いつのまにか 何もかもが値上がりして


最初は愚痴をこぼしていたけど

次第に慣れてしまい 今では年金だけの細々とした生活 


まあ それでも私は趣味で 競艇をしているので稼ぐこともあるが 

もうかったとしてもそれをどこへ 使うことも、考えることもなく

ただ ときたま オークションで無駄遣いをしたりはするが

それ以外には孫に何かをプレゼント その程度である

値上げによる家計への影響

もしかすると 私は貧乏生活に慣れているのかもしれない 


お金に対する欲などはほとんどなく 

毎日貧相 であっても気にすることもなく 3度の 粗末な食事だけで満足している


これはもしかすると あの東北地方の米百俵の話がどこかであるのかもしれない


 人間は贅沢をすれば限りがない 

だけどその気がなかったなら

どれだけ底辺の生活をしていても一向に 気にならない 


だけど私は自分の生き方が底辺だとか貧困だとかそんなことは思ったことはない


例えば イワシ という魚は今でもかなり安い魚 

だけど私が一番好きな魚は イワシ であり その鰯を炊いた濃くなった炊き汁である


 よく昔から母に言われたが


 お前さん猫の餌まで取り上げなよ


そのように言われた 

なぜなら イワシを煮詰めてそのイワシをみんなが食べて鍋に残った炊き汁にご飯を入れてかき混ぜて 


それが私の世の中で一番好きな食べ物であった 

猫が臭いのせいで羨ましそうに 私を見つめている 

だから 母は猫の顔と私の目を見て半分笑いながらそう言ったのである 


若い時に荒いお金儲けをしていた時は

毎日当たり前のように 夕食は サーロインステーキを食べていた


随分バカな時代もあったものだ

だけどあの頃はそれで良かった

肩を張って歩きたかった


それでよかった


だけどそれでも

たまに実家に帰ってイワシを炊いてもらってその炊き 汁でご飯を食べるのが何よりも 懐かしかった


あの頃可愛がっていた猫も

野良犬に噛まれて死んでしまったから


それを思い出しながら

イワシの炊き汁ご飯を食べさせてもらった


今でも時たま イワシを

漁業組合から買い付けている


そして

あの時と同じようにイワシを炊いて

その炊き汁でご飯を食べている


亡くなった 母を 時たま 思い出し

私の喉仏の上で

丸くなって寝ていた飼い猫を思い出す


75歳にもなった 今


何か 時代が

大きな渦になって

通り過ぎていくように思えてくる


結局私の人生は

分厚い サーロインステーキ ではなく

イワシを炊いた

炊き 汁に混ぜられた ご飯


そんな生き方だったようだ


どこかに貧困であることに

誇りを持っていたのかもしれない


多分あの

米百俵のあの 精神を

悟っていたかのような人生だったかもしれない






 

 

 

 

 

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