娘が旅立った4月が過ぎ、

気付けば5月、GW最終日となりました。

 

一周忌がやって来るのが怖かった3月。

娘との最後の思い出と向き合った4月。

自分でもコントロール出来ない感情に振り回されていたのか、一周忌を過ぎた今、何に対しても無気力になっています。

 

娘が居なくなって、

自分が生きていく想像すら出来なくなり、それでも一周忌までは一周忌までは、と念じるように生きてきました。

一周忌が来たら楽になれるとか、

ましてや娘が帰ってくるとか、

何かを期待していたわけではありません。

でも漠然と、目の前の生きる目標になっていたのだと思います。

 

一年経ったら…

一年頑張ったら…

一年我慢したら…

一年耐えたら…

 

娘が居なくなる前の今までの人生は、

頑張った分だけ、我慢した分だけ何らかの結果が待っていてくれました。

"実を結ぶ"ということがありました。

でもこの一年、頑張っても我慢しても耐えても娘は居ないまま…

虚無感でいっぱいになりました。

 

そんな気持ちのなか迎えたGW最終日の今日は、頭痛と嘔吐で寝込んでいます。

寝込むのは娘が居なくなってから初めてです。

一周忌まではと自分を奮い立たせ、娘との最後の思い出や娘を苦しめてしまった自責と対峙した3月4月を終えて、気が緩んだのかもしれません。

 

もともと酷い偏頭痛持ちで、娘が小さい頃から横になることが多かった私。

そんな私に、小学生だった娘が初めてお粥を作ってくれたことを思い出しました。

不器用だった娘が一生懸命作ってくれたお粥。頼んでいないのに、ちゃんと梅干しもつけてくれて。心配そうに私を覗き込むその顔もまた可愛くて。

 

娘はいつだってそうやってお母さんを助けてくれたのに、母である私は最後娘の手を離してしまった助けられなかった…

 

せっかく娘との温かい出来事を思い出しても、自責もセットで思い出して一気に悲しくなります。

きっとこれから何年経っても、そうやってセットで思い出してしまうのは変わらないのでしょうね…

 

娘と別れてまだ一年経ったばかりの私には、

穏やかな日々を過ごすことも、楽しく心から笑える日々を過ごすことも想像できません。

一周忌を終えた今、次は三回忌まではと思って、一分一秒を積み重ねて時間を進めていくしかないと思っています。

 

そしていつか娘に会って、ごめんねとありがとうが言えるときまで、頑張って我慢して耐えて行こうと思います。

それが今の娘を守れることだと信じて。

娘と会えたときが実を結んだときになると信じて。