昨日は梅雨の晴れ間で朝から良い天気だったので、前回ブログに書いた「じいゆう」の『コインローファー』をおろしてみました。


母に、幼少時から言われていた「新しい靴をおろすときは、天気の良い日の午前中にしなさい」という躾(?)

僕もいい加減オッサンだし、既に母は鬼籍に入って随分経つので、別に守る必要もないのだけれど、なんか今でもそうしないと気持ちが悪いというか、お尻のあたりがムズムズするというか…


で、よく考えてみると、
例えば「食事の作法」(「箸の持ち方」とかの所作ではなくて、「家族全員が揃って、頂きますというまで食べはじめてはいけない」とか、「オカズは家長が手をつけてから箸をつけて良い」とか、「ご飯のおかわりをよそってもらっている時は箸を置いておく」とか)や「入浴の順番」とか、そういう生活の中での「我が家のルール」って、祖母や母から躾られていたのだけれど、あれって「はち家では…」とか言っていたけれど、実際には母や祖母が、それぞれの実家で躾られた習慣を持ち込んでいたのではあるまいか?

だってね、父や祖父からは「男が簡単に泣くもんじゃない」とか「嘘をついてはいけない」とか、そういうことは言われたりもしたけれど、「生活習慣」的な事で口やかましく躾られた記憶はほとんどないのですよ。

冒頭の「新しい靴のルール」も、母は「自分が子供の頃、祖母(実母の実母)から言われていたこと」と話していたし、「家族全員で頂きます」も祖母は「実家は人数が多くて大変だった」とか話していたし。
要するに、それぞれが子供の頃に「こうあるべし」と躾られて、嫁ぎ先にまで伝えているんですね。

結局、男どもが、やれ「ワシが家長である」とか「大黒柱なのだエッヘン」とか威張り散らしてみたところで、その家の生活文化って、嫁いできた女性達が花嫁道具と一緒に持ち込んだ「女系文化」なのではと思うのです。


「この家のしきたりです」とか言う姑がいたら是非聞いてみたい。
その「しきたり」とはいったいいつからその家に根付いているものなのか?
多分、「姑の姑」か、「姑の姑の姑」あたりが、やっぱりそれぞれの実家から持ち込んだ習慣がほとんどで、「我が家に代々伝わる…」なんてのは「生活習慣」に限っていえば「眉唾もの」なんじゃないかなぁ。


僕は娘二人の父親ですが、娘たちの「生活面での躾」は全面的に妻にお任せです。
だってね、男の僕には女性の事はサッパリわからないもの。
これでも子育てには積極的に参加しているつもりなのですが、昔の父親たちはもっと母親任せだったと思うのです。
であればこそ、「母が娘に」躾た習慣が累々と、それこそ何代にも渡って綿々と伝わっているのかと考えるとなんだか面白いと思いませんか?

我が国において、家系・氏姓は父系ですが、生活習慣は母系。
要するに日本人の生活文化は、女性が伝え、築き上げてきたのですよ。



我が家の娘たちも、妻から教えられた「妻の実家の生活習慣」を持って、いつの日か、それぞれの嫁ぎ先にまた伝えていくのでしょうね。


僕が娘たちに口やかましく言っていることは「挨拶をキチンとしなさい」程度なので、件の「新しい靴」文化は「はち家」においては僕の代かぎりの習慣となることでしょう。
残りの人生、あと何足の靴を買うのか?
それでおしまい、絶えゆく運命なのです。

嗚呼、なんだかちょっと悲しい…えーん




ところで、「新しい靴」がらみでもうひとつ。

子供の頃、新しい靴をおろすときは、「屋内(リビングとか)で靴を履き、そのまま廊下を歩いて玄関に飛び降りて外出する」という事が許されており、土足で歩いてはいけない屋内を靴履きで歩く、という非日常な感じが嬉しくて♪

で、実は、ここだけの話、いまだに「屋内から」をやっていたりします。
アラフィフのオッサンが「いやっほい♪」とか思いながらウシシ