皆さんこんばんは照れ

 

前回のあらすじ

傷寒症(風邪やインフルエンザなどの発熱病)になりスボクの家で世話になっているチョンホは、ソンやスボクと交流しながら療養する。ソンは用もなくやってきてはチョンホの部屋で過ごし、チョンホが疲れるまで話し続けた。一方スボクは体の弱いチョンホにもっと強くなるよう諭し、彼を一日も早く官員にするために特別授業を行うことを提案する。また、ソンの官員になる意志を確認し、スボクは嫡子として育てているソンが本当は庶子の生まれであることを隠し通そうと心に誓った。

 

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平穏

 

 何日か経ち、チョンホの病状はかなり良くなった。

ソンが毎日授業の内容を教えてやっていたので、チョンホが授業に遅れることは無かった。毎日のようにチョンホに必要なものを持って来てくれていたホヨンだったが、とうとうチョンホが自宅に戻る前日となり、彼女は寂しそうな表情でチョンホのもとを訪れた。

「道令様、お加減はだいぶ良くなりましたか?」

「ええ。本当にお世話になりました」

チョンホは微笑んで言う。いつの間にかチョンホは誠実なホヨンを強く信頼するようになっていた。

「道令様が去ってしまわれるなんて・・・おめでたいことなのに、やっぱり・・・」

ホヨンは俯く。

「これからはもっと頻繁に遊びに来るようにします」

チョンホは言った。

「ええ、そうだけど・・・」

ホヨンはそれでも暗い表情のままだった。

「私のせいで長い間お手間を取らせ申し訳ありませんでした。この御恩は忘れません」

チョンホは顔を上げたホヨンの目をじっと見つめる。

ホヨンはしばらく何も言わず、何かを迷っているかのように目を泳がせていた。

「・・・お嬢様?」

チョンホはホヨンの顔を覗き込んだ。自然と2人の顔が近づく。

その瞬間、ホヨンがチョンホに顔を寄せ、唇を重ねた。

チョンホは突然のことに体をこわばらせ、驚いて目を見開く。

ホヨンはそっと体を離すと、ちらっとチョンホの顔を見てすぐに目をそらし、気まずそうな表情を浮かべそのまま立ち上がり部屋を出て行った。

 

 

逃げるように部屋を出たホヨンは、急いで部屋に戻ると扉を閉めるなりその場に座り込んだ。

彼女は目を瞑り、さっき起きたことをじっと考えた。チョンホの驚いた顔が瞼に鮮明に浮かぶ。彼女は自分の唇に手を当てた。

廊下の先の部屋では、また両親が自分の婚約者選びについて話し合っている声が聞こえる。

結婚なんて。ホヨンはため息をつく。両班の女性の結婚なんて、所詮政局争いの駒に過ぎない。その場を支配するのは両班の男性たちで、男の子たちはみな、その一員として育てられる。同じ子供でも、一緒に外で遊ぶことは許されない。男女の別に寛容であったホヨンの両親も、嫡子で長男であるソンには自由にさせ、ホヨンの好き勝手を許すことは無かった。母親であるチョン氏が外出することは滅多になかった。彼女が自分の意志を決定する機会など、その定められた人生の中ではないに等しかった。だが、彼女は羽の折られた鳥のように自由な心を失ってはいなかった。

 両班の男の子たちも、自分たちを嫁選びという目でしか見ない。顔や姿を隠し外出している自分たちが声を掛けられたと思ったら、誰彼かまわず求婚されるのが成れの果てである。

 ところが、弟の親友であるチョンホだけは違った。彼はホヨンに年上に対する礼儀を払いながらもあたかも友人のように接した。彼女にとって、そのような男性は新鮮だった。例えまだ12歳だとはいえ、いや、だからこそ猶更、彼女にはとても特別な存在に感じたのである。

初めはただの美少年だと思っていた。だが、彼を知るにつれその見た目ではなく心の美しさに次第に惹かれて行った。どうせ結婚しなければならないなら、こんな人と結婚したい。ホヨンは儚い夢を抱いたが、名家の息子と書堂の家の娘が婚約することなどきっとあり得ないと、心のどこかでは分かっていた。

ホヨンは膝を抱え、顔をうずめた。

 

 

 

チョンホが完治してからはや数日が経った。書堂の生徒たちは相変わらず日々を謳歌していた。残暑もそろそろ終わろうとしていた。空には小さな雲が列をなして広がっている。

彼らは夏の間、授業の後に滝のそばで遊ぶのが好きだった。だが、既に秋である。暑がりのチョンジンが言って聞かないので、彼らは今年最後の「滝行」に行くことにした。顔ぶれはいつもの通り仲良し5人組のチョンホ、ソン、イド、チョンジン、リョウォンに加え、武術に優れたサンミン、そして居眠り常習犯のホンソもこの日は一緒だった。

滝のふもとに着くなり、チョンジンとホンソは半裸になって滝つぼに入って行った。こんなに寒いのに、と文句を言っていたイドやリョウォンも無理矢理連れて行かれた。ソンは、その光景をぼうっと眺めていたサンミンの背中を後ろから思いっきり押し、水の中に突き落とした。

「・・やい!何するんだよ、パク・ソン!!」

サンミンは水の中から浮かび上がるとソンに向かって叫んだ。ソンは岸の上で高笑いをしていた。サンミンは岸に上がってソンを捕まえようとしたが、後ろからチョンジンに技を掛けられて再び水の中に沈んだ。

「おう、よくやったぜチョンジン!武術の達人を組み伏せるなんて!」

イドは手を叩いて歓喜したが、次の瞬間彼がサンミンに組み伏されてしまった。げらげら笑い過ぎて水を飲んでしまったリョウォンは咳き込みながら岸に上がってきた。

「・・おい、お前も高みの見物してないで入って来いよ」

一通り咳き込み終えると、リョウォンはソンに言った。

「うーん、まあ、気が向いたらな」

ソンはそう言って歯を見せ、リョウォンの後ろに迫るサンミンの影を見なかったことにし彼らに背を向けた。

チョンホはというと、一人本を抱えたまま岸辺に腰かけ、彼らの様子をにこにこしながら見ていた。

ソンはチョンホの隣に腰かける。相変わらす他の5人は滝つぼの中で大騒ぎしている。

「・・体調はどう?少しは楽になった?」

ソンはチョンホに尋ねる。チョンホが倒れて以来、ソンは毎日この質問を繰り返していた。

チョンホは微笑む。

「うん、おかげさまで」

「なあ、何だか、不思議じゃないか?」

「何が?」

「ここでこんなことしてたら、何だか、世間とか官職とか、全部嘘みたいに感じないか?こうやってずっと生きているだけできっと楽しいのに、政治とか、学問とか、そういうのをやらないと何で幸せになれないってみんな言うんだろう」

チョンホはソンの顔を見る。ソンは騒がしい5人の姿を通目に見ながら、夢見がちな視線をこの世ではないところに向けているようであった。チョンホの見るその親友の顔は、先日林檎を手渡してきた時のような子供っぽい顔ではなかった。彼のどこかに、大人の男性の片鱗が見え隠れしていることにチョンホは初めて気がついた。

「まあ、お金がないと腹が減っても何も食えないし、家がないとお前みたいに雨に打たれて熱をだしちまうしなあ。それが不幸せってことなのかなあ」

そう言ってソンはあくびをし、上半身を地面に倒してそのまま寝そべった。

「・・・どうだろう。現実的に考えると、最低限あっては欲しいけど、あったからって幸せになれる訳じゃないよな」

チョンホは言った。ソンはチョンホの顔を見上げる。

「なんで?」

ソンは頭の裏に手を回して言った。

「うーん・・・」

チョンホは言葉に迷った。

「・・・分からない。ただ、おれの欲しい物はお金で買えないものばっかりだから」

「明国の珍しい硯とか?」

「それはチェ・パンスル商会で買えるだろ」

「・・じゃあ、なに?」

ソンの問いに、チョンホは黙る。

ソンはしばらくチョンホを見ていたが、再び大あくびをした。

「・・まあいいや。おれが言いたいのはさ、殿下もきっとこんなとこで昼寝をなさったら、お悩みもきっと消えてしまうだろうに、ってことさ・・・」

ソンはそう言って目を瞑った。

だがその時、こっそり忍び寄ってきたイドが手にすくった川の水を思いっきりこちらに掛けて来た。それはチョンホの肩にもかかったが、大方は寝転がっているソンの顔に直撃した。ソンは口に入った水を吐きながらしかめっ面で起き上がり、イドの方を見た。

「おい!今は休戦中だぞ、こんなとこまで来るなって!チョンホにもかかったじゃないか!」

ソンはそう言ってチョンホの肩を指さす。

「2人ともそんなとこで何してんだよ」

イドは腰に手を当てて2人を見下ろす。

「チョンホは病み上がりなんだから、ここにいないと」

ソンはそう言ってチョンホの肩を叩く。

「チョンホだって治ってからずいぶん経ったし、何よりお前は関係ないじゃないか」

するとソンはにやっと笑った。

「こいつが女みたいに弱くてすぐに熱を出すから、おれが見てないといけないじゃないか」

ソンは冗談っぽくチョンホの肩に腕を回す。チョンホはそれを振り払う。

「やめろよ」

「ほら、やめろって言ってるじゃないか!なあ、お前いつも首席なんだから、こんなとこで本なんか見てなくたっていいだろ?」

イドはチョンホを指さす。

「はあ・・・チョンホも来いよ」

リョウォンも息を切らして岸に上がり、イドと肩を組んだ。

「でも・・・」

チョンホは口ごもる。彼はもうそういう遊びはしなかったし、服を脱いだり汚したりするのをあまり好まなかった。

ソンはそんなチョンホの性格をよく知っていた。

「なあ、お前らも知ってるだろ?チョンホは女なんだ。どこのどいつが滝つぼに女の子を誘うんだい」

「どれ、ほんとに女なのか確かめてやればいいじゃないか」

イドはにやっと笑ってチョンホに近づく。いつの間にか他の子たちも岸に上がって来ており、みんなくすくす笑いながら彼らを見ていた。

「やめ・・・あっ」

イドを制しようとしたソンだが、サンミンに持ち上げられて滝つぼに放り投げられた。

「・・・おい!なんでチョンホじゃなくておれなんだよ!」

水から顔を出して叫ぶソンを見てチョンホは声を出して笑った。

「お前も笑ってる場合じゃないぞ。さあ、お前が服が濡れるのを気にするから、自ら潔く脱ぐ猶予を与えてやる。それかおれらが無理矢理脱がせるかだ」

リョウォンはそう言ってチョンホの肩に手を掛ける。チョンホは抵抗しようとしたが、あっという間にみんなに囲まれてしまった。

「わかった、わかったって、脱げばいいんだろ」

チョンホは笑いながらみんなを制し、上着を脱いだ。

大騒ぎしていた彼らは、チョンホがチョゴリ(上半身に着る服)を脱いだのを見て急に静かになる。チョンホはこの反応が嫌だったのだ。彼の背中には大きな鞭の跡が1つ。腕にも、2年前の鞭の跡が大きく残っていた。

「・・・しんみりするなって。おまえらが脱げって言ったんじゃないか」

チョンホはそう言って滝つぼに向かった。だが、みんなが黙ったのは傷跡のためだけではない。彼はもう、骨と皮だけの色白の少年ではなかったのである。

 

 

 

1504年に起きた出来事を忘れられる者は朝鮮中どこを探しても1人もいなかった。既に戊午士禍で士林派の多くが粛清されていたが、今回はそれとは桁が違った。燕山君の生母で成宗の治世中に廃位にされ賜死となった廃妃ユン氏の件を、今になってイム・サホンやキム・ジャウォンといった腹心たちが持ち出したのである。この件が謀であったと彼らは燕山君に主張し、さらにイム・サホンは燕山君をユン氏の母のもとに連れて行った。母の遺品を見、最期の言葉を知った燕山君は、ユン氏謀殺に関わった全てのものを捕らえ処刑せよとの命を下した。これがいわゆる甲子士禍である。

この時に捕らえられたのは士林派だけではなかった。勲旧派の首領で既に亡くなっていたハン・ミョンフェ元領議政(正一品の官職で朝鮮王朝における最高職)の墓までもが暴かれ、損壊された。処刑された大臣の数は50人とも言われている。また、先王の側室や王子たちも例外ではなく、多くが処刑され、残りは流罪となった。

要人たちだけでこれだけ処刑されたのである。下々の人間がどれだけ捕らえられたかは想像すらできない。謀殺に関わった者は1人残らず例外ではなかったため、毒薬を煎じた医官・医女はもちろんのこと、ユン氏らを連行した兵士や軍官たちも例外ではなかった。当時ユン氏を連行する任務を預かった1人である内禁衛の元軍官ソ・チョンスは既に退官して白丁として家族と穏やかに余生を過ごそうとしていたが、様々な不運が重なりチョンスは捕らえられ、彼の妻パク・ミョンイと娘ソ・ジャングムは彼を追って漢陽にまでやって来た。しかし、ミョンイ自身も秘密を抱えていたこともあり、陰謀に嵌められ娘の目の前で息を引き取った。まだ10歳のチャングムは見知らぬ土地でみなしごとなったのである。

漢陽には酒杜氏がたくさんいたが、その中でも最も風変わりなのがカン・ドックの酒家である。宮廷で熟手をやっているトックはやり手でケチな妻の尻に敷かれ、彼女の目を盗んでは息子イルドに手伝わせ酒をくすねていた。もちろん、自分の家の酒をである。そんな家に何を間違ったか、みなしごチャングムが転がり込むことになった。おてんばだがしっかりしつけられたチャングムは、気難しいトックの妻にさえ気に入られ再び平穏な日々を手に入れたはずだった。少なくとも、あと2年は。

だが、それまでに漢陽のチョンホらの身に起きたことも語らなければならない。彼の同級生が一人流刑になり、士禍が他人事とは思えないまま怯える毎日を過ごしていた彼らだったが、思春期真っ只中の彼らは急激な成長を遂げていた。翌1505年、彼らは14歳となっていた。皆とっくに声変わりを済ませ、背丈も大人と同じくらいになっていた。両班の男子の初婚年齢は下限が15歳であったが、その年に結婚させる家がほとんどだった。そのため、彼らの多くは既に婚約済みであった。それはチョンホやソンも例外ではなかった。

燕山君が成均館を妓生との享楽の場に変えてから、四学や郷校(国立学校)の質も大きく落ちていた。そのため、成人しても書堂に留まる若者が国中で続出した。スボクの書堂でも、15歳以上の生徒が溢れかえって教室が足りなくなっていた。

彼らは息を潜めて機を待っていた。式年試を受けても成均館が無いので、進士になって下級職に就くことを目指すものもいたが、そもそも進士科は科挙の中でも最も難しく競争率の高い科なので、このような時勢で若者が簡単に及第するわけが無かった。それに加え、政治の退廃により不正行為が続出し、勲旧派の大臣たちが賄賂で子供を合格させるのが当たり前のようになっていた。

このような状況に失望し勉強をやめてしまう子も何人かいたが、チョンホの周りの子たちはまだなんとか書堂で真面目に勉強していた。尤も、頭の中は女の子のことで埋め尽くされていたが。

そんな中、恒例の弓の大会が今年も行われようとしていた。

 

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ではまた次回てへぺろ