映画『コリーニ事件』(監督:マルコ・クロイツパイントナー/製作:2019年/ドイツ/原題:Der Fall Collini)を観た。原作は Ferdinand von Schirach(フェルディナント・フォン・シーラッハ)の同名の小説(2011年刊)である(注1)。シーラッハは1964年生まれのドイツ人弁護士で作家でもある。

  注1: 邦訳は、酒寄進一訳で、東京創元社から単行書として2013年4月に出版され、2017年12月に創元推理文庫として文庫化されている。

コリーニ事件(ポスター画像)_映画.comから引用

 この映画は、第二次世界大戦中のドイツ軍将校による戦争犯罪を、戦後の西ドイツ裁判所が取り上げなかったこと(公訴時効)に端を発するものである。

 映画は、実業家ジャン=バプティスト・マイヤー(かつての親衛隊将校)をファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)が殺害するところから始まる。時代は2001年。逮捕されたコリーニの国選弁護人になったのが主人公のカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)。国選弁護人になった直後に、ライネンは、ライネン自身が被害者に何十年ものあいだ世話になった人物であったことを知る。

 黙秘を続けるコリーニだが、ライネンは、何とか手がかりを見つけ、父親を殺されたコリーニの復讐であったことを突き止める。

 さらに、裁判の過程で、被害者側から、コリーニとその姉が1969年に元将校マイヤーを殺人で告発していたことが明らかになる。しかし、その告発は退けられていた。

 映画の筋は省略して、以下ではこの告発が退けられたことを中心に書くことにする。そこにはある法律が大きく作用している。

 その法律が明らかになる法廷場面での弁護士ライネンと被害者側弁護士とのやり取りは以下のとおりだ。

ライネン:その理由は1968年後半に施行された法律です。施行は虐殺の25年後で姉弟の告発の4か月前。法律の名は"秩序違反法に関する施行法"。
--ややあって--
ライネン:コリーニの告発が1969年に却下されたのは この5行の文言が原因?
被害者側弁護士:謀殺ほう助は謀殺でなく故殺になるということです。
ライネン:つまり?
被害者側弁護士:謀殺ほう助は故殺として罰せられる。
ライネン:ということは?
被害者側弁護士:あの時点で当時の行為は時効となり訴追できなくなった。
ライネン:故殺は謀殺と違い時効が20年だから?;マイヤーのような将校は無差別に銃殺を行なった。しかしそれは故殺とされ時効が成立し罰せられなかった。何人が訴追を免れましたか? なかにはユダヤ人絶滅の命令を出した者もいました。この法で命拾いしたんです。

 「秩序違反法に関する施行法」という法によるものと分かったが、いったいこの法は何なのだろうかという疑問をもった。さらに知ろうと調べてみた結果は以下のとおりだ。なお、本田稔「刑法によるナチの過去の克服に関する3つの論考」(『立命館法学』2018年3号(379号))(以下A)、本田稔「刑法による過去の清算と法の復権」(『立命館法学』2022年5・6号(405・406号))(以下B)によるところとが大きい。

 ナチ実行犯のうち1963年ころには、親衛隊帝国保安本部(RSHA)所属のいわゆる机上の実行犯までもが訴追の対象になっていた。つまりユダヤ人や住民などを殺害した実行犯ばかりでなく、デスクワークの将校たちも対象になってきた。
 そのような状況を回避したい人々が政府周辺にいた。

 これとは別に、刑法を現代的なものにするための議論が政府内にあった。ひとつの論点は、正犯とほう助犯を同一視することを止めるべきだとするもの、また、これまで刑法によって処罰されてきた権利侵害行為のうち、いくつかを非犯罪化し、重罪ではなく、秩序違反行為として独自の法律で規律しようとする論点もあった。1960年代末の「若者の反乱」への対応との評価もある(注2)。

  注2: 先進諸国で起こった1960年代後半の若者の異議申し立てのなかで、西ドイツでも1968年を頂点に若者の反乱が続いた。検挙した者を処罰する刑法だけでは膨大な被疑者の処分に時間がかかることを理由に、軽微な犯罪には簡便な処理をということで「秩序違反法に関する施行法」が制定されたとの評価。

 そして、改正された刑法の50条2項は、「正犯の可罰性を基礎づける特別の一身上の属性または状況(特別の一身的要素)が共犯にないときは,その刑は未遂の処罰に関する規定によって減軽する」とされた。本田氏は、「これを謀殺罪に関連づけて見ると,50条2項の規定は,幇助犯には,正犯とは異なり,正犯に科される最高刑(終身刑)を科せないこと,減軽された刑,すなわち最長でも15年の自由刑しか科せないことを意味している。旧規定との決定的な違いはどこにあるかというと,それは下劣な動機のような特別の一身的要素が幇助犯自身に備わっていなければ,その刑を減軽するとしている点にある。それまでは刑罰を基礎づける要素が正犯にあれば,ただそれだけで謀殺罪の幇助犯にも正犯と同じ終身刑を科すことができたが,新しい規定によれば,幇助犯がその要素を自ら備えていなければ,終身刑を科すことはできなくなった。核心において何が重要であるかというと,それは幇助犯の内面的態度と動機であり,犯罪行為それ自体ではないということである」としている。(以上Aから)。ここでいう「下劣な動機」は、現行ドイツ刑法第211条には行為者の動機として「人を殺そうとする欲望,性欲を満足させること,強欲さ,その他の下劣な動機」と現れ、また、一般には、ユダヤ人問題の最終的解決を図るという「下劣な動機」などという文脈で使われている。

 「違反法施行法案が1968年3月から4月にかけて連邦議会の本会議で審議された。この法案は,あまり注目されることなく同年5月24日に可決され,10月1日に施行された。「正犯の可罰性を基礎づける特別な一身上の要素」がない幇助犯の刑が減軽され,それを基準に公訴時効が算定された結果,彼らの罪の公訴時効は1960年5月8日に完成していたことになった」(以上Bから)。

 つまり、謀殺の罪は、「人を殺そうとする欲望,性欲を満足させること,強欲さ,その他の下劣な動機」を持つ場合に適用される。ナチの犯罪についていえば、謀殺の罪はヒトラーなどごく一部の幹部に適用され、彼ら以外の親衛隊などに所属していた者は、上司/上官の命令に従っただけで「ほう助」の罪にあたる。
 1968年10月1日に施行された「秩序違反法に関する施行法」(秩序違反法施行法)(起草者の名を取って一名「ドレーアー法」(ドレーヤー法))によって、「ほう助」の罪に対する公訴は1960年5月8日に時効となった。

 映画に戻れば、この公訴時効によってコリーニ姉弟の訴えは退けられたわけである。

 ユダヤ人大量虐殺の責任者であったカール・アドルフ・アイヒマン(親衛隊中佐)は、1961年イスラエル政府の設置した特別法廷で死刑判決を受け、翌年刑死した。彼は、虐殺を計画し、実行したが、それは「机上の実行犯」である。かりに、彼を1960年5月8日以降に西ドイツで起訴しようとしても、謀殺の罪ではなく「ほう助」の罪であり、時効が成立して放免されたことであろう。

 1960年代当時の西ドイツ政府周辺の勢力は、ナチに関わった人々を救うために、以上のような法制度上の画策を行ない、みごと成功したのであった。


 原作者は登場人物について、そうとう思案したのだろうと思う。主人公の弁護士カスパー・ライネンはトルコ人、被告のファブリツィオ・コリーニはイタリア人、被害者はドイツ人。法治国家であるドイツ(西ドイツ)で、その根底にあるもの「民主主義、正義の実現、法治国家」を破壊した「秩序違反法に関する施行法」を誤りだとする主張をトルコ人である弁護士が行なうという設定。親衛隊将校によるドイツ人やユダヤ人、ロマに対する謀殺ではなく独立国であるイタリア人への謀殺という設定。なお、映画には原作にはない比較的登場箇所の多いイタリア人(ピザ屋のアルバイト店員)が出て来る。
 これらの登場人物やその関係性の設定は、ドイツが抱えている現在の課題をも射程に入れているのではないかと思う。


 なお、ナチによる戦争犯罪追及の不徹底について、この小説がきっかけになって、2012年1月、ドイツの法務大臣は法務省内に「ナチの過去再検討委員会」(Unabhängige Wissenschaftliche Kommission zur Aufarbeitung der NS-Vergangenheit)を設置したとのことである。そのプロジェクトの成果はマンフレート・ゲルテンマーカー教授(ポツダム大学・歴史学)とクリストフ・ザッファーリンク教授(エアランゲン=ニュルンベルク大学・刑法学)の両教授により『ローゼンブルクの記録 : 連邦司法省とナチ時代』(C.H. Beck, c2016)(未邦訳)としてまとめられて出版されとのことだ。(注3)。

  注3: ドイツ法務省の委員会設置、その報告書の刊行などについては以下を参照。
ドイツ法務省サイトの "Die Akte Rosenburg".
報告書に関する情報として、2016年10月の報告書出版記念で法務大臣ハイコ・マースが行った演説「「ローゼンブルクの記録」-連邦司法省は1950年代および60年代にナチ時代とどのように関わったか,それは現代にいかなる政治的結果をもたらしたか-」(本田稔(訳))(『立命館法学』4号(374号)、2017年)が有意義である。