トロッコ問題、もしくはトロッコ問題の改変版でもあったが

5人を死なせてしまうより、一人のデブを突き落として殺し
デブを落とした衝撃音で5人にトロッコに気づかせて5人を助けたほうが数値的には功利主義的には良しとされる


なぜ人間社会ではそれを選べないのか?


という問題


毎年、100万-150万が死ぬ、産まれる数はそれよりやや少なく、ゆえに減少する

ちなみに妊娠する女の数は常に200万人以上いるそうな

つまり中絶技術がないなら、増える
中絶を禁止にしても増える。

しかし数字をどんな手段を用いてもプラスにさせればいいのか?と言う課題が存在する

出生数を手段を選ばず高めるなら、人工中絶手術を禁止にすれば必然的に増える

だがそんな選択肢を取る事はない

出生数を手段を選ばず高めればいいとは誰も考えないからだ

しかし唯一考える系統がある

自分たちは頭がいいと思っている理系馬鹿だ

理系にも真の知性を持っているやつもいるが
理系は馬鹿だからこういった一つの側面から見ただけのクソ浅い合理主義を唱えたがる

小学生的な、精神と知恵の成熟度



今回はその話だ


交通事故で、2000-3000毎年死ぬ
やや昔は5000人が毎年死んでいたそうだ

一方コロナはまだ100前後

毎年自殺で、2万死ぬ
一方、コロナはまだ100前後


消費増税不況に、コロナ不況が上乗せされ
経済苦境・失業・将来の悲観で、自殺数が2000以上増えると試算されている

一方、コロナはまだまだ100前後

毎年インフルで、100人以上死ぬ
アメリカでは今年インフルが大流行し、アメリカは医療大国、医療制度途上国と言う二面性を持ち、世界一の医学力は金持ち用の国、であるから、1万の死亡者がインフルで出た

一方、日本のコロナはまだ100に満たない

数値だけを見ると、コロナは雑魚

ただ数値は、ごまかされているとされる


まあ、死んだ数だけで比較・検討、評論できないということを意味している


また経済優先・コロナ軽視という方向に走れば

ドイツ化か
イタリア化する

ドイツは人口が多い国では世界トップの質を持つ国と言っていい
ネオナチみたいなクソもいて失政もあるが

感染者が異常に多い、コロナの件でも、色々失敗したみたいだな

メルケル終わったな・・・


しかし感染者数は多いが、死亡率が世界最低を誇る


一方、イタリアは感染者、死亡者、異常に多い
最もあってはならない事態となっている



また重症化しやすい人間の定義が明確かつ確実ではなく
健康でも重症化することもあり、人工呼吸器みたいなのが付けられる

人工呼吸器をつけるとかやべえ病気だろ、付けたことあるか?

人工呼吸器は、医者・医療従事者からすれば当然の装置って感じなんだろうが

医療従事者以外から見ると、治療器具としてかなり大げさな装置であり、背中に死を感じるような装置が人工呼吸器だ、人工呼吸器を使うほどの病気をしたことがあるか?

コロナはそれを引き起こす

インフル型肺炎・・・とは言わないか
インフルからの合併症からの肺炎コースでの重症化でも付けそうだが

なぜこのように、数値だけで計算できないのか?


死ぬ時はだいたい苦しんで死ぬのに・・・
インフルからの肺炎からの死の苦しみと
コロナからの肺炎からの死の苦しみに大差はないはずだ

まあ症状発症から死までの期間が短いと言われていて
差はないわけではないが


理系が陥る罠


戦争戦略の世界の思考法で説明しよう
グラウゼビッツが戦争形而上学
もしくは戦争哲学という分野を切り開いた


俺から見ればそんなもんは古来からあるわって感じだが


実は、戦争戦略とは、戦場だけが戦略の対象ではない


戦場の外にも戦場がある


虐殺で上げたスコア(殺人数・戦果)
神風特攻で上げたスコア(殺人数・戦果)
核兵器でヒロナガ相手に上げたスコア(殺人数・戦果)

「通常の戦場」で「通常の戦術」を用いて上げた敵兵、兵器、基地を攻撃して破壊・殺害、占拠して弾き出されたスコア(殺人数・戦果)


同一だと思うか?同一の戦果だと思うか?

戦略が目指すのは利益であり、勝利
勝利を目指すのは勝利が利益をもたらすからだ


勝利に結びつかない戦果にはたいした価値はない
一方で、利益に結びつかない勝利にはたいした価値はないということになる

枯葉剤散布して戦争に勝利しても、利益には結びつかなかった

むしろ、敗因になってしまった


非人道的戦術は、世界最強戦力ですら自滅に導く効果を出す


利益に結びつかない勝利を避けるために何が何でも勝てばいいとは考えない。まあ考えたからこそ枯葉剤散布をしたのだろうが・・・w

ポジティブな数値だけあげればいいというわけではない




「虫けらも悪人も敵も含め、全ての命は平等である」と言う前提・観点で見れば、どのような死も、そのような虫けらの命も同一
とある哲学的視点で見れば同一ということになるだろう


しかし、虐殺で上げたスコアと真っ当な戦いであげたスコアは同一のものではない

戦略の大目的は勝利であり、そして、勝利状態が、利益を生む状態を持続させるように勝利する事が前提の、勝利

視点をもっと広く持たなければならない

薬物・セ○クスで得た快楽と、持続する幸福感の違いなどにも例えられる


戦場だけが戦略が考えるべきフィールドだと言うなら
どれも同じ戦果で、殺せば殺すほど手柄となる

このようなことになったら世界は滅ぶ

どんな手段を用いてもいい、戦場しか見るところがないのだから

戦場だけが戦略が考えるべきフィールドだと言うなら
最強の戦術は水爆を撃ちまくって破壊と死の限りを尽くす
死の化身を目指すような戦い方が最適解となる


しかし、水爆落としまくって戦果・戦果わーいわーい
と喜んでる国があったら

第三次世界大戦が勃発する

すべての国の標的にされ、一斉攻撃されて、消滅させられかねない。
危なくて放置出来ない
水爆を撃って喜ぶような国は、ナチスドイツを軽く上回る危険度を備えている
そのような国は、水爆を撃ってでも消滅させざるを得ない

水爆を使っての勝利では利益が発生しない


あれ?w


ここまでいけば水爆使用条件整うなw
ここまでいけば水爆の非人道性を超えてくるなw



水爆落としまくって・・・という極端な行動ではなくても
非人道性の高い戦術を使う国も、自国民・国際社会・社会、各方面、他国からの信用を失い、場合によっては孤立し、
勝利状態
すなわち利益が出る状態を戦争で取った戦術が元で持続できなくなる

勝利の旨味がないどころか、目先の一時的な勝利を得たことで逆に敗北する為、数値重視とはならない

あるいは数値重視の領域と、数値重視で考えてはならない領域の分別が必要になる

数値だけを見てしまう人間は、この分別が出来ない


数字の価値といえば、1より2が強い
何の前提もないなら1より2が強い

兄より優れた弟なぞ存在せぬわ!

しかし条件を入れてしまうと
2より優れた1などいくらでもいるわ!

条件を入れてしまうと

兄より優れた弟なぞいくらでも存在するわ!
ということになる


どのような戦略も、戦略を使用する主体が国家ならば、持続可能な社会、持続可能な国、持続可能な権力を前提にした戦術でなければならない

正義が消失するような非人道的戦術では不利益が産まれても利益が産まれない

あるいは不利益が利益を超えてくる

権力を根拠付けているのは建前上は法でしかないが
実際には正義であり、信用
国民からの信用。信用が正義となる


非人道的戦術は、敵・味方どちらが標的であろうが信用を失わせる効果が出る

すなわち正義ではなくなる

この3行、馬鹿な理系は理解できない
この3行の応用もできない


数値をただの数値として見ているためだ
正義のような数値に出ないことを考える知能がない

愚かなタイプの理系的感性に国の運営を任せたり、国の利益を考えさせたり、国の戦略を考えさせるのは危険だ


場合によっては戦果で塗りつぶせる非人道戦術もある

それゆえ、その行為自体が非人道的な戦争が許容される状況が存在し、戦争という現象が存在する

しかしお行儀よくやれば、戦争をやる動機などに明確な正義があれば、戦争程度なら許される事もある

明確な侵略に対して戦うなど

非人道性を戦果で塗りつぶすのに必要な条件がある。

水爆撃ちまくりで挙げた戦果はどうあっても塗りつぶせんと言った具合に

水爆撃ちまくる非人道性に見合った戦果などあり得ないためだ

しかし水爆以外の非人道的戦術はどうか?


アメリカは今は世界の嫌われ者で、トランプまで大統領にしてしまった国で、アメリカもやや孤立気味だが、完全に孤立しえないのは
アメリカドルが世界の唯一無二の共通通貨で、アメリカの経済力が世界一で、世界一ってことは海外と投資や取引をしまくっているということでもあり、アメリカをガチで孤立させるとは、超世界大恐慌になるということでもあり、孤立させたら世界最強戦力の暴走を招きかねないなど
他諸々の事情があるため、各重要分野で世界一ゆえに、完全に孤立させることができない

今やアメリカは世界の嫌われ者になっているが
アメリカの存在に不利益しかなく、利益などないか?
と言われたらそうではないということになる


非人道性の高い戦術を使う事があるアメリカだが核兵器投下以上の非人道行為は、大戦以降していない。
そこそこのレベルの非人道行為で抑えているし、そのような事態が起きれば自国内でも糾弾もする

まあ枯葉剤散布や核兵器投下、インディアンの虐殺はやりすぎだwインディアン虐殺は投下前だが

孤立も完全孤立とまでは行かないある程度のレベルで収まる理由がある。

このような背景を考えず、戦場だけを見てアメリカの非人道戦術を手本とするのは間違い

アメリカがやってるから俺らもやっていいんだ!

みたいな事を言い出す輩がいる

ネトウヨにはこういう事を言い出すやつが多い
日本はアメリカのような条件を持っていない
前科もある国だ
世界最強戦力を持つ事もできない

また客観性がないやつが多い

例えば神風特攻の非人道性を評価出来ないやつがいる
客観視できないためだ

主にネトウヨの事だが

仮にアメリカと日本が戦い
何百ものアメリカの特殊部隊が「キリスト様バンザーーイ」とか言って、自爆攻撃を日本軍にしてきたらどう思う?どうなると思う?

またそのような戦術を使ったアメリカのことをアメリカ人はどう思うと思う?
それを見た日本人はどう思う?国際社会はどう反応する?

米兵の間で、ヴァルハラに行こうぜが、流行ワードになっていたらどうなると思う?

戦局にたいした影響を及ぼさないどうでもいいところで
「キリスト様バンザーーイ」とか言って、自爆攻撃を日本軍にしてきたらどう思う?

神風特攻を客観視出来ていない
しかし国を「日本」ではなく「日本以外の国」で考えると客観視出来るようになる

アメリカがやっていたら異様に感じるだろ?


神風特攻はキチガイの所業
キチガイというだけで信用を失う
マッドマン戦略もあるが、代償として信用を失う
信用を失って余りある利をあげられるならマッドマン戦略も有りだが

非人道的戦術や、薄汚い謀略で上げた戦果は

非人道性のレベルや、薄汚い謀略で上げた戦果や功利の大きさによって上塗り出来る

神風特攻も、神風特攻が持つ非人道性を大きく上回るようんな戦果、利益をもたらせれば、肯定される

しかし、神風特攻にはカルト的洗脳が背景にあることなどから
神風特攻の異様性、非人道性は共に高く、つまらん戦果で上塗り出来る類のものではない

そして結局、神風特攻では、つまらん戦果しか挙げられていない

戦略の視野が戦場、戦局以外にも広がるなら
神風特攻は後の世の教訓になった事で完全な無駄死、犬死ではない事になるが
一方で、神風特攻の美化や肯定が流行すると無駄死、犬死ということになる

戦果で上塗りできるが、非人道性のレベルが大きすぎるなら、それに見合った戦果が要求され、少しばかりの戦果ではまず上塗りできない

このような考え方を数値に入れて考慮しなければならない


これは戦争哲学だが、あらゆる分野に応用が効く
真の合理性を考える哲学が背景にある為、合理計算に関連する事なら共通性がある


よって、2より優れた1が存在するということになる


その上で、コロナの死と、インフルエンザの死とは同一の死なのか?
コロナでの死者数1
インフルでの死者数1
失業での自殺1

本当に同一の1なのか?と言う問いが作れる
将来的には同一の死となるだろうが

今は同一とは言えない