最近の国内外のニュース(社会情勢)を見ていると「パンドラの箱」を思い出した。
漠然とした意味は知っていたがネットで調べてみた。
ごく一般的な説。
ギリシャ神話でゼウスがパンドラに贈った「災いの詰まった箱」が由来している。
●パンドラの箱とは、「触れてはいけない事柄に触れる、取り返しのつかないことをする」
という意味で重要な事柄に関係する場合に使われる。
そのほかにも
<関わると禍いをもたらすもの。
実行すると結果がどうなるか分からないもの、そんな意味で使われることが多い>
そしてパンドラの箱に最期に残ったものはエルピス≒希望で、希望が手元に残ったと
考えるのが一般的である。
(ウィキペディア他)
この21世紀の世、世界各国に「パンドラの箱」公にしてはいけない?ものが
余りにも多く転がっていないだろうか。
プーチンの連続暗殺疑惑+ウクライナ戦争、
あのトランプの数々の悪行、スキャンダル疑惑、
・・・・・・
それらは一般庶民には距離があり過ぎてただのハコに過ぎない。
情報過多の時代、全ての箱を開けることは不可能であるが
中を見る(真相究明する)のは国民の権利である。
だれがいつ開けるのかが問題だが。
それこそ開ける側は相手の死命を制することになるからして、
重大な決意が必要になり、開けた後の自分の身の安全の保障も必要である。
わが国の政治、経済面を眺めても決して開けられることのない「多くの箱」が転がっている。
わが国においては「命までは取られはしない」?だろうが、
やはりかなりの勇気が必要である。
自殺者まで出たモリカケ(森友学園+加計学園)疑惑、防衛省の日報改ざん問題、
厚労省の統計不正問題、桜を見る会の収支問題、
最近では政治資金の裏金問題・・・・。
経済界からは長年にわたる企業のデーター改ざん、インペイ工作。
これらは先年死去した元首相のアベ某一人が残したもの。
これだけの箱、さぞかし重かったろうに力持ちだったんだなあ・・・(笑)
この国にはこれらの「パンドラの箱」を開ける勇気ある官僚及び政治ヤは誰一人存在せず
得意の「知らぬ・記憶にない・忘れた・記録は破棄した」のオンパレードで
人のうわさも75日式にただただ逃げ回るのみ。
「中身が腐り」捨てられ、忘れ去られていきそうな状況が続いている。
箱の中に残ったのは「希望だけ」だったそうだが、
果たしてその希望すら残っていないのが現実で、庶民の力は本当に微力で
腹立たしい思いである。
「騙すなら死ぬまでだまして欲しかった」の言葉もあるが、
箱を開けないままの人生の終焉、人としてどちらが幸せなんだろうか。
Hero is coming.はJRAのCMだけなのだろうか。