昔を探りに行ってきた。

 

福島から米沢へ抜ける国道13号の旧道にある栗子隧道。

 

現在建設中の東北中央自動車道の日本で5番目に長いトンネルとなる栗子トンネル(仮称)は、難所栗子峠をくぐる4代目のトンネルである。

 

この4代目に関わる仕事で現場を訪れたときに廃道となっていた栗子隧道を求めて山へ入った。

 

 

すでに道はなく、道だったと思われる草むらを歩き続けること約一時間

 

 

目の前に現れたのが世間から忘れ去られたような。そしてここだけ時がずっと早く進んでしまった、そんなトンネルが姿を現した。

 

近づいて扁額を見ると「道隧子栗」「工竣月三年十和昭」と右から書かれた2代目の栗子隧道。

 

 

あまりにも痛々しい姿だったので、忘れ去られていた間、ここで何が起こっていたのか理解できず、しばらく立ち尽くしてしまった。

 

気を取り直して、トンネルの中を覗いてみた。

 

当時のトンネルとしては870mと長く、もちろん反対側の坑口の明りは見えないが、かすかに何かそこにあってはいけないものがあるように見えた。

 

 

恐る恐るトンネルの中に入って行く。

 

 

このトンネルは一応コンクリートで覆われたトンネルなのだが、そのコンクリートがひび割れ、剥がれている。

 

 

あー落盤している。

 

 

工事中のトンネルでの落盤は聞いたことがあるが、覆工コンクリートで覆われたトンネルが崩れ落ちるとはショックであった。

 

 

トンネルを掘っていたときに地山を支えていた木製支保工が見えている。

 

永遠の構造物だと思っていたコンクリートが朽ちている。

 

 

足元には、崩れ落ちたコンクリートや木製支保工に砂利化した地山だろうか。一緒になって溜まっている。

 

出典:栗子トンネル工事誌1968年東北地方整備局福島工事事務所より

 

建設当時の写真です。木製支保工で支えながら掘削しています。

この木製支保工がコンクリートの背面に見えており、地山と一緒になって落ちている。

 

 

また、コンクリートの破片が鉄筋に引っかかってぶら下がっている。なにか晒し者になっているような。

 

 

鉄筋を使ってまで丁寧に作られたはずのトンネル。

 

 

廃道となって、誰も通ることがなくなり、寂しい思いをしているときに、人知れず崩れたのであろうか。

 

誰かがいれば、崩れることもなく、その前に手当もできたであろうに。

 

当時は無くてならない重要なトンネルも、一瞬に役目を終えてしまい、人の記憶から忘れ去られたのか。

 

なにか虚しさを感じてしまった。