さてさて・・・
前回のあらすじ
物語の視点はソリに変わる。ある秋の日、イクスに内緒で外出したソリは、市場で美しい翡翠の指輪を見かけ時間を忘れて見入る。しばらく後に我に返ったソリは急いで帰宅しようとするが、ふと遠くにイクスを見かける。彼はさっきソリが見つめていた指輪を買っていた。その後、帰宅したソリのもとをイクスが訪れ、さっきの指輪を差し出すが、イクスはスボクの妻のお下がりで渡すよう頼まれたと嘘をついた。また、妙に優しいイクスの態度をソリは奇妙に思い、指輪も使わなかった。数日後、指輪を付けていないソリを見てイクスはいささか傷ついたようだった。そんな中、チェ一族のことを聞かれたソリは全て正直に話す。そんなソリを、イクスも奇妙に思っているようだった。
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帳簿
それからというもの、イクスは時々ソリに飾りや布、本を頻繁に持って来た。それはたいていスボクと飲みに行った後だったが、ソリは時折彼が飲みに行った後に市場を確かめに行ってみた。そして、案の定イクスが何か買っているのを目にするのである。
耐えかねたソリはある晩、偶然手に入れた明国の書物とやらを満足げに持って来たイクスに詰め寄る。
「書房様」
「・・おう?何だ」
イクスは本を見て微笑んだまま顔を上げない。
「・・・それも、どなたかから頂いたとおっしゃるのですか?」
「ん?・・・やはりそういうものを押し付けられるのは嫌か?」
「ええ。どう見ても新品なのにお下がりだ、誰かからもらった、などと偽られて毎日毎日物を貰うのなんて、私もう我慢できません」
イクスは驚いて顔を上げた。
「・・・偽って、だって?」
「ええ!書房様、あの時本当は市場で私をご覧になったのでしょう?!私が見ていた指輪だから買ってこられたんでしょう?このようなことで私が喜ぶと思いましたか?書房様にご機嫌を取られて、ぬけぬけと使っていられるとでも?書房様が誠実な方だと私が思いなおすとでも?本気で、こんなことで私の機嫌が取れるとお思いですか?」
イクスは黙って俯いた。
「私、このように頂いたものは使いたくありません。私にも自尊心があります。どうか、お引き取り下さい」
ソリはそう言って箱を取り出した。中には、今までイクスに貰ったものが全て入っている。
イクスはうつろな目で箱の中を見た。
「それから、今後は二度とこのようなことなさらないでください。私はもう休みますので、お部屋にお帰りを」
イクスはしばらく俯いていたが、黙って箱を受け取り、部屋を出て行った。
何であろう、この感情は。ソリは座ったままじっと考えた。
(あれほど憎んだ相手なのに、私の全てを奪った相手なのに・・・。もっと早くこう言ってやるべきだったのに・・・。なぜ、後悔しているのかしら・・・?)
何かがソリの胸を激しく締め付けた。それは時間が経つにつれどんどん強くなっていった。
イクスがソリの部屋を出てから既に一刻を優に超えていた。ソリは立ち上がり、部屋の中を歩き回る。
(いいえ、傷つけて然るべき相手なんだわ。私の家族を、あんなふうにした人なんだから。それに、私の大事なソックも・・・。でも・・・・でも・・・、あの人は、姉上を心からいつくしんでおられたのだから、やはり・・・)
ソリはたまらず部屋を飛び出した。
そのまま駆け出し、気が付いたらイクスの部屋の前にいた。
「書房様、ソリです。入ってもよろしいでしょうか」
「・・・入れ」
覇気のないイクスの声がソリの心を一層強く締め付けた。
部屋に入ると、イクスは既に寝支度を整えていた。ソリは恐る恐るイクスの前に座る。
「何も言うな」
「えっ?」
唐突なイクスの言葉にソリは驚いた。
「そなたが気に病む必要はない。故に、後悔する前に部屋に戻りなさい」
「ですが・・・」
「そなたは心優しいゆえ、一時の迷いで私に同情したのであろう?」
イクスはソリの目をじっと見て言う。ソリは予想だにしない状況であっけにとられ声も出ない。
「知っておる。そなたがなぜ私の妻になることを承諾したかを。・・・いいや、最初は気が付かなかった。そなたがあまりにも優しく、親切に振舞うから、何か企んでいるのかと初めは疑っていた。だが、その優しさこそがそなたの狙いであった。そうであろう?」
ソリは知らず知らずのうちに自分の目が曇るのがわかった。なぜだろう。
イクスの表情はやつれていた。
「そなたは・・・そなたは知っているのだ。そなたは高潔な女性だ。私が思っているよりずっと。罪を犯した者には、正しい罰と反省を求める、そんな正義感を、ずっと持って来たのであろう?時に感情的になったとしても、そなたの本当の願いは、私が心から苦しむことであろう」
ソリの目から涙が溢れた。彼女は嗚咽を抑え俯く。
「だから、私に同情するな。こうなるべきなのだ。そなたのやったことは正しい。・・・私は、そなたが一日中家にいて不便ではないかと思ったのだ。初めはそうだった。どこかで分かっていたのだ、そなたが決して喜びはしないと。だが、そなたが平穏な表情で本を読んでいたり、市場で嬉しそうに飾りを眺めているのを見て、私はおかしくなったのだ」
「・・・おかしく?」
嗚咽はまだ止まらなかったが、何とか涙を拭い、ソリは顔を上げた。
「ただ・・・」
イクスは一瞬躊躇った。が、意を決する。
「・・・ただ、気が付いたんだ。そなたを好いていると・・・」
ソリは驚いて動けなくなった。既に嗚咽すら出てこなかった。
「・・・だから、気にするでない。そなたは既に復讐を大成させたのだ。そして、これからも続けなければならない。だろう?私にとってはこれが最も苦しい。疑いようもなくそうだ。ゆえにそなたはもう心配するな」
ソリは驚きで言葉が出なかった。そして、自分の耳を疑った。
『気が付いたんだ。そなたを好いていると・・・』
ソリの頭に、イクスの言葉が木霊する。
ソリには分からなかった。あんなに自分を冷遇していたイクスがなぜ自分を慕うようになったのか、それはいつからなのか、そしてなぜ自分の復讐を甘んじて受け入れるのか。何もかもがソリには分からなかった。
そして、復讐は大成した。彼は、心から後悔し、苦しんでいる。しかし、何故か心は穏やかではなかった。復讐を大成すれば、きっと心は晴れやかになるであろうと一心に信じ、これまで辛い日々を乗り越えてきた。だが、あれほど待ち望んでいた瞬間を迎えたのに、ソリは涙が止まらなかった。
『そなたを好いていると・・・』
イクスの本性は知らない。どのような性格かもよく知らない。子供の頃は、お互い幼かったから互いを深く知り合うことなどなかった。彼がいつどのようなことを考え、どんなことが好きで、どんなことが嫌いで・・・長所はどこで、短所がどこで、どんな時彼が一番輝き、どんな時に一番辛く感じるか。彼の価値観も知らない。何をよしとし、何を正義とみなすか。仕事に対する取り組み方も。何に熱意を持っているかも。
ソリは気が付くと、これらの疑問を帳簿に書いていた。そして翌日の晩、ソリを避けて裏手から帰宅したイクスの部屋に訪れ帳簿を渡した。
イクスは度肝を抜かれた表情であった。それも当然である。
「・・ど、どうした、これは何だ」
「明日までに、この帳簿に書いた質問にお答えください。質問の隣の頁を開けてありますので、そちらに入るように書いて下さい」
「だ、だが、これを何に・・・」
「私の復讐を受け入れて下さるとおっしゃいましたよね?なら、私がお頼みすることはこれから何でも聞いて下さい。とりあえずは、それを全てお書きください」
ソリはきっぱりとした口調で言った。
「こ、これを誰かに見せようと・・・?」
「そうではありません。売りさばいたり、人に笑ってもらうためではないので、それだけはご安心ください。どうか、正直に書いて下さい。嘘をついても後々分かります。お答えするのがお恥ずかしいことでも、決して自分を偽らす、必ず本心をお書きください。明日取りに参ります。書房様からいらしていただかなくても構いません。では、私はこれで」
イクスはあっけにとられ、ソリの後姿を見つめた。
翌日の夜、ソリが再びイクスのもとを訪れた。
「そなた自身がここに来ると言ったから待っていたが、これ自体は昨日のうちに書き終えたよ・・・。私は言葉を偽る時は饒舌だが、本音となると、うまく書けているかどうか分からない・・」
「確かに受け取りました。また明日、同じ時間にお訪ねします。今度は別の質問で」
「そ、そうか・・・」
イクスは困惑した表情であったが、ソリの勢いに負け何も聞けなかった。
ソリは自室に帰る。ろうそくを点け、早速帳簿を開いてみた。
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一番好きなことは何ですか。
酒を飲みながら詩や絵を楽しむこと。
一番嫌いなことは何ですか。
このようなことを書くのは恐縮するが、学問は未だに好きでない。
普段どんなことを考えて過ごされていますか。
ほとんどが宮中での派閥争いに考えを巡らせ過ごしている。人は私が女のことばかり考えているというが、私は女と会っている時も相手のことを考えられない。
詩と絵では、どちらがお好きですか。
これは私がやるとしたらという意味か、それとも人の物を見るならという意味か。前者なら絵だが、後者なら間違いなく詩だ。以前そなたが書いた詩が縁側に置き忘れてあったのをこっそり読んだが、素晴らしかった。女の詩は恋ばかりが出回っているが、そなたの書いたような自然を描写したものが私は一番好きだ。
ご自身の長所はどこだとお考えですか?
要領は良いのではないかと思う。少なくとも、スボクはそれで私をよく思っていないが、私にとっては諸刃の剣だ。いずれにせよ長所と言ってもよいと思う。あとは、策を巡らすのが得意だ。
短所はどこだと思われますか。自虐はなさらないで下さい。
そなたの言う自虐とは何のことか分からないが、私の短所はそなたもよく知っているだろう。現実から逃げてしまうところだ。志を通すほど、私は強くない。
お仕事は好きですか。
意外に性に会っている。
ご自身はどんな時一番輝いていると思いますか。
策を巡らせている時。
何をされている時が一番楽しいですか。
それは私にもわからない。私がいつも知りたいと思うことだ。
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ソリはつい笑ってしまった。もっと素っ気ないかと思ったが、頁によっては帳簿いっぱいに書いてある。ソリは返事を書くことにした。
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一番好きなことは何ですか。
酒を飲みながら詩や絵を楽しむこと。
詩や絵、裁縫や楽器をたしなむことです。
一番嫌いなことは何ですか。
このようなことを書くのは恐縮するが、学問は未だに好きでない。
部屋に入ってきた虫を退治しなければいけないときは本当に嫌です。
普段どんなことを考えて過ごされていますか。
ほとんどが宮中での派閥争いに考えを巡らせ過ごしている。人は私が女のことばかり考えているというが、私は女と会っている時も相手のことを考えられない。
詩や自然について考えています。
詩と絵では、どちらがお好きですか。
これは私がやるとしたらという意味か、それとも人の物を見るならという意味か。前者なら絵だが、後者なら間違いなく詩だ。以前そなたが書いた詩が縁側に置き忘れてあったのをこっそり読んだが、素晴らしかった。女の詩は恋ばかりが出回っているが、そなたの書いたような自然を描写したものが私は一番好きだ。
詩です。書房様がたくさん書かれたので余白が足りません。
ご自身の長所はどこだとお考えですか?
要領は良いのではないかと思う。少なくとも、スボクはそれで私をよく思っていないが、私にとっては諸刃の剣だ。いずれにせよ長所と言ってもよいと思う。あとは、策を巡らすのが得意だ。
くじけてもすぐに立ち上がるところです。
短所はどこだと思われますか。自虐はなさらないで下さい。
そなたの言う自虐とは何のことか分からないが、私の短所はそなたもよく知っているだろう。現実から逃げてしまうところだ。志を通すほど、私は強くない。
私も、素直になれないところがあります。
お仕事は好きですか。
意外に性に会っている。
そう思います。私は仕事がないのでここは失敬させていただきます。
ご自身はどんな時一番輝いていると思いますか。
策を巡らせている時。
詩を詠んでいる時です。あと、女の身ながら、外で走り回るのが好きでした。
何をされている時が一番楽しいですか。
それは私にもわからない。私がいつも知りたいと思うことだ。
私にとって、何においても楽しさを見つけるのは簡単なことです。
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ソリはそれからいくつか質問を書き加え、翌日ふたたびイクスのもとを訪れた。
帳簿を開いたイクスは、しばらくするとふっと笑みが漏れていた。
「・・・そなたも書くのだな」
「はい・・」
「では、私はそなたの答えを後から見るのだが、そなたは先に私の答えを見てから返事を書けるのだな」
「書房様、勝負ではありません」
ソリはいささか困った顔をした。イクスはそれを見てさらに破顔した。
「わかった。また明日この時間に」
「はい」
こうして、イクスとソリの奇妙な帳簿の交換が始まったのである。
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さて、今回はここまで
今回は余談がないなあ・・・。まじでないなあ・・・。
私事ですが、最近ちょっと嫌なことが立て込んでまして、頭もあんまり働かなくなってきました・・・
なので今回はこの辺で失礼させていただきます