大学を卒業し、社会人になってからしばらく、留年する夢をみました。

そのくらい僕の卒業はヤバかったです。


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当時、早稲田はヤバい連中が学費値上げ闘争をしていて、試験のボイコットだと、ストライキをやりだしました。学生がストライキって何なの?という感じですが、期末試験の最中に乗り込んできて、試験をやめさせたり、僕ら一般の学生にとってはとても迷惑なことをしていました。


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試験のストライキにより、多くの学部は期末試験をレポートにしたりしていたので、楽になったと喜んでいた学生が多かったです。


ところが、僕ら法学部は「見せしめ」となったのか、なんと5日間程度の期間で、全科目の試験という状況になりました。


当時の法学部の試験は、ほとんどが論文を書く試験でした。例えば簡単なものでは、「憲法第9条における◯◯について、〇〇字で論ぜよ」といった問題が典型的なのですが、難しいのは、その科目を担当する教授が主張している学説を書く必要があることです。その教授が支持する学説を書くことが、授業に出て、学びを深めた証拠になるということなのでしょうか。


どう対策するか。

授業などには、ほとんど出ずに遊んでいた僕は、広い校友関係を活用して、その教授の過去問と模範解答を集めて、とにかく覚えまくる。

だいたい3000文字(訂正 大袈裟でした。1000文字くらいだったかも。。)くらいの論文を、3から4パターンの過去問対応として暗記して臨む。

それをだいたい10科目分やる。


憲法は分かり易いけど、国際法、労働法も良いとして、民法各論、民事訴訟法など、どんどんマニアックになっていくと、とにかく難しい。


しかも、法学部の試験は何故か油性ボールペン必須。

その期間の手はボールペンの黒と、修正液で真っ白になっていました。。苦笑


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それをストライキの影響で、5日間(あれ?7日くらい?)の中でこなさなきゃならない。

その当時の僕は、徹夜続きで眠いし、学説が頭の中に渦巻き、狂気すら感じられる時期でした。。


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そして、そして、またこれ言いたいのですが、当時の卒業に必要な単位は確か164。

しかも各学年で取得できる単位数の上限には余裕がないので、各学年でそれなりに単位をとらないと、すぐに留年決定。。。


今、息子は法学部ではないですが、卒業に必要な単位は124。法学部は136のようです。


ズルいーーー!!!


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そんな思いが渦巻きましたが、あれ??

本当に164??ん十年前だから、あやふやな記憶?それとも悪夢???


そう思い立って、大学時代の成績表を入手してみようと思いました。


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調べたら、大学時代の成績表の入手は楽でした。


卒業しても大学との繋がりを持とうと、校友会に登録し、大学のメールアドレスを入手しておいたので、今の学生が授業に使っている、My Wasedaに自分のメールアドレスでログインし、自分の成績表をリクエスト。


その後、コンビニで手数料を支払いをしたら、コンビニのプリンタから印刷できました。

なので、成績表をゲットしようと思ってから、1時間も経たないうちに、成績表を手に入れることが出来たのです。


いまのテクノロジーはすごいーーー


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そして入手した成績表。


改めて確認できたこととして、、、、

・やはり、成績はとても悪い。苦笑

優が、少なすぎるーーー


・もう一つ確かめられたこと。やはり記憶どおり、卒業のために取った単位は164でした。


164は多すぎです。

しかも、必修だらけ。


息子の学部はほとんどが選択。

自分で学びをデザインできますし、他学部の授業もとれる。


ズルいーーー


ただ、こんなにたくさんの科目に取り組んだこと、ほとんど覚えていないーーーー苦笑

試験がツラかったことくらいしか記憶にないーー


民法だけでも、6つもある!!

そんなに民法やったっけーー?



ということで、恥ずかしいですが、僕の超悪の成績表でしたーーー