『専修大学百年史』に、専修学校法律学講義筆記の発行状況が、開講年次ごとに表状にして掲載されている(pp.465-484)(注1)。
具体的には、1886(明治19)年度を第1期、1887年度を第2期、1888年度を第3期、1889年度を第4期として、各期ごとに、講師、筆記者、科目名、ページ数、備考を表としている。たとえば「第24表 第1期第1年級法律学講義筆記の成果」は、1886年度第1年級の法律学講義筆記である(p.466)。
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注1: 法律学講義筆記は、第1期は第1年級分を、第2期は第1年級、第2年級分を、第3期は第1年級から第3年級分を、第4期は第1年級から第3年級分を発行した(『専修学校百年史』pp.433-446)。 |
以下の表は、『百年史』から法律学講義筆記第1年級配当科目について、複数の期で、同じ講師、同じ筆記者、同一ページ数のものを抜き出して私が作成したものである。
「契約法」は第1期から第4期まで連続して、合川正道が講義を行ない、芳賀重太郎は筆記を行なって講義筆記を発行した。そして、いずれの期の講義筆記もページ数は337ページである。同様に、「親族法」、「動産売買法」が、4期連続して同じ講師、同じ筆記者、同じページ数である。
また、「私犯法」、「動産委託法」は3期連続して同じ講師、同じ筆記者、同じページ数である。
<法律学講義筆記第1年級配当科目について、複数の期で、同じ講師、同じ筆記者、同一ページ数のもの>
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
法学通論 |
岡野敬次郎 |
三浦恒吉 |
238 |
第2期 |
法学通論 |
岡野敬次郎 |
三浦恒吉 |
238 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
契約法 |
合川正道 |
芳賀重太郎 |
337 |
第2期 |
契約法 |
合川正道 |
芳賀重太郎 |
337 |
第3期 |
契約法 |
合川正道 |
芳賀重太郎 |
337 |
第4期 |
契約法 |
合川正道 |
芳賀重太郎 |
337 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
親族法 |
高橋捨六 |
内藤義一 |
211 |
第2期 |
親族法 |
高橋捨六 |
内藤義一 |
211 |
第3期 |
親族法 |
高橋捨六 |
内藤義一 |
211 |
第4期 |
親族法 |
高橋捨六 |
内藤義一 |
211 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
私犯法 |
榊原幾久若 |
内藤義一 |
384 |
第2期 |
私犯法 |
榊原幾久若 |
内藤義一 |
384 |
第3期 |
私犯法 |
榊原幾久若 |
内藤義一 |
384 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
動産売買法 |
相馬永胤 |
三浦恒吉 |
214 |
第2期 |
動産売買法 |
相馬永胤 |
三浦恒吉 |
214 |
第3期 |
動産売買法 |
相馬永胤 |
三浦恒吉 |
214 |
第4期 |
動産売買法 |
相馬永胤 |
三浦恒吉 |
214 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第2期 |
動産委託法 |
目賀田種太郎 |
内藤義一 |
310 |
第3期 |
動産委託法 |
目賀田種太郎 |
内藤義一 |
310 |
第4期 |
動産委託法 |
目賀田種太郎 |
内藤義一 |
310 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第2期 |
組合法 |
生沼永保 |
内藤義一 |
170 |
第3期 |
組合法 |
生沼永保 |
内藤義一 |
170 |
このことをどのように理解すればよいのだろうか。
「講義筆記」という名称からは、教室で行なわれた講義を文字に起こしたものと理解するのが一般的であろう。専修学校の場合は、毎週1回講義筆記を受講者に送付したとある(『百年史』p.435ほか)。したがって、何日か前に行なわれた講義が講義筆記に再現されていると理解するのが一般的だろう。
しかし、「講義筆記」を文字どおりに解釈すれば、「いずれかの時点で行なわれた講義を文字に起こしたもの」という意味でもあり、専修学校法律学講義筆記に引き付けていえば、ある年度の講義について文字起こしを行ない、その講義録をそのまま数年にわたって講義筆記として受講生に送付したとも解釈できる。
『百年史』には以下の記述もあることから、この解釈が間違いではないのかもしれない。
第1期が終了し、第2期では「第2年級の分をあらたに発行し、第1年級の分も、初号から発行したのだが、その第1年級の分は、第1期の分を、そのまま増版したのではなく、学科目も講述者も、大幅に入れかえている。専修学校における学科目と、受持講師が、変わったので、講義筆記にもそのままこれをとりいれたのである。同じく第1年級の講義筆記といっても、第1期と第2期で、大きく違っている事実は、注目を要する。」(p.442)。
また、第2期が終了し、第3期では「第3年級の分をあらたに発行し、同時に第1年級第2年級の分も、初号から発行したのだが、第1第2年級の分は、第1期又は第2期の分を、そのまま再版したのではなく、学科目も講述者も、相当に入れかえているのが注目される。例えば『法律学講義筆記』第1号の学科目と講述者を第1期のそれと比較すると、そこには大きな入れかえが行なわれている。経済学第1年級の第1号について見ても、第1期には、駒井重格の経済要論があったが、第3期では、それが除かれている。これは駒井が明治20年以来、肺結核で倒れて、21年度も欠講したためである。して見ると、各期の講義筆記は、専修学校で実際に行なわれた講義内容を、忠実に筆記編集したものと見られる。同じく第1年級の講義筆記といっても、第1期と第2期と第3期によって、相当なちがいがあるのである。」(p.444)。
さらに、明治22年8月に『東京日日新聞』に専修学校が掲出した広告の解説として、「第4期に入っては、政治科については第1年級、法律科・経済科については第1第2第3年級の分を、発行することとしたのである。しかし法律科と経済科については、年々改善を加えたとはいえ、すでに何回も募集したから、ともすれば魅力が乏しくなっている、これに生気をあたえるため、法律科にあっては、民法・商法・訴訟法等、新法の草案を評論し、また有益な特別講義を加え、経済科にあっては、本科の参考となるべき、欧米経済学者の名論、卓説をかかげ、また重要な日本の経済財政に関する事項を、掲載するというのである。」(p.446)。
以上の『百年史』の記述について読者はいかがお考えでであろうか?。
なお、『百年史』には、上記に指摘したような同一講師、同一筆記者、同一ページ数の科目が複数年にわたって、しかも、複数あることについて説明はない。
<あとがき>
なぜ以上のような疑問を持ったのかについてコメントしておく。
偶然入手した専修学校法律講義録の「人産法」(高橋捨六)、「動産売買法」(相馬永胤)、「契約法」(合川正道)についていつ行なわれた講義なのかを『百年史』を調べて、沸き上がった疑問が端緒である。
<参考 経済学講義筆記の例>
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
経済大意 |
田尻稲次郎 |
高雄馬一郎 |
194 |
第2期 |
経済大意 |
田尻稲次郎 |
高雄馬一郎 |
194 |
第3期 |
経済大意 |
田尻稲次郎 |
高雄馬一郎 |
194 |
第4期 |
経済大意 |
田尻稲次郎 |
高雄馬一郎 |
194 |
期 |
科目名 |
講師 |
筆記者 |
ページ数 |
第1期 |
経済原論 |
中隈敬蔵 |
高雄馬一郎 |
382 |
第2期 |
経済原論 |
中隈敬蔵 |
高雄馬一郎 |
382 |
第3期 |
経済原論 |
中隈敬蔵 |
高雄馬一郎 |
382 |
第4期 |
経済原論 |
中隈敬蔵 |
高雄馬一郎 |
382 |