前回のあらすじ

仲直りをしたチョンホとソン。チョンホは、家出をしたソンを一晩自室に泊めた。他愛ない会話がソンの心を傷つけるが、彼はそれを顔には出さなかった。普段通りのソンの姿を見て、チョンホは逆に恐ろしさを感じた。そんな中、翌朝2人が登校するとリョウォンが捕まったと知らされた。医官である彼の父が謀反人を密かに治療したため一家そろって捕らえられたのである。チョンホは昨日、夕方までリョウォンと一緒にいたため動揺する。彼は決死の覚悟でスボクに直訴し、リョウォンだけは助けてほしいと懇願した。

 

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中宗反正

 

 イ医官とその親族の罪名が下された。チョンホの進言によりスボクが動いたおかげで、彼の妻子は全員江華島に流罪となった。しかし、イ医官本人は王命に背いた罰により斬首刑に処せられることとなった。

 書堂の生徒たちは最後にリョウォンを見送りたいと先生たちに懇願したが、許可は下りなかった。さらに、リョウォンと特に親しかったチョンホ、ソン、チョンジン、イド、サンミン、ホンソはそれぞれ見張りを付けられ、こっそりリョウォンを見送りに行くことすら出来なかった。

 チョンホは後悔で毎晩うなされた。リョウォンと最後に話したのは彼であり、さらに自分がその日リョウォンを長く引き留めたせいで、リョウォンが父と最後の時間を過ごすことが出来なかったのだと考えていたからだ。いや、もしかしたら、逃走することすら可能だったかもしれない。誰もチョンホを責めなかったが、このことは彼にとって大きな心の傷となった。彼は、些細な意地が大きな後悔に繋がるということを身をもって知った。いや、彼自身は少なくとも知ったと思っていた。

 ソンは家に帰ったもののスボクと顔を合わせないようになった。スボクは息子ときちんと話すことをしなかった。だが、数か月の沈黙の後、スボクはアン家との縁談を破談にした。そしてソンを呼び、結婚相手は自分で決めても良いが、その代わり何の手助けもしないし、一人で説得するように、とソンに告げた。

 一方で、イクスは肝の臓の具合が悪化し、寝込みがちになった。さらに食生活の偏りもあって痛風となり、左脚を引きずるようになった。酒には全く手を出さなくなった。

 病のためか、イクスのチョンホへの態度は軟化した。イクスはチョンホの行動全てに口出ししなくなった。だが、優しさを見せることは決してなかった。

 彼は時々、皆が寝静まった夜中に出掛けた。大抵はキム執事だけを連れて出て行った。他の誰もイクスの行方を知らなかったが、同時に誰も興味すら持たなかった。

 ユンナは父親の許しを得、元の裁縫教室に戻ってきた。最早ソンとユンナが恋仲であるのは女の子たちにとっても童生たちにとっても周知の事実だったが、誰も大人たちには話さなかった。ユンナもソンも友達が多く、周りに敵が少なかったからである。

 チョンホはユンナと親しくはしなかった。冷たい態度こそ取らないが、我関せずという姿勢で一貫していた。初めはそれを不愉快に思ったソンだが、すぐに親友のそんな態度に諦めた。もともと女の子と親しくならないチョンホにユンナと親しくしろと言うのは無理な相談だと分かったからである。しかし、ユンナはそうはいかなかった。自分にそっけなく、さらにシミンに辛く当たるチョンホに対し、段々と嫌悪感を持つようになっていった。

 シミンは相変わらず家族や従者とともに時々ミン家に現れた。が、チョンホとは話さず、イクスと半刻ほど楽しく話して帰って行った。チョンホのシミンへの不信感も日に日に大きくなっていった。

 

 そして時は過ぎ、1506年秋。

 チョンホたちは15歳となっていた。すでにチョンホだけでなく多くの生徒たちが科挙に向けて猛勉強する日々であったが、一方のスボクは書堂を留守にしがちであった。そんなある晩のことである。

 生徒たちは教室に居残って一緒に勉強していた。申の刻が過ぎると、従者の迎えが来た何人かは家に帰って行ったが、チョンホやソンは酉の刻になっても家に帰らず勉強していた。

 彼らは熱心に議論していたのでしばらく気が付かなかったが、ふとチョンホが顔を上げた。

「・・・何だか、外から声がしないか?」

チョンホの声に皆一斉に静かになった。

耳を澄ますと、何人かが大声で叫んだり悲鳴を上げる声が微かに聞こえた。

「何だろう?」

ソンは首を伸ばす。

チョンホは立ち上がった。他の子たちも後に続いた。

門のところまで来ると、その声は目前に聞こえて来た。

『急げ!なくなってしまうぞ!』

『家が燃えているぞ!!』

外から聞こえる叫び声に、生徒たちは顔を見合わせた。

「何だろう?火事かな?」

チョンジンは言った。

チョンホは扉をそっと開けた。だが、生徒たちが一気に覗き込んだので彼らは倒れるように外に投げ出された。

地面に叩きつけられて文句を言おうと顔を上げたソンだが、すぐに口をつぐんだ。すぐ横の通りの向こうを、大勢の人たちが走っているのに気が付いたからである。彼らは急いで立ち上がり、群衆の方へ向かった。

『イム・サホンを殺せ!!』

大衆の一人が叫んだ。

「・・・イム・サホンを殺せだって?!!」

ソンは驚いて言った。

『謀反だ!謀反だ!助かったぞ!!!!』

その言葉に生徒たちは驚いて言葉を失った。謀反だって!?

「ま、待ってくれ、謀反とはどういうことだ」

チョンホは男を捕まえて言った。

「知らないんですか?謀反が起きたんですよ!殿下が捕らえられ、兵士たちは皆殺されましたよ!!!」

「・・・ええっ!??・・・だ、誰が謀反を行ったんだ?」

「知りませんよ!とにかく、私は忙しいので!!!」

男はそう言うとチョンホの手を払いのけ、走り去って行った。

「謀反だって?」

ソンは唖然として言った。

「急いで書堂に戻り、先生を探そう!」

チョンホはそう言って書堂に向かおうとしたが、角の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。

「お前たち!ここで何をしている!」

スボクだった。怒鳴るように言ったが、顔面蒼白であった。

「先生、謀反が起きたとは本当ですか?」

イドが聞いた。

「そうだ。くそっ、先の先まで気が付かなかった。あれほど準備したというのに!」

スボクは珍しく感情的になって悪態を吐いた。

「先生・・・?」

「・・・お前たちは今すぐ家に帰りなさい。道すがら、襲われることのないようくれぐれも気を付けろ」

「誰が謀反を起こしたんですか?」

チョンホは言った。

スボクは一瞬躊躇ったが、生徒たちの真剣な表情を見てため息をつき、話し始めた。

「・・・パク・ウォンジョンやソン・フィアンだ」

「そんな!では、勲旧派に先を越されたのですか?」

「そうだ。何たることだ。しかも、彼らについた者たちの中には、科挙も受けずに遊び惚けていた者たちもたくさんいるのだそうだ」

「・・・では、次の王は・・・」

「晋城大君が既に擁立された。邸下ご承知の上での謀反のようだ」

「そんな・・・」

チョンホは言葉を失った。

旧暦150692日。長く続いた燕山君の暴政に嫌気がさした勲旧派の一部の人間たちが企てたこの謀反により燕山君は廃位され、王族たちは悉く処刑された。そして、王位継承順位2番であった弱冠18歳の晋城大君が新王に推戴された。これが世に言う『中宗反正』である。

 

その日チョンホが家に帰ると、珍しく庭にイクスが立っていた。側には従者を連れたソンビがいる。

チョンホはすぐさま近寄った。

「お久しぶりです、キム・チソン大監」

チョンホはキム・チソンに礼をした。

「おお、チョンホか。久しぶりだな」

チソンはチョンホに向かって微笑んだが、暗闇の中でも分かるほどの顔面蒼白だった。

チョンホはそのまま部屋に帰ろうとしたが、イクスに呼び止められた。

「待ちなさい。そなたに話がある」

「謀反の件ですか?」

「・・・既に聞いたのであるな」

イクスはため息をついた。

「そうでしょうとも、大監。外は大変な騒ぎですから」

チソンはイクスに言った。

「・・・では、私が何を言いたいかもわかるな?」

「増広試の準備なら、既に出来ております」

チョンホは言った。

「問題はそこだ。晋城大君、いや、殿下を擁立したのが勲旧派であれば、殿下は側近を彼らで固め、功臣として褒美を与えるだろう」

イクスはそう言って腕組みをした。

「それが、どうかされましたか?」

「晋城大君は武功こそお立てになったが、幼い頃から勉学にあまり打ち込まれていなかった。それゆえ、功臣たちの言いなりになり、進士の登用に積極的にはならないかもしれない。しかし、あの乱世の後だ、科挙を受けたがる者は以前よりずっと増えるだろう」

「私が及第できないとお思いですか?」

チョンホはイクスを睨むように見て言った。

「大監!チョンホは神童でございます。私も実力を見たことがありますが、この子が司馬試に及第できないなどありえません!」

チソンは慌ててイクスに言った。

「ああ、及第は出来るかもしれないな。だが、勲旧派に宮中を乗っ取られる前に一刻も早く人材を送り込まねばならない。ゆえに、そなたは・・・」

「司馬試に及第したら、成均館に入らず下級官吏になれと?」

「そうだ。呑気に成均館なんかに入っている暇はない。できれば生員科がよいのだが。このような時勢で誰も成均館に入りたがらないであろうから、案外正解かもしれないな」

チョンホはむっとした表情になった。

「父上、今まで私の勉学の成果をご覧になったことがありますか?」

「・・・何だと?」

「それどころか、私が何を学び、どのように過ごしているかについて、少しでも興味をお持ちになったことがありますか?」

「・・・チョンホ、やめなさい。言葉が過ぎるぞ」

チソンが制しようとしたがチョンホは構わず続けた。

「これまで、私はいつ科挙を受けることになってもいいように常に準備してきました。パク・スボク先生がそうおっしゃったからです。先生は、私ならきっとできると。それが私が士林派に貢献する方法であり、身を立てるための手段でもあります。そのような覚悟をしてきたのに、父上の気まぐれでむげにしたくはありません」

「私の気まぐれだと?」

「何をご存知でそのようにおっしゃるのですか?父上のおっしゃりようはまるで見ず知らずの人間の将来をあてずっぽうで占っているようではありませんか。先生方が何年も準備を整えている間、母上への未練を捨てきれず酒と妓生に溺れ、周りの人間をおろそかになさってきたような方に一体私の何が分かると言うのですか?父上はもう、敏腕の官員でもなければ、策士でも、そして一家の長でもないではありませんか!」

「いくら何でも口が過ぎるぞ!お父上に向かって何て口を効くんだ」

チソンは怒ってチョンホの胸倉を掴んだが、イクスが制した。

「お前、そのような口を私にきいておきながら、成均館に行かせてもらえるとでも思っているのか?」

イクスは低い声で言った。

「成均館になら、先生が行かせてくれます。父上の手助けなど必要ありませんから」

「そなたは成人していない。そなたが何と言おうと、家長である私が許さねばそなたは何もできん」

「ええ。ですから、家を出ます。父上のお望み通り、シミンと婚礼を挙げます。そうすれば私も一家の長でございます」

チョンホはきっぱりと言った。

「・・・何だと?」

「イ・シミンと結婚します。お父上が義理の娘にとお望みのあの子をです。お父上の御関心はそちらにおありなんでしょう?」

「一体どういう意味だ」

「今は士林派の団結の時なのでしょう?イ家との縁組は、お父上にとって都合の良いことではありませんか」

挑戦的な表情で片眉を吊り上げイクスを見るチョンホを、チソンが再びたしなめた。

「ほほう、ミン・ジョンホ。いい加減にせんか。お父上が士林派との縁を望むのはひとえにそなたのためなのだぞ。そなたが仕官した時、最も頼りになるのは誰だと思う?これほど賢いそなたにわからぬはずがない」

「ですが、私が進士科を受験することにご反対なさっています!」

チョンホは反駁した。

「・・・うむ。大監、この子の言っていることは反抗的ではありますが、正直な所私も賛成でございます。この子には進士科を受験させていただきたい。そもそも、チョンホ以外に進士科にふさわしい者など我らは他に抱えてはおりません!」

イクスはチソンの言葉に眉をひそめた。

「どうかお考え直し下さい。彼にはそれだけの才覚がありだけではなく、我らの命運をも握っているのです。大監のご子息が及第なさったと知れ渡れば、勲旧派への抑止力になるだけではなく、士林派の若者たちの士気も上がるでしょう」

チソンはイクスにこうべを垂れて言った。チョンホはそこではっとした。自分が反抗的な態度でイクスを説得しようとしたせいで、代わりにキム・チソンが頭を下げねばならなくなったのだ。

彼は先刻の自分の態度を反省した。

「・・・軽率にも生意気なことを申しました。お許しください」

チョンホはそう言って2人に頭を下げた。

チョンホの予想に反しイクスは怒鳴らなかった。代わりに彼はこう言った。

「よかろう。シミンと大人しく結婚するのであれば、私に言うことは無い。そなたの好きにすればよい」

チョンホは顔を上げた。イクスが嫌味で言っていると思ったからだ。だが、イクスはチョンホとは目を合わさず、ぶっきらぼうな様子だった。チョンホは狐につままれたように気分になった。

チソンは2人を見比べたが、やがてため息をついた。

「しかし・・・。なぜ今日だったのでしょう。我々の計画が漏れていたのでしょうか」

イクスが何も言わなかった。チョンホはチソンを見た。

「一体どなたがこの件に関わっていたのですか」

「それはそなたの知ることではない。いや、むしろ知らないほうがよい。邸下が即位なさった今、勲旧派の矛先は我らなのだ。知らず関せずを通さねばなるまい」

「勲旧派の謀反のことではありません。士林派の計画のことです」

「・・・我らは謀反を起こそうとしたのではないぞ、チョンホ」

チソンは目を丸くしてチョンホを見、言った。

「えっ?でも・・・」

「何か誤解しているようだな。我々は、勲旧派に関する不正を掴んでいたのだ。それも、前の殿下に対する不忠をな。それゆえ、彼らを一掃するまたとない好機だったのだが・・・。謀反に一手を貸したとなると、彼らを排除することは当分できまい」

チソンは言った。だが、チョンホはしっくりこなかった。ミョンホンやチソンらがそのような汚い手を果たして使うだろうか?だが、チョンホはその疑念を言葉にしなかった。

2人が話している間イクスは黙って聞いていたが、突然彼は咳き込みだした。

「大監!大丈夫ですか?」

チソンは驚いてイクスの顔を覗き込んだ。

「ああ・・・夜風に当たりすぎたようだ。皆もう寝たほうがいい」

イクスはそう言って従者を手招きし、彼らに支えられながら部屋に帰って行った。が、まだそれほど深夜というわけではなかった。

「・・・お父上はお具合が悪いのか?」

チソンは心配そうにチョンホにきいた。

「・・・実は、よく存じ上げませんでして・・・」

「何だと?実の父親なのに・・・。はあ。チョンホ、確かに大監は気難しいお方だが、大変ご立派な方なんだぞ。そなたのお母上が亡くなられてからというもの、そなたを男手一つで育てて来られたんだ。その恩を忘れたような態度を取るではないぞ。いくらそなたが本を覚え、良い詩を詠んだからと言って、孝を忘れているのであれば士とは言えないのだ」

チソンはそう言ってチョンホを注意した。チョンホはうなだれるように俯いた。彼には孤独がますます身に染みて感じられた。

 

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