書籍について、僕は最近はあまり小説は読んでいない。読むものは、大抵ビジネス書、歴史物、ノンフィクションである。
それでも小説では、平野啓一郎だけは読むようにしている。『ドーン』も『マチネの終わりに』もとても素晴らしかった。
その平野啓一郎が、最近長編小説を出した。
文藝界 6月号に掲載された「 ある男」である。
これまた素晴らしかった。素晴らしすぎる。
Twitter に以下をつぶやいた。
「自分の存在とは何なんだとも考えさせられた一方、自分の人生への愛おしさも感じられた」
そしたら、平野啓一郎さん自身がリツイートしてくれた!
ところで、平野啓一郎の筆力は凄いと思う。
村上春樹のような謎かけはない。
彼の小説はある意味、論理的とも思える分かりやすさである。
今回の小説はその分かりやすい文章が、幾重にも塗られる質の高い絵画のように「自己の存在とは何か」を問うてくる。同時代を生きる我々共通の悩みを問うてくる。
彼の作品は、無機質な構造物ではなく、流体や有機物のようであり、情景描写も心理描写も、生(なま)の生(せい)を感じる。論理的と思えるのにだ。
今回の作品には、中学生男子が出てくる。
その母親も出てくる。
それがまたリアルで、思わず共感してしまう。
15才くらいの男子が登場人物の小説としては、村上春樹の「海辺のカフカ」を思い出す。
しかし失礼ながら、思い起こせば、「海辺のカフカ」の主人公が15歳の男子である必要性は感じられない。
同年代の息子がいるからかもしれないが、「村上春樹は15歳の男子のこと、分かってるの?」と今更ながら思ってしまう。要は心に「こない」のだ。
ところが、「ある男」での中学生の悠人くん。
僕の心を揺さぶってくる。強く。
彼の苦しみ、葛藤が、僕の心を揺さぶる。
電車の中で泣いちゃった。
ほんと素晴らしい作品でした。
ありがとう。