ボクは純粋の戦中っ子だった。今でも当時の軍歌が口を突いて出てくる。軍歌は歌いやすいし、いい歌が多かった。酔ったおじさんが軍歌を唄うのは、良くないことかもしれないが、当時は英米語は一切禁止されていた。ボクは英会話が好きで、外国人を見ると話しかけたりするが、これは戦時中の反動かもしれない。

 何しろ敵国語と言うことで、ドレミファソラシドさへ禁じられたのだ。ほんとに馬鹿馬鹿しい話だが。ではどうやって音楽を習ったかと言えば、ドレミファの代わりがハニホヘトイロハだったのだ。例えば、「お馬の親子は仲良しこよし」の歌を、ホトトトイトトトイハハニハイトと習った。ずいぶん昔の話なので、多少違っているかもしれないが。

 祝祭日(旗日)には、必ず学校へ行って式典があった。式には式に合わせた歌があって、天長節(天皇誕生日)なら「今日の良き日は大君の、生まれたまいし良き日なり」と歌って、教育勅語を聞いて帰って来るのだ。教育勅語はその時が来ると、教頭先生が勅語の入った黒塗りの箱を捧げ持って廊下の角を曲がりしずしずと歩いて来る。ボクは教頭先生はどうして勅語奉読の時間が分かるのだろうと不思議で仕方がなかった。教頭先生は時間を見計らって職員室を出てくるのだとばかり思っていた。後で考えたら、教頭先生は廊下の曲がり角で、体育館の戸が開くのを待っていたのだ。子供の頭は単純に出来ているのだ、簡単なことが不思議に思えるのだった。