皆さんこんばんは
前回のあらすじ
妓生と遊んでいたイクスの機嫌を意図せず損ねてしまったチョンホは、もうスボクの書房に行くなというイクスに懇願し、何でもするから行かせてほしいと頼み込む。そんなチョンホに、100回鞭で腕を叩いてこのまま明日まで家の外で帰れば許してやると言った。その言葉を本気にしたチョンホは、それでも受け入れると言った。イクスは有言実行せざるを得なくなり、チョンホは泣きながら100回のむち打ちを耐えた。
池のふもとで泣いていたチョンホはスボクに見つけられる。だがその様子をソンも見てしまった。
翌日、弓の授業で先生に腕をまくられそうになるチョンホを見、ソンはとっさにチョンホを助けようと先生の手を払ってチョンホの腕を握る。しかし、そのせいで傷口から出血し、チョンホの傷が露わになってしまった。放課後、謝りに来たソンをチョンホが罵る。チョンホが去った後、事の重大さを悟り泣いていたソンをスボクが見つけ、仲直りするよう促す。
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誤解
次の日、チョンホは授業開始ぎりぎりに教室に到着した。
ソンは早くから教室に来て、席に座ってそわそわ待っていた。いざチョンホが入ってきて声を掛けようと思ったら、すぐさま詩作の先生が入ってきてしまった。
「さあみんな、詩経は持って来たかね?」
ソンはため息をついて詩経を広げた。
「じゃあみんなも書いてみなさい」
生徒たちは先生の課題に沿って詩を書き始めた。遅く来たチョンホは遅れて墨を摺っている。
「おうい、今更墨を摺っている子が何人もいるじゃないか、全く」
先生は呆れたように言って立ち上がり、教室を見回りに歩き始めた。
先生が後ろの席に向かったのを確認したソンは、隣の席のチョンホの机を拳で小さくトントンと叩いた。
チョンホは墨を摺ったままソンに目もくれず言う。
「何」
ソンはチョンホに顔を近づけ、小声で言う。
「おい、おれの墨汁を半分使えよ」
「いらないよ」
「いいから、使えって」
ソンは有無を言わせずチョンホの硯に自分の墨汁を入れ始めた。
チョンホは驚いて少し後ろに下がったが、何も言わなかった。ソンの硯には明らかに一人で使うにしては多すぎる量の墨汁が入っていた。
「・・・どうも」
チョンホは少し面食らった表情だったが、再び詩作に取り組もうと前を向いた。
「おい、チョンホ」
「今度は何だよ」
「後で話があるんだけど」
「そんなの知らないよ」
「いいから、授業が終わったら裏の松の木のところに来てくれ、必ずだよ?」
「行かないって」
「何でだよ。話があるんだって!」
「何の話だよ」
チョンホは苛立って言った。
「何のって、それはその時に話すよ。とにかく・・・」
チョンホはふとソンの頭上を見たが、すぐに視線を戻した。
「先生が来たぞ」
チョンホはソンの方に顔も向けずに言う。
「えっ?」
「早く戻れ」
「お前、ほんとに放課後・・・いてっ!!」
バシっという音とともに後頭部に鈍痛が走ったソンは、手で頭を押さえながら振り返った。
「パク・ソン、他人にちょっかいをかけずに授業に集中しなさい!お前は一点減点だ」
ソンの真後ろで彼を叩いた本を構えた先生が怒った表情で言い、そのまま席に戻っていった。
「・・・はあい」
そう言いながらもソンは、チョンホに目配せし口を動かし何か伝えようとしていた。
チョンホは吹き出しそうになったが、無関心のふりをして机に向かった。
「おうい、ははっ、やっぱり来たじゃないか」
放課後、チョンホが松の木の下に向かうと、そこには得意げな顔でソンが待っていた。
チョンホはむっとして引き返そうとする。
「お、おいおい、せっかく来たってのに帰るなよ。わかったって、真剣な話なんだよ」
ソンはチョンホの腕を掴んで言う。今度は左手ではなく右手だった。
「真剣な話?」
「うん。あのさ・・・・。その、この間、おれら祭りに行ったんだけど、その帰りに一人になった時に、向こうの酒屋の裏の小道を抜けたところの池の近くを通ったんだけど、そこでお前を見たんだ」
「えっ?」
チョンホは驚いた。あの、血まみれで泣きじゃくっていた時だ。チョンホはそんなところを見られたと知り、不快な気持ちをはっきり表情に表した。
「それで、おまえとおれの父上の会話を聞いてしまったんだ。・・・・黙ってて悪かったよ。お前は誰にも知られたくなかったんだろ?」
チョンホは黙って俯いている。拳はギュッと握りしめていた。
「だから、昨日、聞いてしまったことを言おうと思ったんだけど、昨日もお前来るのが遅かっただろ?それで昼まで話せずじまいになって、それで、お前が先生に腕をまくれと言われてたから、おれだけが何でお前が腕をまくりたがらないか知ってたから、何とか先生を止めないとって思ったんだ。だけど、おれってばかなんだよな。とっさにどうしたらいいか分からなくてさ、とりあえず先生の腕を振り払おうとしたんだけど・・・まさかあんなとこまで怪我してるって思わなかったんだ」
「・・・・」
チョンホは何も言わない。
「だから、わざとじゃないんだ。お前に嫌がらせをするつもりであんなことしたわけじゃないんだ」
「・・・わかった」
チョンホは俯いたまま言った。
ソンは面食らった。多少の反論はあるかと構えていたからである。
「えっ?・・・本当に?・・・ほんとに、わざとじゃないって信じてくれるのか?」
ソンはチョンホの顔を覗き込みながら言う。
「わかったって言ってるだろ。そんなに覗き込んでくるなよ」
チョンホは嫌そうにソンの視線を避ける。
「ははっ、なんだ。てっきり信じてくれないかと」
ソンは急に笑って言った。
「それと、その・・・」
チョンホがぼそっと何かを言った。
「えっ?」
「・・・その、墨汁は助かったよ、ほんとに」
ソンは笑う。
「だろ?あのまま摺ってたらお前先生に大目玉食らったぜ」
一人で笑っているソンを見てチョンホはまだ気まずそうにしている。
「それに・・・」
「えっ?まだ何かある?おれ墨汁以外は覚えないけど」
「・・・昨日は、ちょっと言い過ぎた」
チョンホはぼそっと言った。
ソンは目を丸くする。
「お前は何もかも持っているとか言ったけど、お前だって勉強頑張ってきただろうし、大変なことだってあるだろうし・・・それに、お前が恵まれてるのは、お前が悪いわけでもないし・・・」
ソンはへへっと笑う。
「何だ。やっぱりまだそんなこと言ってるんだ。おれは自分が恵まれてることぐらい知ってるよ。父上が言うんだ。恵まれている人間はそうでない人のために尽くすべきだって。おれは両親や姉上になんでもしてもらってきたから、将来は仕官して世間に恩返ししたいんだ。それに、恵まれている人にしか得られない心の特権もあるんだ」
「心の特権?」
「うん。みんなに大事にされて育った人間は、苦せずして他人にもそれを分けられるらしいよ。つまり、妬んだり貶めようとしたりせずに、純粋に周りの人の利益だけ考えられるんだって。・・・まあ、お前の実力にはちょっと嫉妬したけど・・・」
チョンホは驚いてまじまじとソンを見た。いくら親の受け売りとはいえ、ここまでしっかり自分の仕官する理由を持っている子供なんて今まで見たこともない。
「ところで、お前はどうして仕官したいんだ?」
ソンは唐突にチョンホに訊く。
「えっ?おれは・・・・・」
チョンホは戸惑う。
「・・・おれは、ただ、父上を認めさせたいから」
「お父上を?」
「うん。いつも親不孝息子っていうけどいつかは父上をぎゃふんと言わせてみたい。おれが何もできないわけじゃないってことを見せつけてやりたいんだ」
「・・・不思議だなあ」
ソンは言う。
「えっ、何が?」
「だって、お前のことはみんな凄いって言って羨ましがってるのに、お前は他の人のそういう言葉は聞いてなくてただお父上の評価だけ考えてるなんてさ、変な話じゃないか?」
チョンホはすぐには答えなかった。それはチョンホにとって考えたこともないことであった。
「・・・確かに、父上のことばかり気にしている自分が変なのかな」
チョンホは素直にそうは思えないものの、ソンの言うことにも一理あると思い呟いた。
「うん、絶対にそうだよ!だって、お前、一つも親不孝なことしてないんだろ?じゃあ気にすることないって。家にいるときは大変だろうけど、せめて外で俺らといるときぐらいは忘れろよ」
チョンホはじっとソンを見た。
チョンホは昔から人を見る目が優れていた。あのソリは、賢いチョンホを前にしても息子の才能で最も特筆すべきものは『人の本質を見る目』と言い続けていた。
そのチョンホが今、初めてソンを評し直した。見た目は軽々しく見えても、誠実で、純粋で、優しくかつ聡明で、何より優れているのは、人を惹きつける彼自身の魅力だと。
チョンホはソンを見直した。そして、初めてこのソンという子に感心し、もっとこの子を知りたいという興味を持ったのであった。
子供というのは残酷である。常に誤解がつきものであるこの世の中で、深く知りもせず思ったまま言葉を発してしまう。
13歳のカン・インピルの外戚の叔父は礼曹判書だった。彼の管轄する官妓の1人である雪今はあまり人気のない妓生であったが、こっそり情報を売買し出世を狙っていた。その情報は多種多様だったが、礼曹判書カン大監に伝えたつまらない情報の中に、元戸書判曹ミン・イクスの荒廃ぶりと息子への扱いのひどさに関する細かな情報が含まれていた。偶然それを立ち聞きしたインピルは、自身の教室でみんなにその話をばらまいた。10歳の組に弟がいるコ・ハンドンはその噂を当然のように弟に伝えた。弟であるイドは、仲間を集め自慢げにこの話を披露した。
ここで問題なのが、この件に関して子供たちの間で重大な誤解が起きたことである。
既にチョンホの株は上がっており、イクスの話を聞いた子供たちはチョンホが可哀そうな子だと捉え、いじめの対象にしようとは思わなかった。が、先日の弓の授業の一件でチョンホが腕から血を流した理由を知った彼らは、パク・ソンがわざとチョンホの手を握って嫌がらせをしたのではないかという結論に至ったのである。
何も知らないパク・ソンはいつも通り書房に登校した。部屋の中には既に何人もの生徒がいた。教室に入るなりソンはいつもの調子で挨拶をする。
「おはよ!」
すると、教室中の生徒がソンを見た。誰も返事をせず、冷たい目でじっと見つめた。
異様な雰囲気を感じたソンだったが、直後にチョンホが入ってきてソンに話しかけたのですっかり忘れてしまった。
「おい、これお前のじゃない?」
チョンホが差し出したのは使い古した小筆であった。
「いや?違うけど、なんで?」
「そこに落ちてたんだけど、ほら、柄のところにソンって書いてる」
ソンは小筆をまじまじと見た。
「・・・おい、良く見ろよ、ソンドルのドルが薄くなっただけじゃないか。お前ってばかだよなあ」
ソンは笑いながら言った。が、その『ばか』という言葉で教室中が再びソンに注目した。
「お前がな」
イドがぼそっと呟いた。が、ソンの耳には届かなかった。
「ああ、ほんとだ。ソンドルって誰?」
まだ少し訛りながらチョンホは答えた。
「ソンドル兄さんだ。16歳の組の人だよ。背が高くてもやしみたいに痩せてる人」
「もやし?」
チョンホは吹き出した。
「ほんとにもやしみたいなんだって!だよな?イド」
ソンはそう言ってイドを見るが、イドはソンを一瞥して背中を向けた。
ソンは驚いてイドの背中を見つめた。チョンホもそこで初めて周りの異様な雰囲気に気づく。
「おい、何かあったのか?」
チョンホはソンに囁く。
ソンは肩をすくめる。もともと神経質ではないので、きっとみんな機嫌が悪いのだろうと思い気に留めなかったのだ。
それから1日たっても、2日たっても、状況は変わらなかった。ソンは特に気にも留めなかったが、チョンホは少し神経質になっているようだった。
ある日の放課後、授業が終わるなりチョンホはソンに話しかけた。
「なあ、お前、チェ・パンスル商会って行った事ある?」
「チェ・パンスル商会?ああ、あの・・・」
「チョンホ、今からおれらと一緒に市場に行かない?」
イドがソンに割り込みチョンホのもとにやってきて言った。
「えっ?あ、うん、いいけど・・・」
「市場だって?おれも行く」
ソンが言った。
「悪いけど、お前は呼んでないんだ」
イドはソンに冷たく言い放った。
ソンは驚き、固まって何も言わなかった。チョンホもソンの顔を見る。
「行こうぜ」
イドは座っているチョンホの腕を強く引っ張った。それをチョンホは振り払う。
「待てよ。何でソンが行っちゃだめなんだよ」
チョンホはイドに言った。
「おまえだって嫌だろう、ソンがいたら」
「何のことだよ」
「だって、みんなの前でこいつに腕の傷をばらされたんだろ?お前、嫌じゃないのか?」
チョンホは衝撃で固まる。ということは、みんなもう知ってるのだろうか?父と自分の事
情を?
「・・・いったい何の話だよ」
「もうみんな知ってるんだよ、お前のお父上がお前を殴ってるってこと。認めろよ」
イドは冷たくチョンホに言う。
チョンホは固まった。手が震えるのが分かった。屈辱で逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。また、ここでもか。ここでは上手くやれると思っていたのに、やっぱり最後はこうなるんだな。
すると、ソンが立ち上がった。
「おい、そんなのひどいだろ。おれがやったかどうかじゃなく、チョンホはこんなこと知られたら嫌に決まってるじゃないか。なのに、そんな風に陰で噂するだなんて卑怯だ」
ソンはイドに向かって詰めよる。
「なんだよ、お前だって一番じゃなくなってチョンホをいじめてたじゃないか。俺らはチョンホみたいなかわいそうなやつとは仲良くできても、お前みたいな嫌なやつとはもう仲良くしたくないんだ」
イドは言い返す。
チョンホは2人が口論する中一人考え込んでいた。ここで放っておけば自分はきっとこれからもみんなとうまくやれるだろう。だが、ソンは・・・・?
チョンホは二人の前に立ちはだかった。
「イド、もういいよ。みんなの言うとおりだ。おれは父上と仲が良くない。でも、ソンはおれを庇おうとして腕を握っただけなんだ。誤解しないで欲しい。それに、お前たちのそういうやり方の方がずっと卑怯だと思うし、そんな風にするやつらとは仲良くしたくない」
チョンホはイドにはっきり言った。
イドは驚いてしばらく何も言わなかった。チョンホはソンの腕を握る。
「行こう」
「でも・・・」
「早く」
チョンホはソンを外に連れ出した。
書房を出てしばらく歩いたところで、ソンはチョンホの手を振り払った。
「おい、やめろよ、おれに同情するのは」
ソンは怒った顔でチョンホに言う。
チョンホは振り返る。
「同情なんかしてない。おれが言ったのは本心だ。あいつらより、おまえと仲良くしているほうがいい」
チョンホはソンにはっきりと言った。ソンは驚いてしばらくチョンホの顔をまじまじと見ていたが、急に照れたように横を向いた。
「いや、だ、だって・・・あいつらと仲良くしないと、お前も嫌がらせされるんだぞ?」
「あんな姑息なことをするやつらは士じゃない。お前はけんかしても正々堂々と戦ってたけど、あいつらは人の言い分も聞かず寄ってたかって仲間外れをするなんて、おれはそういうやつらは嫌いだし、一緒に仕官を目指す仲間になりたくない」
「でも、あいつらだっていいところもあるんだ。イドも今日はあんなだったけど、普段は穏やかで、噂好きだけどみんなに愛想がいいんだ」
「ソン・・・あんなこと言われてもそんなこと言えるなんて、すごいな」
チョンホは驚いたように言った。
ソンは頭を掻く。
「だから、戻れよ。お前は家に居づらいじゃないか。書房ではみんなと仲良くすべきだよ」
チョンホは黙ってしばらく考え、再び口を開いた。
「じゃあ、決めた」
「決めたって?」
「お前があいつらを信じてるんだったら、いつかは間違いに気づいてくれるだろ?それまでは、おれはお前にしか喋らないようにするよ。お前はもうおれしか相手がいないだろうし・・・」
チョンホは少し申し訳なさそうに言った。
「気にするなって、一時期のことだよ。何日か経てば忘れてるさ」
「うん。でもみんなの機嫌を取ってお前を無視するのは嫌なんだ」
ソンは顎に手を当てて考え込む。
「でも、急にどうしたんだろう?お前のことみんな知ったってことだよな。他に知ってそうなやつって思い当たる?」
「ううん。でも、家に来てる妓生なら言いふらしそうだけど」
「妓生は簡単に他人にばらさないよ。ほら、『口のない花』って言われてるだろ?」
「口のない花?」
「知らないのか?お前ってほんと、勉強以外は何も知らないんだなあ。妓生は美しいけど仕事上見聞きしたことは決して他言しないからそう言われてるんだ」
「ふうん。でも同じ人なら、言ってしまうことだってありそうだけど」
「確かになあ。とにかく、みんな知ってるんだからお前はもう開き直らなくちゃな」
ソンはチョンホの肩を叩いた。
「気にしないようにするよ。ところで、さっきの話だけど、チェ・パンスル商会って知ってる?」
「うん、父上に連れられて2回行った事があるけど・・・」
「チェ一族はぼくの内戚なんだ。漢陽に来た時にパク先生と父上と行ったんだ。見たことのないような硯がいっぱいあって本当に面白かったんだけど、一緒に行かない?」
「いいね!硯かあ。文房具が好きなの?」
「うん。文鎮とかもいっぱいあったよ。お前は興味ある?」
「ううん、あるのはあるよ。とりあえず見に行こう」
2人は意気揚々と歩き始めた。
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ではまた次回