
入院前にたくさんの同意書にサインをした。
当初、手術の付き添いには誰も来ず、
私1人で手術すると伝えたら
病院側に少し驚かれた。
やはり、私の身体に万一のことがあった場合
判断してくれる親族がいないといけないそうで、
どうしても来られないのであれば
必ず病院からの電話には出れるようにして欲しいとのこと。
それを父に話すと
「いいよ、手術の日、オレ行くよ」と返事が。
来てもらって嬉しい反面、申し訳ない気持ちもあり。
父のことだから医療従事者(=お金をたくさん稼ぐ人たち=面白くない)と
噛みつかないかの心配も少しあった…
手術日
手術はその日朝イチ
9時から行われた。
血栓…いわゆる、エコノミークラス症候群を予防するためのソックスをはき
下着は🩲パンツ、のみ。
上半身は裸で、
その上から浴衣。
生理用品(持参)と
手術後にはく紙おむつ(これは病院用意)
を持って、
看護師と父と、
いざ別フロアの手術室へ。
この時の看護師が
めっちゃ背が小さく、
鼻から抜けた発声の仕方をするので
ちょっと嫌な予感はしたが、
手術への緊張の方が上回った。
大きな病院ゆえ、いくつもの手術室が横に並ぶ構造に
思わず足がすくんでしまった。
ここで父とはお別れと言われ、
とっとと出て行こうとする父(なんでやねん)を
軽く触って手術室に入りました。
手術室に入ると、麻酔科の先生と手術室の看護師さん2人の挨拶を受け、
手術室内に寝かされました。
それ以外にも何人か人が行き来したように記憶しています。
無機質な空間、真っ白で固そうな天井。
様々な銀色の器具。
やはり怖いと言うと、看護師さんが肩に手を置いてくれて、それだけでもだいぶほっとしました。
いよいよ眠くなる麻酔が注入され、ふわふわしているようなしてないような。
そして体が少し重くなり、物が2重に見え始めて
そこからは記憶がないです。
手術後
気付いた時は動くベッドの上で
分かりますかー?!
ナンチャラ…◯gmtはjagw.1!jtp@mw!?
と大きな声で複数の人に声をかけられました。
肩も叩かれたような…気のせいかな…
この時点で4時間経っていたらしい。
13:30。
信じられん…
ベッドを固定する際にガン!ガン!と
ベッドが何かに当たりこれがまた身体に響く…
すぐにお腹の痛みがあり、意識もまだぼんやりとしている中で
看護師にやんややんやと質問攻め・説明攻めにされ
相槌打つのが精一杯で
私の反応の薄さに苛立たれたのか、
それに応戦する形で更にワーワー言われて
苦痛でしかなかった🥲
そっとしといて…
その後、気を失うように眠り
夕方巡回に来た例のミニ看護師に
起き上がることも無理ですか?
トイレは…尿管ってのは
自分で意識しなくても尿が取られるんですか?
と弱々しく聞くと、
起きあがっちゃダメですよ(笑)
尿は勝手に取られていくので〜…
と半笑いで説明され、余計にぐったり![]()
これ以外にも質問したけど、この人には
「なんでそんなことも分からないの」風に
突っかかれてばかりでした。
足には朝に履いた着圧ソックス、そこにマッサージ機が取り付けられて、数分おきに空気圧でマッサージしてもらえるようになっている
尿には尿管、口には酸素マスク、
胸には心電図のパッド(?)
腕には点滴の針、指先にも何か取り付けられている。
熱も出てるのか、胸あたりが汗でぐっしょりで
本当に、本当に、本当に辛かった。
悪夢もたくさん見た。
それと同時に自分の人生観…
お年寄りはこんなものを体中に取り付けられて亡くなるのか、
健康こそ人生の全てじゃないか。
お金?仕事?人間関係?
そんなことはどうでもいい。
同室の方の娘さんが見舞いに来ているような声が聞こえて
尚更こたえた。
今は父がいる。
父が健康だからこそ、こうやって手術にも来てもらえた。
じゃあ何年か後は?
結婚もしていなければ子供がいない私は、
これらを全て自力でやらねばならない。
できるのだろうか。
お婆さんになった自分にはきっと、
心の支えが何もない。
それだけで衰弱して、死んでしまいそうだ。
ピンピンコロリが本望。
病院で、老人ホームで愛のない人たちに囲まれて
とっとともう召されたいと願いつつ
何年もダラダラと過ごすなんて絶対に嫌だ。
こうして病院で、知らん誰かの世話になっていても
あくまであちらは仕事。
最期は自暴自棄になって、
この世に感謝することなく
あーはいはい、もういいよ
と亡くなってゆくのだろうか。
そう思うと涙すら出ず
ただただ絶望を感じた。
散々大したことない人生を味わってきたのだから
神様、どうか死ぬ間際ぐらいは
希望を叶えてくれ。
その時に父としたLINE。
夜中🌃

