81年前の12月、日本が米英に宣戦布告し始まった「太平洋戦争」。
 その端緒のひとつ「真珠湾攻撃」に参加した海軍兵たちと家族について、隊員へのインタビュー、手記や日記、家族へのインタビューなどで構成した『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』(大島隆之、講談社現代新書、2022年11月)を読んだ。
大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』

 著者は1979年生まれ、2002年からNHKエンタープライズのディレクターを務めている。これまで、戦争や災害をテーマにドキュメンタリ番組を制作している。
 この本は、2021年12月5日にNHKが放送した「真珠湾80年 生きて愛して、そして」の取材に関わるものだ。

 著者は、NHKに番組制作を提案する前の2006年から隊員たちへのインタビューを始めたという。それは、「彼らは戦場で何を目撃し、その時何を思い、そして長い戦後をどのように生きていったのか。<中略> なぜそのような方法をとったのか。それは、想像をはるかに超える戦争の実態に迫るためには、平和な時代に生きる僕らの安易な発想からテーマを設定するのではなく、多くの声を丹念に積み上げるなかからテーマを浮かび上がらせていく、そんなアプローチをする必要があると思っていたからだ。」と語っている(p.7)。

 著者は、存命の元隊員へのインタビューをとおして「戦場で何を目撃し、その時何を思い、そして長い戦後をどのように生きていったのか」を取材した。戦死したり戦後故人となった隊員については、家族や血縁者への取材をとおして、また、日記や手記から隊員たちの生きざまを再現しようとした。

 1章を一人の隊員にわりあて5人を取り上げ、終章の第6章では夫を戦死で失った妻とその家族を追っている。

 取り上げられている方たちは、一部には職業軍人もいるが多くが市井の人たちだ。大文字の歴史を描くことではなく、小文字の歴史を描き、実体験を持たないわれわれにわかりやすい成果だ。
 8月14日に「栗原俊雄『東京大空襲の戦後史』(岩波新書);戦争被害者への補償は我々国民の責務だ」で紹介した書籍とともに、市井の人たちを描く良書だ。

つけたり:
 学術書ではない新書に求めるのは酷かもしれないが、典拠や出典を掲載してほしかった。また、関心のある向きに勧めるブックガイドを掲載してほしかった。

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 最後に、気になることを述べる。いずれも言葉遣いに関してだ。日記などからの引用やインタビューでの発言の引用ではなく、著者自身の地の文での言葉遣いだ。
 
1)価値から自由でない言葉を使うこと
 特定の意味合いを持つ言葉を使っていることに違和感を持つ。
 具体的には、「初陣」、「散る」、「玉砕」である。この3語は戦時に使われ、色付けされた言葉になった。あえて使うのであれば、その表現を避けては重要な何かを伝えられないと考えるときだ。しかし、以下に引用するように、特別の表現ではなく、一般的な表現で充分である。

(1)「初陣」(3か所に使用)
 初めて戦いに出ることを意味する。この語は日本の武士に由来する言葉で戦記物などで使われた、その後、初めて試合に出場するなどの意味が付け加わったものだ。
 武士に由来する名残は、現代でも武者人形(五月人形)の商品名に「初陣飾」と名付けるなどがある。
 アジア太平洋戦争中には、『初陣の戦場心理』(偕行叢書 ; 6、1936年)が出版されている。発刊の辞には「当編纂部は明治初期戦以来満洲事変までの諸戦役竝事変に従事したる将士の初陣の戦場心理をたづねて一本を編した」とある。
 歌謡では、『さくら進軍』 (西條八十作詞、1938年)(流行歌)の一節に「明日は初陣 軍刀を 月にかざせば 散るさくら 意気で咲け 桜花 おれも散ろうぞ 花やかに」(株式会社ページワンが運営する「Uta-Net」(歌ネット))とある。また、『海の初陣』(西條八十作詞、1944年)(松竹映画主題歌)の一節に「海の男の初陣の 血潮高鳴る太平洋 見事撃滅し遂げねば 生きて戻らぬこの港」とある。
 本書ではたとえば、「真珠湾攻撃で初陣を飾ったばかりの藤田恰與蔵中尉は<後略>」(p.51)だ。

(2)「散る」(2か所に使用)
 「中川紀雄飛曹長が、<中略>戦死した。そして、沖縄戦の敗北がすでに決定的な五月二五日に出撃した吉田湊飛曹長まで、二〇人が特攻隊員として戦場に散っていった。」(p.184)、「太平洋の各地に散っていった、七〇〇人近くの真珠湾攻撃隊員たち<以下略>」(p.217)
 単に花や葉などが散るのではない。『広辞苑』第4版には「(比喩的に)人がいさぎよく死ぬ。多く、戦死にいう。」とある。デジタル大辞泉には「人がいさぎよく死ぬ。多く戦死することをいう。」(2022年12月13日閲覧)とある。
 戦時に使われた散るは、散華(はなばなしく戦死すること)とともに使われた。

(3)「玉砕」
 たった1か所(p.143)だが玉砕を使っている。
 戦時に、部隊などが全滅したことを表す言葉として使われた。 1943年5月30日、アッツ島の戦いで日本軍守備隊が全滅したことを大本営が発表するときに使った言葉とされる官製用語だ。(元は「北斉書‐元景安伝」にこの言葉があるとのことだが)。


2)他者の行動を形容する際の言葉遣い
 ドキュメンタリー制作に関連した出版物であることから、表現は淡々としていることが必要だ。この本でいえば、国家が起こした戦争という大きなものに翻弄された元隊員やその家族の生きざまを描くことだ。感情移入や彼我のどちら側に立っているかに誤解を与えるような表現、あるいは、行動の評価は不要だ。

(1)「襲い掛かる」(4か所に使用)
 「彼ら[イギリス軍戦闘機:引用者注]は、投弾の前後、爆撃針路に入った編隊がまっすぐに飛ぶ最も無防備な瞬間に襲い掛かってきた。」、「そして、渡部機の最後を見届けた城さんの艦攻にも、敵が襲いかかってきた。」(いずれもp.100)。
 「<前略>そこにアメリカ軍の戦闘機が襲いかかる。」(p.104)。
 「戦史研究家の森史朗さんは、襲いかかってきたのは、<中略>レキシントン戦闘機隊のセルストロム少尉ではないかと考えている。」(p.105)

(2)「ものともせず」
 「激しい対空砲火をものともせず、空母「ヨークタウン」(二代目)に向かってきたその天山は、<中略>激しい水しぶきを上げながら海中に墜落している。」(p.152)。
 『広辞苑』第4版によれば、「ものともせず」は、「困難や障害を何とも思わない」、「問題としない」とある。

(3)「もくろむ」
 「日本本土空襲をもくろむアメリカが <以下略>(p.160)。

 『広辞苑』第4版によれば、「もくろむ」の第1番目の語義は「たくらむ」で、続いて「企てる」、「計画する」としている。