「群盲像を評す」あるいは「群盲像を撫でる」
インド発祥の寓話だそうです。
仕事や家族との関係で、まさに、この状況だなーと思うこと多々です。
一言で言うと、自分が正しいと思うことは、他者(大事な家族含む)にとって、必ずしも正しくないということです。
気をつけなきゃと思います。
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イラストは下部のサイトから引用させてもらいました。
こういう話だそうです。
ある王様が盲人たちに、像に触らせた。
しっぽを持った人は「ロープのようだ」
腰を触った人は「壁のようだ」
牙を触った人は「ヤリのようだ」
彼らは自己の主張を曲げず、論争を始めた。
どれも、像を形容する言葉としては正しいのに。
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この話は、「人は物事の一部でしか理解していないのに、全てを理解したと錯覚して主張してしまう」という喩えになります。
人間がみえている景色、保有している情報、物事の捉え方は、それぞれ違う。
なので、「語る人の数だけ真実がある」
その前提に立てば、自分の主張を押し通す前に、自己の固定概念を疑い、まずは聞く。
その人の主張をよく聞き、その人が何に触れているのか(何を感じているのか、何を考えているのか)を傾聴して、それを受け入れる。
その人の視点に立ち、主張を受け入れつつ、自分の意見を言うことが良いということになります。
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人間の固定概念は、自ら客体視するのは困難で、(だから固定概念というのでしょう)なかなか出来ないことですが、他者の主張を謙虚に聞くなかで、自己の固定概念を振り返る。
その上で、相手の主張をリスペクトする。
「群盲像を評す」あるいは「群盲像を撫でる」
はそれを教えてくれるように思います。
ほんと、なかなかできないことなのですがね。。。
このサイトを引用します。