前回のあらすじ
自分が庶子だと知ったソンは、制止する姉ホヨンを押しのけ家を飛び出す。一方、リョウォンと書堂に帰ってきたチョンホは彼と別れた後ソンを見つける。ソンから事情を聞いたチョンホは衝撃を受け、同時に何も知らず意地を張っていたことを詫びる。ソンはそんなチョンホを許し、気丈に振舞った。
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捕縛
イクスに黙ってソンを屋敷に連れ込んだチョンホは、チヒョンに頼んでソンの着替えをパク家にこっそり取りに行ってもらった。その後、ソンに部屋を貸そうとしたチョンホだが、チヒョンは他の部屋の周りにはイクスの従者ソンジョンがうろうろしているので貸せないと言った。チョンホは仕方なくソンを自分の部屋に泊めることにした。
ソンはチョンホの部屋に入ると、物珍しそうに辺りを見回した。ソンの部屋よりもずっと広くて造りもいいが、書籍や文房具以外はほとんど置いておらず、質素でどこか寒々しかった。屏風で半分隠れた掛け軸も平凡で、絵の上手いチョンホの部屋には相応しくなかった。
「なんでこんな絵を飾ってるんだ?」
ソンは不思議そうに言った。すると、チョンホは屏風を畳んで掛け軸の方に歩み寄り、それをそっと外して見せた。
ソンは驚いた。掛け軸の裏から、見事な絵が現れたのだ。
「・・・この木、桃の木だよな?」
「そうなんだ。これは、母上が描いた絵なんだ」
「えっ?・・・でも、お母上の遺品はないんじゃ・・・」
「そうだと思ってたんだ。でも、チヒョンの両親が母上にお仕えしていた時に、母上がこれをおあげなさったらしい。それを実家で見つけたチヒョンがこっそりおれにくれたんだ」
「大監はそのこと、ご存知なのか?」
「まさか!言ったら殺されるよ。この木は庭の桃の木を描いてあるんだけど、昔住んでいた家にあった木らしい。裏には桃夭(※)が書いてあるんだ」
(※とうよう。詩経の中の詩で、美しい新婦が嫁いでいく様を朗らかに歌っている。中国で結婚式によく詠まれた)
そう言ってチョンホは絵を壁から外し、裏面を見せた。女性らしい美しい字で詩が書いてある。末尾には丁寧に『申雪伊(シン・ソリ)』と署名まであった。
ソンは詩をじっと見た。チョンホも母を失っていることをすっかり忘れていたと、今更彼は気が付いた。
チョンホは絵を片付け、掛け軸を元の位置に戻した。
「おれらだけでも、お母上の行方はきっと探せるよ」
チョンホはそう言ってソンの肩を叩いた。
2人は床に入ってもなかなか寝付けなかった。
しばらく彼らは他愛もない会話をしていたが、やがてそれにも飽き、ソンは詩経を唱えだした。チョンホはすぐさまそれに合わせる。暗唱はよどみなく進み、いつの間にかソンの声が聞こえなくなった。チョンホは彼の方を見た。背中を向けているが、眠ってしまったようである。チョンホは暗唱をやめ、彼も背を向けて布団を首元まで被り、目をつぶった。
だが、ソンは眠ったのではなかった。詩経を唱えるうち、それを父と覚えた日々や書堂での生活に思いを馳せていたのである。彼は人知れず、そして声も上げず静かに涙を流した。
朝チョンホが目覚めると既にソンは床にはいなかった。荷物すらないので驚いたチョンホは急いで身支度をし、庭に出てソンを探した。チョンホはチヒョンなら何か知ってるかもしれないと思い、離れにある彼の部屋を訪れた。
だがチョンホは部屋に入るなり一気に肩の力が抜けた。チヒョンとソンが一緒に朝食を摂っていたのである。
「おはようございます道令様」
チヒョンはもぐもぐしながら言った。
チョンホはあっけにとられる。
「あ、おはよ。お前がなかなか起きなくて腹減ったからチヒョンと先に食べてたんだ」
ソンはそう言ってチョンホを手招きする。
「お前・・・」
チョンホは後の言葉が出なかった。毎朝ソンを起こしにパク家に行き、時にはそれで遅刻しそうになるのに、そんなソンが自分より早く起きてこうして座っているのが奇妙で仕方なかったのだ。しかも、自分の従者と朝食を摂るなんて。
「父上は?」
チョンホはチヒョンの方を見、ぶっきらぼうに言った。
「実は、昨晩遅くお出かけになりまして、今はお留守です」
「えっ?父上が?一体何の御用時で?」
「さあ・・・。とにかく、キム執事とソンジョンがお供しておりましたので、今は私とハ夫妻しかおりません」
「そうか・・・では、いらぬ心配をしたな」
「ええ。ああ、そうでした、道令様のご朝食はお部屋に運ばせました」
チョンホは戸惑った。
「ん・・・ええ?でも、こいつはここで食べて・・・」
チョンホはチヒョンとソンを交互に見ながら言ったが、呑気に匙を口に運ぶソンを見てため息をつき、そのまま部屋を出た。
チョンホとソンはいつものように話しながら登校した。チョンホは相変わらず呑気でいつも通りお調子者のソンを見て妙な不安を感じたが、それでも庶子のことを再び掘り返す勇気はなかった。もしかしたらユンナの前でしか本音を言わないのではとふと考えたが、また喧嘩になりそうな気がしたのでそれ以上考えるのをやめた。
いつもより早い登校となった彼らは、リョウォンやチョンジンの登校とどちらが早いか賭けをした。ソンは絶対に自分たちの方が早いと言ったが、チョンホは彼らの方が早いはずだと言った。
しかし、彼らのどちらも正解ではなかった。2人は書堂の近くまで来た時点で生徒たちが門の前に集まっているのを見つけた。
2人は顔を見合わせた。
「何だろう?」
「さあ・・・?」
チョンホは首を傾げた。彼らは早足になった。
「ああ、チョンホにソン!!!お前たち聞いたか?」
人ごみの中からイドが首を伸ばして2人に声を掛けた。
「聞いたって何が?」
ソンは言った。
「リョウォンが捕まったんだ」
「ええっ?!!」
チョンホとソンは同時に声を上げた。
すると、どこからかチョンジンが走ってきて息を切らしながら彼らの前に立った。目は赤かった。
「おお、どうだった?」
イドはチョンジンに声を掛ける。
「もうもぬけの殻だよ・・・。兵士たちがうろうろしてるし、家財は全部外に放り投げられて・・・。本も燃やされて煙が上がってたし、堆肥やら腐った野菜やらがたくさん投げ込まれてたよ・・・」
チョンジンはそう言って肩を落とした。チョンホとソンは話が分からず唖然とした。
「どういうことだ?何があったんだ?」
チョンホはイドに訊いた。
「イ医官様が謀反の罪で義禁府に捕らえられたんだ」
「謀反だって!?」
「全然知らなかったけど、イ医官は貴人チョン氏(成宗の側室で1505年に燕山君により処刑)の至密尚宮の兄を診察したらしい」
「・・・何だって・・・!」
「しかも、軟禁されている時にこっそりやってたんだってよ!誰かがそれを殿下に密告し、他に貴人チョン氏に関わった者たちと一緒に家族もろとも捕らえられたらしい」
「でも・・・・昨日まで何も・・・・」
チョンホは動揺した。
「じ、じゃあ、リョウォンはどうなるんだ・・・?」
いつの間にか現れたサンミンは顔面蒼白になって言った。
誰も答えなかった。皆答えは分かっていたのだ。イ家の嫡子で男の子であるリョウォンは、当然父親の謀反の罪に連座させられるのだ。つまり、死罪に処せられるということである。
先生は教室に入るなりリョウォンの件については一言も触れないようにと生徒たちに釘を刺した。これまでの士禍の影響で何度か同級生がいなくなっていたが、今回は質が違った。多くの生徒たちは怯えていた。些細な出来事が命を奪いかねないと身をもって知ったからだ。
顔面蒼白で呆然としているソンとは対照的に、チョンホは眉をひそめてずっと何かを考え続けていた。彼は午前の授業が終わるや否や教室を出、パク家に向かった。
パク家には案の定スボクがいた。チョンホは彼の部屋に入るや否や足元に跪いた。
「何の真似だ」
「先生、私は一回の童生に過ぎませんが、国家の安寧を願う一人の男でもあります。ソンビでもない私の言葉を聞き入れて下さるのは先生しかおりません。どうか、1度だけ私の願いを叶えて頂けないでしょうか」
「・・・一体何の話だ」
「イ医官の謀反の罪は明らかなものだと聞きました。もう覆すことは出来ないでしょう?ですが、リョウォンは違います」
「・・・リョウォンは男児であるし、何より嫡子だ。彼も罪を逃れることは出来まい」
「ええ。ですが、殿下の御関心は貴人チョン氏に関わる人間全てを罰することです。罪人の妻子が連座するのは世の常だとしても、罪人を手助けした者の妻子は連座しません」
「一体何が言いたい?」
スボクは眉をひそめてチョンホを見た。
「殿下は廃妃シン氏を陥れた者とそれに関係する者を罰したいのであって、その網をどんどん広げて国中全ての者に関連付けようとなさっているのではありません。殿下も、廃妃シンを陥れた貴人チョン氏の兄の担当の医官の妻子など、はなから考えてはおられないでしょう。それゆえ、彼らの処罰は官員の判断に任されます」
「それで?」
「官員の判断ともなればいくらでも覆すことが出来ます。義禁府は勲旧派の管轄ですが、先の士禍の件で彼らも被害をこうむりました。彼らも隠したいことがあるはずですし、その一部を先生はご存知なのではありませんか?」
「私が?」
「2年前、私が採紅使から中人の女を助けたことを覚えていらっしゃいますか?あの採紅使は勲旧派の息がかかっている者のようでしたが、子供の私の言葉にその場で従ったことに、ずっと違和感を持っておりました。それに、先生が私の言葉をお聞きになるまで例の件を伏せようとなさっていたこともです。あの時、パク・ミョンホン令監もおいででしたね?」
スボクは目を見張って答えなかった。
「・・・国中から女人が連行されている中、どうして民間の妓房が無事に経営できているのか考えてみました。高麗の時代、元への貢女の頭数を揃えるために将軍たちは様々な手を駆使したそうですが、この朝鮮に至っても状況はそう大きくは変わらぬはず」
「そなたが聡明であるのは十分知っているつもりであったが、私の考えが甘かったようだ。だがチョンホ、その件は我々の切り札だ。職を辞した士林派の者たちの再興の運命を握っているのだぞ」
「先生、採紅使の不正は殿下に背いたのと同じでございます。それを見てみぬふりをしている先生方も同じです。ですが、取引に使えば事情は違います。もし先生方が不正を知っていたという証拠が出ても、義禁府に訴え出たと言い訳が出来ます。もし天下が覆ることがあったら、この件は何の効力も持たなくなります。彼らを牽制する機は今しかありません。先生、どうかリョウォンの命だけはお救い下さい」
「確かにお前の言うことは筋が通っている。だが、そなたの外戚はあのチェ一族だ。自らの親族を敵に回すこととなるぞ」
「だからでございます。この話を持ち掛けたのが私であると分かれば、チェ一族と親しい彼らも聞く耳を持ちます」
「何だと?それはならん!そのようなことをして、力のないそなたが無事でいられると思うのか?お父上も今は何の力もお持ちではない。我々はもはやミョンホンやチソンに頼むしかないのだ」
「先生、どうかお願いします。道筋は既に示しました。私は、ここでリョウォンを失ってこれ以上官員を目指すつもりはありません!士林派にとってその件と我々が切り札なのであれば、今失うべきはどちらかよくお考え下さい。生意気なことを申してるのは分かっております。ですが、私にはこうするしか方法がないのです!」
スボクはじっとチョンホを見つめた。チョンホの言うことにも一理あると思ったのである。スボクが書堂で年長の子たちを教え続けている理由は、まさに新しい王の御代で士林派を繁栄させるためなのである。そのために優秀な士林派の子供たちを集めて教育し、科挙及第者のほとんどを士林派の人間で独占したかったのだ。
だが、その筆頭であるチョンホを失えば、風向きは変わり、彼らの勢いは下火となるであろう。新しい王の目に士林派の子供たちが留まることもあるまい。そして、それ以上に、採紅使の件を黙っていたことが新しい王の御代で明らかになれば、自分たちも処罰されるのである。
これまで、勲旧派に目立たぬよう静かに身を隠していたスボクたち一部の士林派だった。が、もはやこれまでのようである。
スボクは大きくため息をついた。
「・・・わかった。仲間と相談してみよう」
チョンホは途端に目を輝かせる。
「あ、ありがとうございます、先生!!!」
「だが、私がよいと言うまでそなたは決して人前でこの件に触れてはならない。よいな?」
「お言葉に従います」
「わかったならもう下がりなさい。次の授業が始まるぞ」
チョンホはスボクに深々と頭を下げ、部屋を出た。
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今回はここまで。皆さんまた次回