今回も

ベジタリアントーク

です!

 

 

今回は、母にベジタリアン志向を打ち明けたときに受けた、とても率直でベジタリアンあるあるのクエスチョン

 

「でも、植物の命は?」

 

について考えたいと思います。

 

 

 

ベジタリアン/ヴィーガンの人が、それを友人や家族に告白すると、大変たくさんの素朴な疑問を受けます。ベジタリアンの人もヴィーガンの人も、ほとんどは幼少期は肉食で育ち、大人になってから自分で食の選択を変えている人が多いです。

 

私もそのうちの一人なので、非菜食者の友人や家族がそのように反応することはとても自然だし、無理のないことだと思います。あるあるの質問の中でも特にあるあるなのが、「植物は食べるじゃん。動物の命は大事だけど、植物の命は大事じゃないの?」というものです。

 

今こういう本を読んでいます。

「菜食への疑問に答える13章」

"Mind If I Order The Cheeseburger?"

シェリー F. コーブ著

 

タイトルの通り、菜食者に飛んでくる質問たちに、菜食者の著者が答えていく本です。その中に、今回の「でも、植物は食べるじゃん」も含まれていました。

 

著者のシェリーさんはこう説明しています。

 

「もちろん植物も命だけど、倫理的菜食者にとって重要なのは、その生き物が"情感"を持つかどうか。情感とは、その生き物が怒りや悲しみや楽しみを感じながら経験を積んでいく人生を送るために必要なもの。動物にはそれがあることが研究で証明されているけど、植物に情感があることが証明されている研究はない。」

 

 

なるほど。

私の正直な感想は、まあ筋は通ってるけど、なんとなく証拠に欠ける反論だなあ、って感じです(何様だ)。非菜食と菜食の人のディスカッション(言い合い)では、だんだん揚げ足の取り合いみたいな反論が増えてくる、そんな感じです。

 

人間は、生きているだけで何かを犠牲にして生かさせてもらっているものです。空気を吸って二酸化炭素を出しているし、他の生き物を知らず知らずのうちに殺して生きています。だから、All or Nothingの考え方は、このようなディスカッションの場には良くないんじゃないかな、と思います。

 

All or Nothingの考え方というのは、0か100か、どっちかにしろ、みたいな議論のことです。

例えば、ベジタリアンに対してたまーにですがこういう質問をする人がいます。

「動物の命を絶対守りたいんでしょ?だったらゴキブリやネズミも殺せないね、動物だし。」

 

 

..........

 

 

ベジタリアンやヴィーガンになるからと言って、どんな状況下でも全ての動物の命を死に物狂いで絶対に守る狂人に変身するわけじゃありません。

便利で何も考えなくていい食生活から抜け出すのは、労力がいることです。変化には多少のストレスも伴います。そんな中で、自分たちにできることを、少しずつでも実践していこうというのが、多くのベジタリアンの考え方なのでは、と思います。

 

 

動物も命だし、植物も命です。

人間は、何か命あるものを食べないと、生きていかれない動物です。命あるものを全部食べるな、命は大事だから、と言われてしまったら、もう死ぬしかありません。

だから、少しでも地球にとって良い選択肢を、少しでも自分たち人類の未来のためになる選択肢を、選びたいわけです。

 

そうやって考えたときに、さっきのシェリーさんの情感の説明はもっと受け入れやすくなるかもしれません。私個人的には、植物に情感がないなんて本当に断言できるのか?と思っているところもあるので、その辺はもっと自分で研究記事を探してみようかな。

 

 

 

今回は「でも、植物の命は?」

について考えてみました。

答えが出てるかはわかりませんが、色々と模索&勉強中です。

ヴィーガンの人が書いた本などもっと読んでみたいな。

では!