十数年ぶりに読みました。


初めて読んだあの時の衝撃というか、

自分の愚かさが忘れられなくて。



本の凄いところは、

視覚を排除して視覚的に残るところ。

(どゆこと)


本を読んでる時っていわゆる、「活字」を読んでいるだけじゃないですか。

でも実際は映像を観てません???

正確には、映像が脳内再生されている。


だからね、騙されるんです。

文字から映像化されたものは、文字に騙されるがままに自分の脳が都合よく生成したもの。


これ以上のオリジナルエンタメないよなって思うんです。

(原作者様の作品ありきで正確にはオリジナルではないけど笑)


楽しみ方としてのオリジナル?


絶対に実写では表現できない領域があって、読んだ人の数だけ映像が何億通りも存在する。



今回久しぶりに読んだわけですけども、あの頃の自分は新宿がどんな街で、都会の路地がどんなものかを知らなかった。


今の私は少しばかり東京を経験したことがあるので、その「場所」のイメージも当時とは違う訳で。


読み手がいろんな経験をして、場所を見て知って、いろんな人やモノと出会って、その情報が多く豊かであるほど脳内再生される映像の信憑性が上がるんですよね。


明らかに当時読んだ時の映像とは違う描写があって。

原作は何一つ、何一文字変わってないのに。

同じ人間が読んでも、その時の状況や年齢でまた違って見えてくる、そういう面白さとか。


そんなことを改めて感じながら


「片目の猿」

道尾秀介先生の著書はこの作品が初見でした。

(その後「カラスの親指」も読みました。これもね、近々もう一度読みたいと思ってます。)


すごく考えさせられるテーマが詰まっているのに、どこかユーモラスでスッキリ爽快、そしてズンとくる。上手く言語化できないけど、読み終えた後に大事ものを手に入れた感覚があるんですよね。


それなのに人の記憶は完璧ではない。必ず時間と共に抜け落ちて行くし薄れていく。


手に入れたはずのものを簡単に手放してしまう。


これはこれまでいろんな作品を読んでいろんな感動を得て、なのにその内容を忘れてしまう、これを繰り返すたびに思うこと。


私なんてそんな、読書は好きだけどこれまで読んだ作品の数なんてたかが知れていて何も語れた口ではないんですけどね。ただの恥晒しですわ。


でも、本を読んだ後にしか得られない充実感って間違いなくあって、それを自分の心に感じさせること、これはこれからも時々やっていきたいな、と思ってます。


なんとも抽象的なことばかり喋っているな。笑


何かを明かしてしまうと、「本を読みながら」「読み終えた」時に得る感動の大きさを半減させてしまうから、真っ新な状態で読んで手に入れてほしい。


そういう意味で内容には触れないでおきますが。


読書に精通していなくても楽しめる、そして考えさせれる、手に入れられる、ものが、あると思います。



オススメ♪



帆坂くんの焼き豚を食べてみたいです。