分析哲学とかを見てると、人工言語派と自然言語派とに分かれるらしい。
ウィトゲンシュタインが後期の思想において、後者に入ると言うのが意外だった。
ラッセルなんかは前者、つまり言語は論理的に限界があり、それが誤解を生んだり相互理解をさまたげていると。
バベルの塔の物語は作り話ではあるけれども、
仮に全世界の人の言葉が全て英語で統一されたとして、
そんな誤解や意見対立はなくなるだろうか。
今存在する言語の相違は、人間の思考の多様化のせいでもある。
ヨーロッパの言語がそれぞれ家族的類似でよく似てるのは、
元はひとつの言語だったのに、地方ごとの方言みたいなのが強く変化して、
それぞれで独自の言語と分離したように思える。
もはやバベルの前には戻れない。
哲学を語る為だけに、論理記号による人工言語を用いれば、
確かに読み間違いなるものはなくなる。
哲学自体がとても簡潔な表現で描写出来るようになる。
だからと言って現在、分析哲学上で様々な主張が対立し、
何が正解か混沌として訳がわからなくなってる。
哲学は答えを求めるのが目的ではなかった。
問いが未解決のまま、異なる意見が併存する、
つまりそれが自然のありかた。