破戒

この感想は一度Xにポスト済みなのですが、

ブログ用に修正もしつつ、
改めてこちらへも置いておこうと思います~

考えさせられる作品ですのでね、
大変真面目に書いております。

 

あと常々自覚あるんですが、

最近Xでね、"考察厨"という言葉を目にしまして。

 

・・・我やんにっこり

 

となりました。

(いや、まぁでも考察と言えるほどのもんでもないか)

 

度々考察厨もどきのブログにお付き合いいただきましてありがとうございます。

今日も元気に考察してます歩く

あくまで個人の感想ですが、
興味がある方が…いらしたら、ぜひ笑


途中映画のシーンについても触れているので
ネタバレされたくない方は閲覧注意でお願いします。



------ハサミ---------- キリトリ ----------ハサミ------


まずは映画の中でいくつか印象に残ったシーンを通して語りますね。
(長くなるやーつじゃないこれは?みなさま、途中退室可能です)


これは特記事項として先に申し上げますが、

丑松の話す‟言葉”がとにかく丁寧で綺麗で。

容姿の端麗さに、落ち着いた雰囲気と、

生徒一人一人と対人間として誠実に接する

瀬川(丑松)先生の生きている普段の様子(言動)というのは、

観ていて背筋の伸びるような感覚になってしまいますね。


スター丑松が志保の呼び方に想いを巡らすシーン

『志保さん…お志保さん…お志保…志保…』

志保に近づきたい気持ちと
身分をわきまえねばと制する気持ち
志保に迷惑をかけたくない

純粋な好意が見えて苦しい。
何の曇りもないはずの気持ち(心)なのに
その心が自分の外側に出た瞬間にその世界が曇っていくことがわかるから、内に秘めるしかないという選択。

その時丑松が見上げた空は、かつて父に『決して身分を明かすな』言われた時の曇り空で。

対して作中前半で志保が見上げたのは澄んだ空で。

 

この時志保は丑松の素性についてはもちろん知らず、丑松の心をその澄んだ空のように捉えていたんだろうなと。


同じ空の下で違う空を見上げている2人
っていうもどかしさが美しく描かれてません?

破戒を鑑賞していて思うのは、
心情を表す描写が無理なくわかり易くかつ美しいってことかなぁ。

義務教育の教材にすべきだと思うよね。(誰)


スター丑松と志保が2人きりで部屋で明星を読むシーン

 

これね、もう勝手にドキドキしちゃったラブラブ

本人同士にそのつもりはないんだけど、

客観的に見ているこちらだけが2人の心の寄り添いを感じてしまう、

その仕組みが素敵だなと...キューン


スター猪子先生が自分を訪ねて来たことを知った丑松

キラキラの目、逸る気持ち、憧れ
丑松の反応、挙動が可愛くもあり 

身分を隠さずむしろ矛として立ち向かう猪子先生の生き方への憧れがものすごくて。
丑松がこんなにも高ぶる感情を露わにするってのが、作中を通しての丑松のもの静かで勤勉で端麗な感じと対比してビビットに飛んできてなんかすごく良かったです 乙女のトキメキ

そんな中猪子先生に言われた
「誰に対しても偏見を持たない、まっすぐな心を持つ君」
という言葉への罪悪感。。。

自分の身分を隠す=差別意識(偏見)がある

尊敬する猪子先生をも欺いてる事実を打破したい気持ちが強くなり、
大切な人たち(猪子先生、志保、銀之助、子供たち)へ嘘をつき続けることの苦悩より、打ち明けて自分が自分として生きていくこと、立ち向かうことへの決意を固め、
『次会った時に話したい』
と猪子先生に伝える丑松。

この一連のシーンを見ていると、
丑松にとっての猪子先生の存在の大きさを感じずにはいられなくて。


スター省吾さん(生徒)が兄の戦死に心を傷めるシーン

省吾を抱きしめ、“歯を食いしばって耐える”ことを教える丑松の姿にあるように
この作品の中で、瀬川先生(丑松)が生徒一人一人と心で向き合う姿にも胸を打たれ続ける…


スター銀之助に身分を打ち明けるシーン

 

ここも凄く良いですよね。

誰よりも先に銀之助に打ち明けた丑松も、

 

丑松の素性を知った後の銀之助の言動が

その前後で変わらないでいてくれて、

むしろ丑松を傷つけるような過去の発言を詫び、より一層丑松のことを思ってくれていることも。

 

この2人の関係性が救いでした赤ちゃん泣き



スター演説の日の夜、猪子先生が殺される

先生の亡骸と対峙する丑松は、“歯を食いしばって”も耐えきれない程の感情(怒り・悔しさ・絶望)に襲われる

その瞬間に消えるランプの灯り 
→丑松の心の光(希望でもある猪子先生の存在)が消えてしまったということ

やっぱり描写がわかり易くてスッと入ってきますね。

そして丑松が口にしたのは、

『我は、〇〇なり。』

光を失い虚無の状態で身分を表す言葉を口にしたこの時
これまで築き上げた"瀬川丑松"という一人の人間が消滅し、"身分"だけが残された、ということではないかと感じました。

これが、瀬川丑松の破‟壊”だとして、


スター‟無”となった丑松は身分を打ち明ける

翌日学校で生徒たちにそっと優しく打ち明け始める丑松の声が本当に優しくて…泣くうさぎ

 

『将来小学校時代を思い出したときには、(身分を明かした)先生が別れの時、祈るような気持ちで、(身分など関係なく)同じ人間であることを訴えていたことをどうか思い出してほしい』
この言葉の意味って何なのか。

 

この時既に子供たちの心には、身分など関係ない、大好きな‟瀬川先生”がいて。

丑松と子供たちは心で通じてたということだなぁと。

 

身分なんていうのはただの言葉に過ぎない

人を言葉で判断することがどれだけ愚かで浅はかなことなのか、先生が身をもって示してくれたから、子供たちの心もきっと身分から解放されただろうな。


だから丑松の祈るような気持ちは、将来思い出すまでもなく、子供たちの中に届いていて、子供たちの中の差別意識も“破壊”されたはずで。

 

それまで身分差別の意識を持っていた省吾が
「身分なんて関係ない、先生は先生だ」
と声をあげ、仙太に向かってうなずいたことが、はっきりと示してくれていてぐすん

 

こうして身分を明かした上でも尚、子供たち、銀之助、志保の心に、改めて瀬川丑松という人間が存在し続けたことが、丑松自身の再生だったのかなぁと。


あと、ラストの銀之助、人としてめっちゃかっこよかったなぁ指差し飛び出すハート


そしてね、ついに丑松が志保と2人、同じ空の下を歩んで行く終わり方が、スッと心に溶け込んで。


スッキリと晴れ渡る空ではないけれど、これから待ち受ける未来への不安も含むような、でもその空に確実にある太陽の光も感じられて、最後の最後まで受け取り甲斐のある美しい描写だったなぁという感想にござりますキラキラ


自分を苦しめ続けてきた身分という「戒め」を「破った」瀬川丑松という1人の人間の「破壊」と「再生」の物語


破戒


タイトルまで見事でした。

原作読んでみたいなぁ…


あとは、この作品を通して考えさせられたことを。


間宮くんをはじめ、制作に関わった方々の想いを正しく受け止められていることを祈りつつ。。

この映画が再構成されて、今の世の中に投石してくれることの意味、をすごく考えさせられた。
何が良くて何が悪いのか、そういう取捨選択をしていく『基準』て何なのか?と。

誰かが言っているから?
もし人と違うことを言えば…
あの人の行動の方が正しいのでは?

SNSを活用している身として、どんな情報に身を寄せて、どう判断するのか、それって正しいのか間違いなのか、本当に自分の意見なのか、必要か不要か。

SNSなんて顔も見えなければ声も聞こえず名前も知らない人との繋がりで、だから簡単に言葉を投げられる。
相手の表情も見えないのに。
声も聞こえないのに。
笑った絵文字の裏で泣いてるかもしれないのに。
文字を打つ指は怒りに震えているかもしれないのに。

だから、想像力を欠かしてはいけないなと。

自由な場所で楽しい場所でそれを制限する必要は無いと思うけど、自分1人の自由では無いことを忘れないようにしないとな、と思うなどしました。

そしてまた、どんなに身勝手な言葉が飛び交おうとも、互いの心を理解している者同士なら繋がっていられる、ということ。

丑松の打ち明け以後の銀之助の立ち居振る舞いが…
丑松が掴んで離さなかった子どもたちの心が…
丑松の心に惹かれた志保の想いが…
心と心の繋がりがもたらす希望も教えてくれて。

文字が流れてくるだけの世界にも、
人の心があって、
繋がりがあって、
救われる人もいる。
そういう瞬間が、増えていくといいな、と思います。



はぁ〜〜〜

丑松の美しさで一杯やれるぅ生ビール

(最後の最後にこの珍しく真面目な回を破壊すな)

(お後がよろしいようで)