橘咲 (ファン)のブログ

橘咲 (ファン)のブログ

原作のJINはあること自体知らなかったのですが・・・・
知人に借りたDVDのJINを見て、橘咲という人間像、生き方に感銘を受け、以来、はまってしまいました。
最終話のJINをみて、咲のその後を・・・・・。

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やはり、誰かに見てもらったというのが、ブログを更新するモチベ-ションになるのですね。
そもそも・・・と記載してから、3年近くもほったらかしにしていた(理由はあるのですが)ブログなので、更新することさえ忘れていました。
だいぶ、間が空きましたが、

続きを書くと・・・
このブログを書いたとき、”JIN”というドラマの原作があることさえわからなかったのですが、ドラマの終了後、単行本で原作が出ていることをしり、購入して原作のスト-リ-も読みました。
原作の方では、咲と南方仁は、思いが通じて結ばれて(結婚)いたのですね。
”JIN”というドラマにはまっていったのは、ドラマの終わり方があまりに切なくて、昭和の戦争末期、結果が分かっていながら、口にも出せず、志願して出てゆく特攻隊兵と、見送って生き別れた女性の無念さが重なったりして、とにかく「切ない」という思いを表現したくて、その後どういう人生を歩んだのかを勝手に想像して、書き止めようと思いました。
そして、なおかつ形に残るもの、そして、誰か共感できる人たちと語り合えれば・・・そんなことを考えていたいきさつから、ブログを始めるきっかけにもなりました。

間が空きすぎて、ドラマを見ていたときの高揚感は薄れましたが、書き込んでいるうちに、当時の思いがよみがえってきます。ドラマは、ビデオに録画してみていたのですが、5,6回は見なおして、そのたびに涙して見てました。

そして、その都度、こうゆう世界は現実にあって、”南方仁”はこの世に存在するのではないか?起こるべき人には起こる現象ではないかと、錯覚を起こしそうになったりもしてました。というか、自分が江戸時代にタイムスリップしたら、ああしよう、こうしようと、妄想していたような気がします。

つらいとき、人間は、究極、死んでつらさを解消する。という手法がとれますが、思いを口に出せない切なさとは、死ぬことさえできずに、一生心に刻みついて解消のしようがない、まさに”切ない”ということなのだと感じました。

ドラマの中で、咲は、南方仁とのかかわりを、一部記憶喪失し、おぼろげな記憶で、つづられていて、見ているこちら側としては、なんとなくほっとっしたりするのですが、空虚感というのか、ちょっと意味合いが違う気もしますが、とてもむなしい気持ちが残りました。自分がその世界に入り込んで、咲に、「ほんとは、こうこうこうなんだ」と事実を伝えたい、と思ったのは、私だけでしょうか。


橘咲の切ない(であろう)最終話以降の人生感を掲示したくて始めたブログなのに、いろんなサイト情報が、入ってきて、作り方が、支離滅裂になってしまった。

そもそも、このブログは、自分意外の人の目に触れて居るんでしょうか?

読者”0”ってことは、誰の目にも触れてないんだろう。ということは、自分のやろうとしてることは、ただのひとりごと・・・・・。