こんにちは〜。

 

今回は

 

映画レビュー

 

です。(初挑戦)

 

私、時間のあるときは1日に3〜4本も映画を観ることもある映画好きです。平均して1日1映画くらい観てると思います(暇)!

 

今日は、2018年にフランスで公開された "I Am Not an Easy Man"(邦題:『軽い男じゃないのよ』)についてです。

注意ネタバレあります注意

 

 

この映画は、女たらしでセクハラ発言連発の主人公ダミアンが、女性と男性の立場が入れ替わった世界に入り込んでしまうという物語です。

 

ダミアンの入り込んだ女性優位の世界では、女性はかわいい男性にちょっかいを出したり口説いたりし、仕事では男に指示を出して会社を仕切ります。男性は肌の露出や外見に気を使わなければならず、女性からのレイプを仕方ないと受け入れたり、職場でのセクハラを強いられる、いわゆる現代社会(男性優位の世界)とは逆転した場所でした。

 

この映画で描かれていた女性優位の世界は、男性優位の現実世界を批判する目線で描かれたものですが、私たちが当たり前だと思っている様々な「女性の役割」にハッとさせられます。

 

職人は男、レジ係は女。

料理人は男、ウェイトレスは女。

家でテレビを観るのは男、家を掃除をするのは女。

浮気するのは男、浮気されるのは女。

家政婦を雇うのは男、雇われるのは女。

 

などなど...

 

 

私たちの身の回りには性差別(あまり軽い気持ちで性差別という言葉を口にするつもりはありませんが、性によって行動や印象に違いが出ているという実際の現象について)が溢れすぎていて、それを「当たり前」、「しょうがない」と受け入れている人が、男女問わず大勢いることに気づかせてくれる映画です。

 

医者

研究者

科学者

職人

外科医

首相

エンジニア

社長

 

これらの言葉を聞いてあなたが即座に思い浮かべる人物は、男性のことが多いのでは?と思います。逆に、以下はどうでしょうか。

 

秘書

保育士

ハウスキーパー

ピアノの先生

子守り

ウェイトレス

などなど...

 

こういう風に見てみると、自分の頭がどれだけ無意識に性によって物事をカテゴライズしてしまっているかがわかります。

 

フランス人のシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、

その著書『第二の性』のなかで、

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」

という言葉を残しています。

 

つまり、女というジェンダーのカテゴライズは、生まれつきのものではなく、後天的に社会的構造の中でつくられていくものである、としています。

 

日本語の中には、歴史的に長らく続いた男性優位の社会が、言葉の中にたくさん溢れています。

例えば、「主人」という言葉は、男(夫)がその家の主(あるじ)であることを暗に示す言葉ですし、逆に「奥さん」は、女(妻)は家の奥にいるべき存在という意味です。

 

親しい知り合いに出くわして、「奥さまはお元気ですか」と聞いたところで、その人が女性を卑下していると言っているわけではありません。言葉の意味合いは長い時間をかけてその言葉に浸透してしまうので、言葉は同じでも人がそれを使うときに意味するフィーリングは時代によって違って来ます。

それでも私は、なんとなくこういう男女不平等的な香りのする言葉を使うことに対してあまり心地よく感じていないので、一応気をつけています。

 

 

私はまだ子供もいませんが、子育てをしたら、もっと性差のアイディアについて繊細になるかもしれません。

 

子供が女の子だったら、

ピンクの服を買ってあげよう。

お人形のおもちゃをプレゼントしよう。

口紅や髪飾りもいいね。

晴れ舞台には綺麗なドレスを着せよう。

 

男の子だったら、

青の手袋を買ってあげよう。

車やレンジャーもののおもちゃをプレゼントしよう。

ズボンを履かせて、髪は短く切ろう。

 

 

4,5歳の自分の娘が「私もヒールの靴を履きたい!」

「私もママみたいなお化粧をしてみたい!」

「私も〜ちゃんみたいに髪の毛をかわいく結びたい!」

と言うことは違和感ないと思いますが、

 

「私もズボンが履きたい!」

「私もスポーツカーのおもちゃで遊びたい!」

「私も〜くんみたいな黒いランドセルが欲しい!」

 

と言われたら...

世の中のママさんたちは一体どう答えるんでしょう。

 

 

さて話がずれましたが、映画の話に戻ります。

個人的には、エンディングが突然すぎて、「えっ!?」

って感じでした(笑)

 

そもそもこの映画には2つの世界が登場するわけですが、その2つの世界が同時に存在するパラレルワールド的なものなのか、時空の歪み的なものなのか。男性優位世界にも女性優位世界にもアレキサンドラは存在していますが、どっちのアレキサンドラが本物なんだろう?女性優位世界のアレキサンドラが最後のシーンで男性優位世界に入り込んでいますが、そうなると男性優位世界にいたアレキサンドラは消えたことになるの?

 

その辺が最後「???」となって終わったので、若干の消化不良感はありましたが、私の頭が悪かったのかもしれません(笑)これから他の方々のレビューも読んでみたいと思います。

 

 

女性優位世界に迷い込んだダミアンは、初めて自分が女性側(マイノリティー側)の立場に置かれ、元の男性優位世界で自分が女性を見下し、知らず知らずのうちに女性を差別していたことに気づきます。逆に女性優位世界に生きる女性たちは、女性が男性よりも社会的に力を持つことは当たり前だと考えています。

 

何事も、自分がその世界のマイノリティー側(ここで言うマイノリティーは数のマイノリティではなく、社会的力が弱い側という意味でのマイノリティーです)になってみて初めて見える世界があることも、この映画を見て再確認できた気がします。

 

アメリカ留学中、私は初めてアメリカという国で「日本人」という超マイノリティーとしての生活を経験しました。そういう状況下に置かれて、人の無意識な差別意識を目の当たりにして初めて、「ああ、日本にいる外国人居住者の人たちは、こういうことをされたら嫌と感じるんだろうな。」ということを考え始めます。

 

もうアメリカを出て2年ほどになり、そんな時のことは忘れがちでしたが、この映画を見てちょっと思い出しました。

 

 

総じて、私は女が男よりも社会的に力を持つようになるべきだとは思っていません。女が男のように振舞うべきだとも思っていません。ただ、女性が今までステレオタイプ化されてきた「女性としての役割」を抜け出して「社長になりたい!」「科学者になりたい!」「独身でいたい!」「化粧はしたくない!」と思った時に、それを周りの人がとやかく言ったり、やりずらい空気感を出したりする行為が普通と見なされている今の社会は、あんまり素敵じゃないなーとは思っています。

 

男女には生物学的に決定的な違いがあります。

違いをなくすんではなく、違いを認めることから始まると思います。

男性と女性が互いの違いを尊重して受け入れ合いながら共存していく社会になったらいいなー、と思います。

 

 

 

今回は初めての映画レビュー

『軽い男じゃないのよ』について考えてみました!

 

 

ではまたパー