僕の仕事遍歴(ウェーター期初期) | Takaの司法試験やるよやるよブログ

Takaの司法試験やるよやるよブログ

司法試験とあとその他のブログ

このブログは大体読んでくれている人が決まっているみたいです。

いつも同じくらいの閲覧数を低空飛行してます。

今回から数回に分けて僕の仕事遍歴を書いていこうと思います。

 

以下、簡単な僕の仕事遍歴です。

 

ウェーター(大学時代)→ニート→日雇い→ホスト→塾講師/お通夜の警備員→特許翻訳→サーバー運用→セキュリティーエンジニア→施設警備員

 

ウェーターをやっていた時期が一番長く、6年やりました。

大学に通っていた期間全てです。

ウェーター期はたくさんの店で働いたので、エピソードが豊富です。

なので、数回に分けて書こうと思います。

最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

まず、今回はウェーター期初期について書きます。

 

 

僕は高校2年生からアメリカにいました。

大学進学をする際に、映画や本からFBIのプロファイラーという仕事に憧れた僕は犯罪心理学を学ぼうと思いました。

そこで、大学を探したところ、田舎の私立の大学とニューヨークの公立の大学が見つかりました。

学費が比較的して10分の1以下だったことからニューヨークの公立大学に通おうと思った僕は、TOEFLを受けて、願書を出し、受け入れられました。

 

ニューヨークに着いて最初にしたことは住むところを探しながら仕事を探すことです。

ニューヨークは仕事がたくさんあり、留学生でも働くことができると聞いていたからです。

 

道を歩いていたら、日本食レストランの張り紙にウェーターの募集がありました。

すぐに面接をして、結局、研修生ということで採用になりました。

 

このレストランは老舗のレストランで、チップをオーナーにも持っていかれるので、7時間くらい働いて、30~40ドルくらいにしかなりませんでした。

寿司シェフの人にはよく飲みに連れて行ってもらいました。

3ヶ月くらい働いたところで、遅刻が2回続き、クビになりました。

今思うと相当厳しかったと思います。

オーナーはいつも怒ってました。

店の雰囲気は悪かったですが、一緒に働いている人は学生だったり、モンゴルから来たラッパーを目指している人だったりしました。クラブ活動みたいで、楽しかったです。

ハロウィンの日に仮装をして飲みに行ったときにアメリカ人に見間違われたのをよく覚えています。

デッドプレジデンツという映画に出てくる銀行強盗の仮装をしていました。

顔を白地で塗り潰し、そこに黒で柄を書いたので、よく分からなかったのでしょう。

その店を皮切りにして、僕はお客さんや同僚とよく話すようにして、英語の話す力を磨きました。

クビになったときに、マネージャーが次の店を紹介してくれました。

 

次の店は固定給の店でした。

チップをもらっているのになぜか固定給でした。

でも、6時間ほど働いて、50ドルになったので、当時の僕としては嬉しかったです。

店は結構有名な店で、日系の芸能事務所の社長がサイドでやっていました。

その社長は店で飲食をするときはいつも違う日本人の女の人を連れていました。

多分キャバ嬢だったと思います。

その店では、祖父が人間国宝で継ごうと思っている人や映画監督志望の人、ミャンマー人のとてもきれいな人、バングラディッシュ人のいつも疲れている人、元々天皇の料理人だった人たちと知り合いました。

祖父が人間国宝の人と映画監督志望の人とはその後も付き合うことになります。

あと、その祖父が人間国宝の人の友達で、香港から来ていた経営を学んでいた人とも知り合いました。

そのお付きの中国系アメリカ人の高校生の娘とも知り合いました。

ミャンマーの人とは一度デートに行きましたが、合いませんでした。

その映画監督志望の人には僕がウェーターのやり方を教えました。

初めはよく分からなったみたいだったので、「日本語だったらなんて言う?」という教え方をしました。

国連が近かったので、よく国連の人も食べに来ました。

日本から国連に派遣されている人もよく来ました。

話はそれますが、そのレストランでは、毎日、実際に作った寿司をサンプルとして店頭に飾ってました。

その祖父が人間国宝の人は、毎回、店が終わった後にそのサンプルを持ち帰って、台湾人のルームメイトの女の子にあげてました。たまにそのルームメイトが腹を壊してました。

そこでも3ヶ月くらい働きましたが、ある日、仕事中にそのオーナーが食べに来てて、仕事の具合を聞かれたところ、その当時週に一日しか働いていなかったので、その旨を伝えたら、速攻でクビになりました。

アメリカではバレンタインの日に男子から女子に何かをあげるということになっていて、その年はそのミャンマー人の人に香水をあげようと思って、でも仕事場で着替えるときに大量にこぼしてしまい、一日中体がとても香水くさくなりました。

あと、そのとき、たまたま近くの日本食レストランで大学の友達が働いていたので、そのときくらいからたまに飲みにいくようになりました。

 

その後少しして、日本語のフリーペーパーでウェーターの仕事を探し始めました。

 

 

次回に続きます。