私は会社のストレスで、とある身体の病気を発症しました。
専門のクリニックで眠れないと言ったら、即効で精神科への紹介状を書いてくれて、精神科にも通院することになりました。
この医師の「僕、専門領域しかみません」という姿勢の是非は置いて今はおくことにする。最近多いらしいけど。
で、インテークであれこれ話してる中で精神科の先生に言われたのが、タイトルの言葉。
手帳が欲しいんなら、いつでも書くよ、鬱病で。
よくよく聞いたら、私の診断的には全然鬱病ではないらしい。
手帳取得用に鬱病の診断書作ってくれるっていう意味なんだよね。
言葉の障害で、身体障害者手帳ならもらいたい。でも、精神手帳持ったらそれはそれで痛くもない腹を探られることになりはしないんだろーか
という訳で、余計ややこしくなる気がするのでとりあえず見送りに。
精神科の手帳の軽さはよくわかった![]()
もちろん、本当に重い人がいることは知ってるので、もし私が手帳を持ったら精神の人にも嫌がられるに違いないし。
しかし、こう雇い止め事件の被害者になることが多いと、さすがに健常者として生きるの、無理かも?という気もしてくる。
でもね、これは社会と周囲の人によって、作られた問題というか、文字通りの障害なわけで。
社会が受け入れないから、私は障害者になります。って、どう思いますか??
社会って、やっぱり障害者増やしたいのかな?
ちょっと問題があると、なんだかんだといちゃもんつけて、病んでそのままとか、発達発見したりとかになるのを見ると、健常者は健常者だけの世界を作って、それ以外は障害者枠の中で生きてね、ってことのような気がしてくる。
全然インクルージョンする気がない世界![]()
まさか目指してないよね、社会福祉士会さん。
とりあえず行動はめっちゃエクスクルージョンだけどねー
うだうだ書きましたが、とにかく私は身体障害者手帳が欲しいです![]()