私事になるが、1989年に、東京の池袋で日本語教師人生をスタートした。学生の大半は中国人の〝出稼ぎ〟だったが、本物の学生もいた。新米教師には、全てが新鮮で興味深かった。以来37年、ある者は日本に定住し、ある者は渡米し、ある者は帰国した。そして、中国は経済成長し、〝バブル崩壊〟で急落した。日本が輝いていた時代の、中国人学生の心境を、拙著で書いた。  

 

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 5月の連休が終わり、Aクラスの授業時間に、公太郎は添削した作文を学生たちに返却した。彼らの作文には、バイト先での体験や上司の人柄に関するものが多く、一様に、日本人の真面目な勤労態度や時間厳守への驚きが記されていた。

 

 ある女子学生は、「私の上司の坂上さん」と題した作文で、次のように書いていた。

「坂上さんは日本人です。坂上さんは、店長もホールも洗い場もできます。坂上さんは英語もよく話します。店に来るの人、外国人多いです。笑顔で、英語でメニュ紹介します。坂上さんの格言は、〝Work hard and make progress every day(よく働き、日々向上)〟です。中国の学校に〝好好学習,天天向上(よく学び、日々向上)〟の標語あります。しかし、皆さん、坂上さんより仕事しないです」

 

 また、ある男子学生は、「日本人の印象」と題して、本人の心境を吐露していた。

「60年代、中国と日本の経済、文化、教育の水準が同じでした。中国は第2次世界大戦を勝ちましたが、戦後の経済は失敗しました。私の心は悲しいです。本当に、本当に。日本人の謙虚な精神、仕事の情熱、異国の礼儀を身につけたいです」

 

         

 公太郎もまた、休み中、日本人の勤労の精神はどこから来たのだろうかと、本を読んで考えてみた。そして、発見したのが、石田梅岩の「石門心学」だった。梅岩は、倹約と正直を奨励し、仕事に励むことが人格形成になると説いた。この教えが江戸時代に全国の商人の間に広まり、日本人の勤労の精神の拠り所となった。         

 西洋の学者達も、この思想が日本の産業革命を成功に導いた原動力であり、欧米の「プロテスタンティズムの倫理」に匹敵する精神と捉えたようだ。

 

 さて、共産主義の〝毛沢東の子ら〟は、勤労の精神をどのように考えているのだろうと、興味津々の中で、公太郎は作文への解説を準備した。「唯物論」なら、勤労は単なる労働力であり、「精神」など不要なものと解釈するのではないか。

 だが、配付した「石門心学」のコピーを、学生たちは興味深く読んでいた。そして、日本文化への理解を新たにしたようだった。誰も反論する者はなく、むしろ、最後は、「ありがとうございました」という、返答が返ってきた。〝毛沢東の子ら〟にも「心学」が解るのだろうか、と彼は意外な気がした。

 

    (『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第3章ー5)

 

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