毎回言いますが私は英語ができません。これはあくまで学習者がこれから検証する仮説を立てたものです。


 zoomの出席済み出席者のやつに引き続き、暗記とイメージという対立軸(根本的には同じなんですけどね)に関する話をさせてください。前回は文法の暗記とイメージについてでしたが、今度は単語(動詞)について考察します。

 ジーニアスの辞書も書いている小西友七先生の「英語のしくみがわかる基本動詞24」という本を読んでいたのですが、helpの項目にhelp doingがないかと見てみても全く記述がない。一瞬不信感を覚えましたが、辞書を書いた文学者が初歩的な項目を間違えるはずはなかろうという推測とその本が高価で切り捨てると勿体無いので信じたいという思いから「熟語は載っていないのかな?」という結論に達しました。たしかにput up withをputの用法として捉えるのは無意味だし馬鹿馬鹿しい。しかしネットのいかがでした系サイトには一つの用法として書かれている。前者が正しいとは思いますが、どちらも言いたいことはわかる。フォーマルな英語学習書といかがでした系サイトを同列に扱うのは気が引けますが、熟語と用法の線引きの難しさを表した例と言えるのではないでしょうか。

 基本動詞24の見解はジーニアス辞典の見解に近いはずなので、今回は基本動詞24を支持しますが、この例に限らず僕達はどこまで動詞の用法としてまとめてどこまで熟語としてある程度単品での暗記を受け入れる必要があるのでしょう。僕は「その場で動詞の意味やイメージから容易に出てくるものは用法として動詞の知識に張り付け、初見殺しのものは熟語という新しい表現として覚える(ある程度元となる動詞の意味をとっかかりにするのもアリ)」という姿勢を明確に取りたい。例えばhelpの場合、help 人 with 〜とhelp 人 to doは後ろの要素が変わっても「手伝う、助ける」という意味は一貫しているので用法だがcan’t help doingはhelpの意味からは連想不可能な初見殺しなので諦めて覚えようという姿勢です。

 最近は暗記を馬鹿にして思考力という免罪符を使い、何でもかんでもイメージで突破しようとするアホらしい勉強法が多いです。しかし勉強の目的は道具を仕入れることだけでなく「この公式は使ってもいいんだ」とやっていいこと悪いことを知ることでもあります。三角関数の加法定理や倍角の公式も計算の道具という側面だけではなく、それは合法だという側面も大事です。パソコンを触ったことのある人なら、LaTeXなどのマクロみたいなものと解釈してください。そのため知識を明確で体系的に仕入れる努力は不可欠です、頑張りましょう。僕も頑張るので

(これは英強による学習法の提案ではありません。英語ができない人間が勉強についての仮説を立て、それを今から検証しますよというものです。ソースもメモり忘れたため信頼性にも疑問が残ります。「それってあなたの感想ですよね?」と思いながら軽い気持ちで読んでくださると嬉しいです)

最近政府の外出自粛要請(馬鹿の一つ覚えとか言うだけなら誰でもできるとか言っちゃダメね)により大学などでzoomというミーティングアプリを使うことが多いようです。こういった用途のアプリとしてskypeなどを思い浮かべる方も多いですが、それらと比べて手軽だったため先に述べたような大御所を退けて人気を獲得しているとか。

 そのzoomをGoogle Chromeを経由して開こうとするとChromeの新規タブが開きzoomのアプリに飛ばされるのですが、その新規タブが「出席済み出席者」という短いながら秀逸な怪文書となっているのです。細かい文句で申し訳ありません。しかしなんだかシュールに感じる言葉でもあります。

 出席済み出席者 しゅっせきずみしゅっせきしゃ

 声に出して読んでみてください。妙にリズム感が良くて耳に残ります。出席済みと出席者はほぼ同義であり出席済みでない出席者など存在しないため、意味的には申し訳ないけれど不自然極まりない。しかしそれも相まってテレビCMのフレーズ顔負けのインパクトとクセになるシュールさを帯びていないでしょうか。

 ただ、これをzoomの制作元に直談判しても何も起こらないでしょう。不自然な感じはありますが意味はわかります。私が感じた不自然さは文の意味が矛盾していると言うような明確な物ではなく、今まで私がみてきた日本語の集積と作りや雰囲気が明らかに異なるというのが原因でしょう。

 (後半にしてやっと本題)受験生の英語学習でも同じことがよくありますよね。四択の誤文指摘問題(この英文の間違った部分を選べという問題)でなんとなく変だと思った箇所を選んだら50%くらい正解している。ちなみに間違った部分は文法書の隅っこに書いてあって僕ら回答者が知らなかった特殊な表現だったので不自然に思って選んでしまったらしい。

 巷では赤ん坊が母国語を学習する時は文法事項を気にせず周りの大人が発した言葉を覚えまくり、丸パクリしたり暗記した例文から機能的に導かれた法則(それを文法と言えるのかは不明)を使って少しずつアレンジしていく過程で自然な日本語の感覚を掴んでいくと言われています(AIのディープラーニングってこれのこと?)。そのため「感覚的に間違っているように感じる」というのは「今まで見たことがない」というのと=で結べそうですね。これを使うと前述のように出席済み出席者と言う言葉が(言っていることはわかるのに)不自然に感じたり、感覚で間違った英文or見たことのない英文が導かれるのだと言うふうに矛盾なくすっきりと説明できます。

 要するに、英語学習におけるセンスや感覚とは今まで覚えた英文の量で近似できます。道理で文法を無視したクソ教育でも一応少し効果があるわけですね。

 ただ勉強とは覚えた方法論を適用することが最重要であり(つまり闇雲に問題を解くことは勉強とは言えない)、網羅的な文法から演繹的に英文を理解したり書く方が確実性が高いです。というか入試における正答とは「正解を書き、さらにその答えが合っていると証明できること」です。言い換えると考えは合っていても凡ミスをしたら減点、まぐれで当たっていても実力で正解したとは言えないということです。また、文法をきちんとやり続けると無意識の領域に落とし込めると言うのが定説です。そうなれば例文暗記によるセンスの上位互換になるわけですが、それは英語ができる人に聞くか自分で検証する予定です。

 というわけで理想は「文法書を読んだ上でそこにある例文を文法事項を意識しながら暗記する」という伝統的なものなのでしょう。最近は音声付きのものが多いですし。

 最後に、ここまで長々と書きましたが最初と同じようなことを繰り返して締めくくります。これは英強による学習法の提案ではありません。英語ができない人間が勉強についての仮説を立て、それを今から検証しますよというものです。私がこれを実践して正しいだろうとある程度の確証が持てたら、勉強法の提案として書き直そうと思います。

この記事は私ができるだけ多くの人に聞いて欲しいことを書いたものです。私の意見が少しでも面白いと思っていただけたら知り合いにも伝えてあげていただけると幸いです。

 私が今から語ることを一言にまとめます。「学歴不要論者に耳を貸すな。大学受験に本気で(できれば楽しく)取り組み、魅力的な志望大学で多くを学べ。」

 世間では、人生は学歴ではないという主張があたかも偉人の名言のように信奉されています。学歴なんていらない。人間としての力や人脈、仕事力が大事だ。この言葉を何度聞いたでしょう。Twitterのタイムラインも含めると、「今まで食ったパンの枚数」に匹敵するでしょう。彼らの多くはこのような理論を展開する。

 

 学歴が全てではない。仕事や生活では学問は全く役立たないが、仕事力・人間力は欠かせない。だから学歴なんて気にするのも無意味だ。ー学歴不要論者

 

 もうお分かりでしょう。私はこのような暴論を見てきて、非常に絶望しています。というよりも、呆れて物も言えません。しかし私は俗に言う「論破」と言うものが嫌いで、狭義の「論破」、つまり相手の主張を全て論理的に否定することによって自分の主張が勝ることを証明するという行為は存在しないと思ってさえいます。だから私ができることは、彼らによる被害を最小限に食い止めるために第三者に語りかけることです。

  なぜ私がこの主張を嫌うのか、これを信じて生きると人生が台無しになると思うのかを書きます。まず、彼らは全称・存在を勘違いして学歴不要論を展開してばかりいます。(もちろんまともな人も一定数いますが。)よくあるのが、誰かが「学歴は大事だ」というと、「学歴が全てじゃない。もっと大切なことが山ほどある。」と返す。前者は「人生を決める要因の中に学歴は存在する」ですが、それに対する反論である後者は、「学歴以外にも人生を決める要因はある」と言う感じで、噛み合ってないですね。

 そして次に、彼らの一部に「学歴は重要度が低い」とドストライクな主張をする豪傑もいますね。学歴を手に入れたこともないのに。これは学歴に限らずよくあるのですが、(理由は後で書くけれど)手に入れたことのないもののレビューをするエアプは非常に多い。例えば数学不要論を唱える人間の大半を占める数弱者は数学を何も知らないのに、生活に不要と言って批判する。全ての人間が自分と同じ生活をしていると勘違いしているのでしょうか。とにかく、数学をやらないと仕事にならない職種は非常に多いし、統計的に数学力は年収と強い正の相関があるという。つまり、数学の勉強をすると金がもらえると言っても過言ではないというわけです。また、これは私の体験なので一概に言えませんが、数学である程度、社会で役立つ理解力などのスキルを測れるし、それらのスキルの向上もできます。

 またこれも多いですが、「学歴より大事なものがある」と言う人もいます。すこし2つ目と似てはいるけれど、少し相対的になっている点、他の何かを引き合いに出してくる点で違います。人間力、これを引き合いに出す人が多すぎる。さて、では問いましょう。なにそれ。彼らはそれが何かをわからず、なんとなくそれっぽいから言っている。どうやら明確な定義は内容ですが、一般的な用法を文字に起こすと、「社会を構成する自立した人間として生きるための総合的な力」となるそうです。お気づきだろうか。これって、合計値だろうと言うことに。そりゃあ大事だよ。だって全ての能力の合計値だから。つまり、「人間力」という個別の力は存在しないということです。他にも彼らが「学歴より大事」という能力はありますが、個別に語るまでもありません。なぜなら両立が可能だから。「学歴より〜が大事」と言うのは勝手です。実際、場面によっては学歴は頼れません。しかし、「だからいらない」と言うのはおかしい。頭の悪さを匂わせまくっています。学歴より〜が大事というのは、学歴厨にそまるあまり〜を馬鹿にする人への忠告であって、学歴がいらないと言うことには繋がりません。なぜなら、これは取捨選択ではないから。例えば、運動を極めたら勉強ができなくなるなんてあり得ませんよね。そうしたら、文武両道が理論上成り立ちません。正しくは、こうです。「学歴より〜が大事でもそうでなくても、両方目指すべきだ。」

 ではなぜ彼らはそこまでして学歴を嫌うのか。それは自己の正当化ではないでしょうか。(私の知る限りこれが最も彼らを自然に説明できる)自分が学歴で負けたから、それが自己否定につながらないよう「人間力」などの曖昧な概念を持ち出す。それなら優劣をつけ難く、負けることがあり得ないから。ただ、それは「壁とやってろ」としか言いようがない。自己防衛のためならこれは必要だ。メンタルが弱い人なら、コンプレックスで病んでしまいかねない。しかし、無限の可能性を秘めている学生に自分勝手な学歴不要論を吹き込み、希望の芽を摘んで欲しくない。そしてみなさんは彼らの言葉に耳を貸さないでください。彼らの言葉を言い訳にして楽な道を進まないでください。受験で得たものは、絶対にあなたの力になります。

 最後に。そう言えば某番組で、学歴で人を判断するのを差別と表現していましたね。受験が平等ではないのは当たり前です。しかし、それは他も同じでは?逆に平等なんてそうそうありません。ウルトラレアです。人は初めはある程度の可能性を与えられていますが、負けが確定すると差別・平等と騒ぎますからね。

仮面浪人の方や、そうでなくても周りとの交流が少ない大学生の方が少しでも誰かと情報共有などができるような場を現在作っております。TwitterとLINEのオープンチャットに仮説のものがありますので、気軽に遊びに来てください。強制で集まったり集団で友情や団結を声高に叫びながら何かしらの活動をすることはありません。ただ、何かしらの手段(今のところスタディプラスがいいという声が多い)でお互いに勉強時間を共有することは考えております。私たちのような境遇の学生はなかなかおらず、情報やモチベーションの面で負けがちです。また、周りが遊んでばかりの大学生ばかりの環境では仮面をやめたい、自分は取り残されているという感覚に陥りがちです。周囲に、受験を頑張りいっそのこと楽しんでしまおうという人がいるだけで非常にいい効果があると思います。あと、自分の志望校に合格した方もいるかもしれないので、その大学の入試の実際の感触を聞ける可能性もあります。是非、受験勉強を楽しんでしまいましょう!

Twitter @hail_two_you オープンチャットのリンクもここにあります。

 さて、みなさんが一番軽視する大学選びについてです。

よく聞いてください。これをミスると人生が詰みます。

 

なので、学校の授業なんか受けてる暇あったらよく考えてください。あと、勘違いしてもらっては困るのですが、教師の「自分の夢がなんちゃら」ではありません。

 それでは本題に。まず、私の失敗談からお話ししましょう。私は最後まで受験に対してやる気が出ず、教科書の範囲を終わらさずに受験に臨む、それも慶医と宮廷医に突撃するという暴挙に及びました。終わった範囲のところは大体わかるので可能性を見出してしまったのです。もちろんどちらも撃沈、しかしなんとか早稲田の生命医科、某大したことない医大に合格します。私は早稲田に行きたかったのですが、周囲が学費を払う以上周囲の圧力には勝てません。仕方なく第3志望(センターはほとんど勉強せず実質私立理系マンだったので実質第2志望)の早稲田を蹴って、実質第3志望の某医大に進学しました。ここで恐ろしいのは、親などは言葉では「自分が行きたいところに行け」と言っていても、早稲田にしようとすると宇宙人を見たような顔をして驚き、猛反対したことです。たしか、この時代では学歴は役に立たないとか、資格などで手に職をつけて安定しないとなんちゃらとか、典型的な底辺理論を展開していました。推薦で短大に行ったので本来そのようなことを言っていいんでしょうか。その瞬間、私にとって親は、自分未満の頭をもつ存在、情報社会の現代では私に劣る存在となりなした。本来人に優劣をつけること自体低次元なのですが、こればかりは流石に許容しかねます。そして私は学問を学ぶのが難しい(置かれた場所に文句を言わずなんとかしろというのは、私と同じ状況で言って欲しい)就職予備校に来たというわけです。もちろん私は学歴コンプと町医者になりたくないという嫌悪をかかえます。(医者はいい職業というのはバカの戯言です)この時点で私は仮面を決意します。そこでコロナでの対面授業中止!しかしここは伝説級の怠け者のなす技、7月でようやくやる気が出ます。こうして今、私の仮面浪人が本格的に始まりました。

 驚いたでしょう、私の底辺具合を見て。大学に行きたい理由、どこがいいか。これらを決めなければ勉強も捗らず、捗っても就職予備校で社畜訓練をし、何も考えず死んでいく。このような人を生み出したくないから私は大学選びをして欲しい。模試と住んでいる地域で半自動的に受験校が決まるのはどうかと思う。大学なんてどうでもいい、そこで何をするかだというのは残念ながら真っ赤な嘘です。大学選びは大事。

 ようやく書きたいことを書ける。みなさんは大学に何を求めますか?学びたい学問、就職、大学生活、名声。このくらいでしょうか。前に行くほど学部と関係が深く、後ろに行くほど大学名と関係が深いですね。これらを求めることを嫌う学歴不要論もありますが、私は彼らが嫌いです。(理由は後で書きます)この4つはどれも大事です。世間のバカどもに耳を貸しては行けません。全体の30%しか受験をまともにした人間がいないのだから、多数派が自己防衛のために大学を軽んずるのも当たり前です。(未完成ですが、保存のため投稿します。)

 今、仮面浪人やぼっち大学生の交流の場を作っています。格式ばった集団ではなくカードショップのフリー対戦スペース、またはそれ以上にフレンドリーで気軽なのでぜひ遊びに来てください。興味があれば私または設置予定地のTwitterフォローお願いします。また、私で良ければDMで相談乗ります。個人垢@beef_maskedmed

設置予定地@hail_two_you

 正確には、「受かる」ではなく「受かった」です。(にじみでるプ○シュート兄貴感)現在形だと不変の真理になってしまうので、「全ての生徒において、範囲を終わらさずに医大、早慶に受かる」とも取れてしまいます。あくまで過去形です。私の個人的体験であり、「ある受験生において、範囲を終わらさずに医大、早慶に受かる」の存在命題(過去記事参照)です。現在形は過去現在未来全部と言う考え方(少し語弊がありますが)は知っている方もいるかもしれませんが便利です、たぶん。私が大好きなキク英文法にもそれらしいことが書いてありますが、多くの人は日本一見られている(教育業界にファンとアンチ多数。)英語講師、関正生先生のスタディサプリや文法書から学んだと思います。

 余計な話はこれくらいにして、何故そうなるかを説明しようと思います。理由は簡単、受験勉強は、前半にやるものほど重要性が高いから、それだけです。数学なら1対1対応まで、化学なら講義系のものや基礎的な問題、英語であれば単語文法(それと個人的に英文解釈)。当たり前ながら、応用問題や思考問題には、基礎を暗記を超えて感覚レベルまで落とし込み、数学であればその式のいろいろな側面やその公式が何を指すのかを理解、つまり納得しなければなりません。

 これくらいなら当然すぎて書く意味はありません。基礎を疎かにするアホはどこにでもいます。(一応言いますが、本気でやれば基礎の方が奥深く、難しく、面白いです。応用なんて基礎の一部にすぎません。)私が本当に言いたいことは、「応用問題は問題が難しいだけではない。」と言うことです。化学や数学の難問で重要なことは、状況把握です。英文和訳なら、本当に難しいのは意味のわからん専門用語ではなく、隠された文法、構文です。応用問題のもう一つの難しさは、それをやる意味があるのか、これで何を養うのかがわかりにくいことです。それをわからず解いて答えを見てを繰り返しても、意味はない。文法書の端っこの単語解説をみて文法を1つも学ばずに終わらせるに等しい。つまり何が言いたいか。

 実は、ほとんどの受験生は範囲が終わっていない。基礎も脳死丸暗記で終わらし、応用に至っては参考書の用途を守っていない。

 心の隅に留めておいてください。範囲が終わったと言うのは、身についたと言うことです。私は目に見えて範囲を終わらしていなかった。しかし、周りも終わらす動作はしたが、実際それは「勉強ごっこ」にすぎなかった。これが範囲を終わらさずに合格できる理由です。最後に、何か悩みがあったら私のツイッターDMに気軽に来てください。また、是非前述の交流会へ寄っていってください。きっとお役に立てます。