神谷氏が独裁で参政党を仕切っていると声高に叫ぶ人が居ます。国会議員の仕事に候補者選び、素人を相手に少人数で運営をする大変さから、本部から直接指示を落としている時期がありました。しかし、去年の途中からガラリと変わっています。


独裁と誤解された原因は、組織運営の周知がされなかった事や、トラブル時に神谷氏の名前を使わなければ解決が難しい事もあり「神谷が⚪︎⚪︎と言っている」と名前を貸していた事が一因のようです。



代表として、個々で口出ししなければならない案件はあると思いますが、選挙の事は選挙部長が責任者、支部の運営は地域統括部長が責任者、処罰があるときは法務部とその上に倫理委員会のような組織もあります。一時期は、事務局長代理を立て別の人に任せていたとも話されています。


また、最初から乗っ取りを警戒し人事権と予算権は神谷氏が持っていました。武田邦彦氏らが減税日本と参政党を一緒にしようと画策していましたが、はなから無理だったわけです。



以上の事から、神谷氏の判断が強く反映していたのは結党当初から組織が未熟だった時期が正解のようです。