例えば、ハシゲと誰かが南京大虐殺について、議論したとする


▲●■「南京大虐殺が在りました(南京大虐殺存在派として、南京での虐殺が存在したとする資料の信憑性を論点としたい)」

しかしハシゲはさえぎる

「大なんですか?何人から大虐殺ですか?では、何人殺したんですか?」

「○万人から○万人が信憑性が高いでしょう」などと言い人数を答える

「何処の資料ですか?誰がいつ何処で書いた資料から数字を持ってきましたか?」などと言って、論点にしたい部分からすると、どうでもいい部分を必死で掘り返し、論点を語らせず、やる気を削ぐ戦法

「ダメリカも原爆投下や東京大空襲など大虐殺をしていますよね?なぜそれに言及しないのですか?」
「そんなに南京大虐殺をあった事にしたいなら、日本から出ていったらどうですか?」


と、議論内容とは無関係な別件を持ち出したり、挑発的言動を繰り返す


一方、このような詭弁を使わずに、まともな論法で反論出来る部分ならば、詭弁を使わず正攻法で反論する


不利になると、このような主張を繰り返す



重点、論点、根拠には触れない
相手側のどうでもいいところに、間違っていても問題が出ない細部に、こだわり続ける議論法


一方、正攻法で反論可能であったり有利ならば正攻法で反論する


ああ、ちなみに
「日本が気に入らないなら日本から出て行け!」に対する反論は
むしろ、日本政府や日本社会が馬鹿みてえな方向に進もうとしていたり、馬鹿みてえな事を肯定しているのに、それを批判しないのは、むしろ非国民だからな?ww愛する日本がどうなってもいいのか?



一方、自らは有利な論点でのみ戦う
論点を変えられないように防衛線を張ったり、こじつけたり、別の話を相手側の論点や根拠じゃない部分のみを批判し、無理やり相手側の論点をすり替えようとする


例えば南京大虐殺なら、この議論で不利になったら
追い込まれる前にアメリカの原爆投下の話に論点をすり替える等々・・・


今は、南京大虐殺の話をしているのに
アメリカの原爆投下の話に持って行きたがる
あるいは毛沢東の中国国民の大虐殺とかな


一瞬であれば、アメリカの原爆投下を持ち出してもいいが
アメリカの原爆投下批判を延々と行い、論点をずらしまくる事に終始する


という詭弁法を用いる


これはネトウヨもよくやる詭弁論法だ
ネトウヨは馬鹿ゆえに、詭弁と論理の区別がつかずやってるだけだが
ハシゲも馬鹿ゆえにやってる可能性もあるが、そうじゃない可能性もある


「馬鹿とは話が出来ない」という言葉があるが
馬鹿とは議論できない。詭弁ばかり用いられると、やる気を削がれ、議論を諦める論者は多い
それが論破されているように見えてしまう事がある


見るやつが見れば、ハシゲはそこらじゅうで論破されている
実は、ハシゲは貧乏女子高生にすら論破された事がある

しかし貧乏女子高生をハシゲは罵倒し、途中で泣かせた為、馬鹿にはハシゲが論破したように見えているのだがw

泣かせば勝ちなのは口喧嘩だからな?
泣かせば勝ちなんてルールは議論にはない


もちろん泣くのも反則ではあるが・・・


議論のルールを無視した詭弁論法
サッカーのルールで手で投げてゴールしてもゴールと呼ばれない
審判はゴールの判定をくださない。むしろ悪質性によってはレッドカードを出すだろう


サッカーと同様、議論のルールを無視して、反論して黙らせても、論破とは呼ばない


しかし、大多数の国民は議論教育も論理的思考も鍛えられていないため馬鹿にはこれが「論破」に見えてしまう

もちろん完全に論理学や議論のルールに従う必要もない
奇抜な議論法があってもいい


だがそれが詭弁になるならばダメだ
奇抜な議論法は、詭弁に陥りやすい


裁判官というジャッジシステムがある裁判
ジャッジされるディベート大会等では、ハシゲのやり方はまず通用しない


通用するのは日本国民という糞馬鹿審判がジャッジする為だ


この意味においては
アメリカ大統領選の大統領候補同士の議論大会もかなりやばい

ただしディベート教育をアメリカでは行っている。それでも馬鹿は多いが
ディベート教育を行い、国民に議論のジャッジを委ねるというのはディベート教育をしたと言う手続きとアリバイ工作をしている為、踏まえるべきところを踏まえている為、まだ正当性がある


しかしディベート教育がようやく初められた程度の民度の低い日本国民に
ディベートのジャッジを国民に委ねるというのは、国家や社会の自殺行為に等しい

ヘイトスピーチ、憎悪バイアスを利用した詭弁法や、その他のあらゆる詭弁法が通りまくるためだ

ついにハシゲはポピュリズムを肯定した。ポピュリズムとは愚衆の人気を獲得する為の政治を指す

愚衆相手には詭弁でも何でもいい。愚衆が見るのは議論の内容ではなく議論の雰囲気だからだ


内容的に相手を論破するのではなく、雰囲気的に相手が不利に見えればそれで勝ちだ