唐突ですが、またまた炎上しがちな政治ネタです。


小学2年生の時に、担任が、バリバリの日教組の活動家でした。

当然のことながら、全てが左翼目線。

ちっちゃな頃から捻くれ者だった私は、やたらと違和感を覚えました。

多分、それが言動に現れていたのでしょう。

徹底的にいじめられました。

後日、他の保護者の方々から状況を聞いた母親が激怒したところ、詫びを入れてきましたが、50年経った現在でも、許せません。


この担任はあからさま過ぎましたが、その後も、子供の頃から現在に至るまで、特定のスタンスにある個人や組織について、「この人(組織)は善だから、批判してはいけない」的な、"正のレッテル貼り"を数えきれないほど目にしてきました。


個人的な感覚ですが、言論の大切さを声高に叫ぶ人ほど、このレッテル貼りをしがちで、結果、議論すること自体を封殺しようとする傾向が強いと思います。


とりわけ公務員になってから、そういう機会に頻繁に遭遇するようになりました。

首長、議員、職員ともに、面倒そうなことから逃れたいがために、一見「いいことをしている風」な住民や団体に関して、怪しい点があっても、議論することすら許さないというタイプが多かったと感じます。


善意が必ずしも正しい方向に作用するとも限らず、時には善意の仮面を被った悪意も現れます。

私は、政治家や行政は、これを所与のものとして、あらゆる方向から情報を集めて議論する責務があるとの信念から、そこら中に噛みつきまくりました。(結果、潰れてしまいましたが^^;)


現在、梅村みずほ参院議員が、マスコミから袋叩きに遭っています。質疑の最中も、まさに議論自体を封殺せんとする汚いヤジに包まれていました。


どちらの見解が正しいのか、また、両者の中庸に正解があるのか、私にはわかりませんが、"正のレッテル貼り"をすることで、議論を封殺することは、絶対にダメだと思います。


なので、異論は多いことは承知の上で、梅村議員を応援します。