っていた。

 

解答は自分で知っていた。

さあ、でも謝りたいのか?謝りたいのか?謝らないのと、どっちが良いのか?いずれにしても自己満足、という声が囁かれている。

 

失敗を恐れる私。

さっさと失敗の経験を積んで、経験値のポイントを稼いでからしか、このモンスターには勝てそうもない。

さて、何を捨てて、「ちゃあ、捨てなきゃよかった・・・」下らんものを買って「買わなきゃよかった!」まあ「いわなきゃよかった」あるよね。

どのコースで行きますか?ただいま失敗コース驀進中。

ところがなかなかならないんだよね。

100円の土産すら捨てる時のつらさを想像して買わないストイックな私。だから、頭の中の反省だけが増えていく。

 

第一のコース・失敗コース ○○君!高らかにアナウンスしたら愉しいかもね。