ナチスがポーランドに侵攻(1939)し、難を逃れたユダヤ難民達に、杉原領事代理はビザを発給した。だが、日・独間では、「三国同盟」締結(1940)の交渉が進んでいた。政府にとって、杉原の行為は〝迷惑千万〟だったろう。だが、行く先々で、難民達は、日本人達の支援を得た。ウラジオストックで、船中や敦賀で、そして、神戸で。拙著で以下のように書いた。  

 

         ●     ●     ● 

 

 1940年にカウナスで日本通過ビザを得たユダヤ難民達は、シベリア鉄道でウラジオストックまで来た。船で日本に入国する予定だった。だが、日本領事館には、〝杉原ビザ〟難民を乗船させないよう、外務省から訓令が届いていた。しかし、根井三郎総領事代理は、日本公館が発給したビザを無効にすれば、「国際的信頼を失う」として、全員を乗船させた。

 

 難民達は福井県の敦賀に着き、温かく迎えられ、鉄道で神戸へ向かった。神戸には約50世帯のユダヤ人コミュニティがあり、そこに数千人のユダヤ難民が押し寄せた。彼らは、ビザ期限の10日以内に出国しなければ、送還される運命にあった。「三国同盟」締結後のドイツは、ユダヤ難民虐殺を日本にも要求していたのだ。

         

 彼らを救ったのは、ヘブライ語学者の小辻節三だ。小辻は旧知の松岡外相を訪ね、秘策を得た。当時は、ビザ延長の権限は警察にあったのだ。小辻は神戸警察署の幹部を宴席に招き、難民達の長期滞在を可能にした。ユダヤ難民達は、日米開戦前に、米国やカナダ、そして、上海へ旅立つことができたのである。

 

 ユダヤ難民は、ドイツではホロコーストに遭ったが、日本では遭わなかった。彼らの中には、後の、イスラエル宗教大臣や米国財界の重鎮もいた。また、300名以上の神学生達もいた。 

     

   (『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第13章‐15)

 

 関連Youtube:

 ユダヤ人救済に貢献した日本人! 小辻節三(イスラエルLABO

 

 【歴史】“命のビザ”を繋いだもうひとつの物語【JTB公式 official

 

 杉原サバイバー レオ・メラメドのメッセージ