コーヘレトは恐らく当時のヘブライ人が持ち得た最高の科学知識を修めていたであろう。それはもとより極めて限定された範囲内における実証的知識ではあったが、かれはそれの教えるところに従って独自の世界観を樹てようとしたのである。そして、その結論が右に掲げた一・二 - 一一の言葉として纏められ、それが全篇を先導する序文を成している。そこでは一切は「空しい」と判断せられる。だが、それならば、その空しさを破るべき高次の智慧が有るのか無いのか。コーヘレトはそれを求めた――けれども、かかる探究そのものも亦空しいことを悟らざるを得なかった。それを著者は自らの告白として次のように述べている(
一・一二 - 一八
)。
「われコーヘレトはイエルーシャラムにおいてイスラエールの王であった。われは天が下に為される一切のことにかかわる智慧(hokhmah)を尋ね究めるために心を尽した。それは苦しい業であって、神はこれを人の子等に与えて其に悩ましめたもう。われは日の下に行われる一切の業を見た。見よ、それらは凡て空しく、風を追い求めることである。
曲ったものを直くすることは出来ず、
欠けたものを教えることも出来ない。
われは我が心に語って言った、見よ、われは大いなる者となり、われより先にイエルーシャラムに在った凡ての者よりも多くの智慧を増加えたと。 そして我が心は智慧と知識(daath)とを大いに見た。われは我が心をつくして智慧と知識を、狂気と愚かとを知ろうとした。そして、これも亦風を追い求めることだと知った。けだし――
智慧多ければなやみ多く、
知識を増す者は苦痛を増す。」
右の訳文に「尋ね究める」とあるのは原文では darash と tur との二字から成っている前者は「事の根底を探る」ことであり、後者は「ある事を、その凡ゆる側面について究める」ことを意味する。しかしその探究の努力は、何かそれによって窮極の意味を発見しようとするのであれば、いたずら苦痛を集積させるばかりである。
「欠けたものを数えることも出来ない」との諺のとおり、それは何処まで行ってみても結論に到着し得ない無益な追究である。そのような無益な追究を放棄することこそがコーヘレトの説きたい真の智慧なのである。
かく人間の労苦に意味なく、智慧の追究も亦空しいとすれば、人は快楽にその満足を求めるより外に道がない。コーヘレトは、その道をも試みたが、それも亦空しいと悟ったと告白する。二・一 - 一一について著者の語るところを聞こう。
「われは我が心にいった、いざ来れ、われは歓楽を以て汝を試みよう、されば汝たのしき事を経験せよ、と。見よ、この事もまた空しい。われは笑いについて言った、それは狂っていると。また歓楽について言った、それは何をなすものであるかと。われは如何にして我が肉を酒をもって元気づけるべきかと心のうちに探った。・・・・また人の子等が、日の下に、その生命の齢のかぎり、なすべき事として何が善いかを見得んがために、愚かさをも捉えようとした。われは大いなる業を為した。われは我がために幾つかの家を建て、いくつかの葡萄酒を作った。われは我がために幾つかの庭と園とを造った。そして、その中に凡ゆる種類の果樹を植えた。われは我がために水溜を造り、木々の生い繁る森に水を注がしめようとした。われは僕ら〔=男奴隷〕および婢ら〔=女奴隷〕を買ったし、またわが家に生れた奴隷たちをも持っていた。われはまた多くの所有、すなわち牛や羊の群を持っていた ―― われより前にイエルーシャラムに在った凡ての人々よりも多くを。われは我がために銀と金とを、また王たち及び諸領地の財宝を集めた。われは我がために男女の歌手を備え、人の子等の贅をつくし、数多くの妾を置いた。そして我は大いなる者となり、われ以前にイエルーシャラムに在った凡ての人々よりも弥益して栄えた。またわが智慧も我がもとに留どまっていた。われは我が目の求める何ものをも我が目に拒んだことなく、わが心に如何なる喜びをも否まなかった。けだし我が心は、わが凡ての労作において喜びをなしたのであり、これこそ我が凡ての労作から我が受くべき分であった。
かくて我は我が手の為した一切の業と我が成さんとして労した労苦とに向っ〔て之を見〕たが、見よ、一切は空しく、風を追い求めることであった。日の下には何の益もない。」
ここに記されている事は必ずしもコーヘレト自身の「告白」ではない。それは列王紀九 - 一一に現われている所謂「ソロモンの栄華」の伝説に託した半ば想像的な叙述であり、コーヘレト当時の貴族・富豪らに対する当付けの意味もあったであろう。そこにどれだけ著者自身の経験が織り込まれているか、それはここに問う必要もない。それよりも大切なことは、著者がここに歓楽の追求が空しいと言っていながら、また別の箇所では生を楽しむべきことを勧めていることであるが、その問題は後に論ずることにしよう。とも角ここでは歓楽追求を人生の目的とすることにコーヘレトは反対しているのである。かれはそのような意味の快楽主義者ではない。だが、何ゆえ富の蓄積が無意味であるというのか。その事の理由は結局人間は死ななければならないとの定めに帰せられる。智慧の追求についても同様のことがいわれる。先に、それがどこまで行っても窮極的なものを捉えることの出来ないものであるとの理由を一応挙げているが、それでもコーヘレトは賢愚の差を全く認めないというのではない。恰も光が闇にまさるように、智慧は愚かさに優ることをかれもまた承認せざるを得ない(
二・一三)。それにも拘わらず運命はその差別を没却する。「われはまた、同一の出来事が彼ら凡てに起ることを悟る。われは、わが心のうちに言った、愚者に起る事は我にもまた起るであろう、とすれば我は何ゆえ優れて智慧ある者であったのか、と。われは心のうちに言った、この事もまた空しい」その平等の運命は死において極まる。賢者も愚者も皆等しく死ぬのであり、死後は皆等しく忘れられる。そしてこの死の事実こそは、また一切の経済的営みをも空しいものとする。自分が知能を傾けて築き上げた仕事もいずれは誰かに遺されなければならないのであるが、その後継者が賢者か愚者かを誰が予め知ることを得よう。このような事を思うとき、コーヘレトは「生を厭うた」のであり、また人生の労苦について「わが心を絶望に渡した」のであった。だが生をいとい、絶望したと言っても、それがかれの最後の言葉ではない。もし、そうであったとすれば、かれは一介のセンチメンタリストに終わったであろう。かれはただこのような目的追究が ―― それが智慧であるにせよ、幸福であるにせよ ―― 人間を絶望に導くものであることを先ず指摘したいのである