北斎とジャポニズムを鑑賞した。

北斎は昔から好きで、すごいとは思っていたけど、最近また北斎の凄さを再認識した思いだ。 

この北斎とジャポニズムでは、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなどの著名な芸術家が、北斎の影響を強く受けていたいくつかのポイントについて説明してくれていた。

2018年1月28日までなので興味のある方々は是非。

ところで、僕には北斎に限らず、シンプルで簡素な表現、プリミティブな表現の中に、本質を見出し、その素晴らしさに全身を震わせる瞬間がある。

割とハードルは高いわけではなく、よくそういうことはある。音楽、小説、絵、スポーツでも。

ただ、一体それは何なのか。何がそれをもたらせるのかについて言語化までは至らなかった。

今回の展示会では、北斎の作品から「それ」の一端を理解できた思いをもった。

それは、この展示会で出会ったこの一言だ。

一筆画譜について語った一節。

筆一本で対象の本質を浮かび上がらせる北斎の画力を西洋の芸術家は見抜いた』

これだよ、これ。と思った。

筆一本の一本の線で本質を描く。

北斎は『「人物を書くには骨格を知らなければ真実とは成り得ない。」とし、接骨家・名倉弥次兵衛のもとに弟子入りして、接骨術や筋骨の解剖学をきわめ、 やっと人体を描く本当の方法がわかったと語った』という。

一本の線に悩む北斎の姿が浮かんでくる。

ところで、この境地、求道は北斎レベルの人だけのものか?

僕はそうではないと思う。

この境地であっても、なくても、求道する姿勢をもって苦闘しているからこそ表現されるシンプルで本質を突く表現。

そこには上も下もない。著名も無名もない。

一人でも「本質を突いている」と感じれば、それは、その人にとって「本質的な芸術」

一人でも「こんなのまやかしだ」と思えばその人にとっては「まやかし」なのだ。

僕は、「そんなの北斎とは比べられないでしょ」と言われても、この時代で、その人なりの表現で本質を求めるアーティストと、僕に「これは本質的だ」と思わせてくれる作品は、勇気を持って礼賛する。

ホントそう思う。

例えば、極端なことを言うと、コールドプレイ





出せば売れる。聴きやすいサウンド。思いきった表現はない。飛行機に乗った時聴くと気持ち良い浮遊感。誰もが作れそうな曲。。どっかで聴いたことのあるサウンド。








一番好きなアーティストというより、誰もにとって5から10番目に好きなアーティストという感じ。

彼らが影響を受けていると言われているU2は一番好きアーティストに数えられるカリスマ性があるのに対し、コールドプレイは主役感がない(と僕は思う)

しかし、ポップミュージック、ロックミュージックの心地よさ、オシャレさ、格好良さ、爽やかさ、聴きやすさ、受け入れやすさの一番美味しいところの「本質」を分かっている気がするのだ。

スゲー!って涙を流すレベルではないけど、なかなかすごいかな、と思うアーティストである。

意外に、スゲー!って涙を流すレベルのものは、また別途紹介したい。