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連載「あの人の底力」は、さまざまな困難を乗り越えてきた・乗り越えようとしているAmebaオフィシャルブロガーにインタビューし、困難に直面した時の正直な気持ちやそこから立ち直るきっかけとなった原動力をひもとき、人間が持つ“底力”を引き出して人生のヒントを探る企画。
第4回は、福島県出身で2011年の震災以来、ブログや地元テレビ局へのレギュラー出演をつうじて福島への愛と福島の復興・発展を発信し続けるお笑いコンビ・たんぽぽの白鳥久美子さんと、彼女を育んだ故郷・福島県の底力に迫りました。
白鳥久美子(しらとり・くみこ)
1981年12月11日生まれ。福島県郡山市出身。お笑いコンビ・たんぽぽのメンバー。2018年お笑いタレント・チェリー吉武と結婚、2021年第一子を出産。育児に奮闘するかたわら、生活雑誌の連載、キー局バラエティ番組出演や地元テレビ局の情報番組「サタふく」にレギュラー出演するなど幅広く活動中
都会のストレスを乗り越えられた原動力は“福島人”としての自覚
Ameba編集部
白鳥さんは福島県郡山市のご出身で、進学をきっかけに上京されたそうですね。
白鳥久美子さん
はい。演劇をやりたくて大学を卒業してしばらく東京にいたんですけど、どこにも受からなくて福島に一度戻りました。でも、どうしても芸能の夢が諦められなくて、二度目は芸人を目指して東京に再チャレンジしたんです。
三つ編み乙女キャラ前の貴重な写真
Ameba編集部
夢を叶えるまでに、さまざまな困難に直面されたと思います。
白鳥久美子さん
いろいろありすぎますが、どこへ行っても人がいて人の声がずっと聞こえる空間が私にとってはストレスでした。ひとりになりたいと思って公園へ行っても人がいるし…都会なので当たり前なんですけどね(笑)。
Ameba編集部
部屋にこもっているわけにもいきませんし。
白鳥久美子さん
そうなんです。あとはお水が合わなかったみたいで、肌荒れした時期もありました。だから、メンタル的にもフィジカル的にも「東京合わないな〜」ってずっと感じていました。
Ameba編集部
そうしたストレスを乗り越えて、現在は東京で活躍していらっしゃいます。
白鳥久美子さん
慣れるまでは何かにつけて福島に戻っていましたね。いまでもしょっちゅう帰っていますけど(笑)。そうしているうちに東京でも知り合いが増えて、だんだん慣れてきました。でも、ストレスを乗り越えられた一番の理由は“自覚”かもしれません。
Ameba編集部
自覚??
白鳥久美子さん
「東京に染まり切れないのは、私が福島県人だからなんだ」という自覚です。そう思えるようになってからは、ストレスも感じなくなり、人づきあいもうまくなっていきました。
Ameba編集部
福島県人としての本領発揮ですね。
白鳥久美子さん
そうですね。我慢強い福島県人だと自覚したことで、東京で多少イヤなこと・苦しいことがあっても「ちょっと耐えてみよう、その先には温かい日差しが差し込んでくるはずだ!」と、耐えるというか“待てる”メンタルが強くなったんだと思います。
Ameba編集部
“待てる”メンタル、ほしいです。
白鳥久美子さん
それに、東京にいた福島の友だちにも助けられました。私が疲れたり弱ったりしているのを聞いた友だちが、地元から送られてきたジャガイモをお裾分けしてくれたり。世話好きで、人を放っておけない福島県人気質の友だちの存在は本当に大きかったです。
Ameba編集部
そういう世話好き気質は白鳥さんにも…
白鳥久美子さん
ありますねぇ。ちょっとでも人に会うときは、リンゴやミカンを持って行っちゃいます。仕事で福島へロケに行くと、帰りに食べ物やら何やらをたくさん持たされるので、世話好きはやっぱり福島県人の気質なんだなって実感しますね。
Ameba編集部
福島の方は温かいですね。
白鳥久美子さん
ばあちゃんいわく「ほっとかんに〜(放っておけない)」な気質ですね!
Ameba編集部
東京に拠点を置きながら、地元でレギュラーのお仕事を持ったりブログで福島への想いをたくさん綴られたり、福島にはずっと寄り添っていらっしゃいます。そんな活動をつうじて福島県人の“底力”を改めて感じたエピソードを教えてください。
白鳥久美子さん
私がテレビに出始めたのは、東日本大震災が起きる少し前でした。それからですね。地元という以上に福島と密に関わるようになったのは。
二度目の東京チャレンジで芸人としての夢を叶え、テレビに出始めたころの白鳥さん(写真左)と相方の川村エミコさん(写真右)
Ameba編集部
そうだったんですね。
白鳥久美子さん
テレビも慣れないままに福島での取材のお仕事があっても、地元の状況を自分の言葉でどう伝えたらいいか悩むことが多かったです。そんな状態で初めて行った取材先の旅館の女将さんの言葉はとても印象的で、ハッとさせられました。
白鳥久美子さん
津波で建物が全部浸かってしまって、ようやく水が引いて泥もかき出して旅館の形が戻ってきたころで、私が「女将さんたち本当に大変でしたね」と言ったんです。
そうしたら、「いまがどん底で、この先これ以上の底はないから。ここから上がっていくだけだから大丈夫。どんどん上がっていけることが私は楽しみなの!」とおっしゃって。
Ameba編集部
怒りや悲しみより希望が勝っている素敵な言葉です。
白鳥久美子さん
女将さんのポジティブなド根性精神には、励ましに来たはずの私が逆に励まされました。その女将さんだけじゃなく、取材先で出会った皆さんそうなんです。
福島県人は、どん底の状況でもポジティブに上を向く姿勢を持っている気質なんだなぁと実感して、同じ福島県人としてとても誇らしく思いました。
Ameba編集部
まさに底力ですね。
白鳥久美子さん
本当は計り知れない悲しさや怒りがあったはずなんです。それでも、県外から助けに来てくれたり励ましに来てくれたりすることに感謝の気持ちを伝えて心を尽くすほうが先なんです。つらい状況でも、そうした温かさも失わない福島県人は素敵だなと思います。
若者や子どもの未来を真剣に考えてくれる人・風土
Ameba編集部
東京にいて改めて実感する福島の魅力について聞かせてください。
白鳥久美子さん
福島は花の栽培が盛んで、なかでも寒暖差やキレイな水など環境に適している浪江町の上質なトルコギキョウは有名です。一度取材したことがある農家さんは、若い人たちが生計を立てていける農業を模索してトルコギキョウの栽培を勉強されたそうです。
Ameba編集部
なぜトルコギキョウだったのでしょうか?
白鳥久美子さん
ほかの農作物にくらべて、お花は女性でも若い人でもチャレンジしやすいからとおっしゃっていました。その方は栽培方法だけでなく、収益の計画までしっかりと教えてくれるんです。
Ameba編集部
若い人たちもチャレンジしたくなりますね。
白鳥久美子さん
私の親世代よりも上くらいの方なんですけど、農業のイメージを変えるための新しい挑戦や発信を積極的にされていて、とても感銘を受けました。若い人たちに心から浪江町へ来てほしいんだと思います。
Ameba編集部
栽培環境のよさプラス農家さんの気持ちや新しい発想が、上質なトルコギキョウを生み出しているんですね。ほかにどんな特産品やグルメがありますか?
白鳥久美子さん
いっぱいあるんですよねぇ。美味しいものでしたら、川俣町の地鶏「川俣シャモ」が有名です。コクがあってほどよい弾力があって、噛めば噛むほど旨味がジュワ〜と広がって…
Ameba編集部
聞いているだけで美味しそう…
白鳥久美子さん
川俣町へ行ってぜひ食べてみてください!
ほかには、畜産が盛んな飯舘村のブランド牛「飯舘牛」です。しばらく畜産ができない時期がありましたが、農家さんと飯舘牛の子孫たちが頑張ってくれていて出荷数も増えてきているそうです。肉質が本当に素晴らしくて美味しいお肉なので、早く皆さんに食べてほしいです。
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