みんな元気ですかドキドキ


謎の古代王国エラム・・・グッド!


 

スサノオのルーツを探る旅を続けます。


少し過去記事より。


ペルシャ湾に沿ってイラン側に古王国エラムがありました。



(ウィキペディアより)

イッピーの独り言  

(古代エラム王国)


 

エラムの人々は自らをハルタミと呼んでいました。

 

漢字で書けば「玻流の民」つまり、遥かに長い

 

道のりを超えて来た流浪の民と解釈することが出来ます。

 

確証はありません。

 

もう一つ別の意味に解釈する事が出来ます。

 

ハルの民とは「バール神」に使える民という意味

 

だったのかもしれません。

 

古代やまと言葉には濁音がありませんでした。

 

きれいな音を持つ言葉でした。

 

いずれにしてもこの「タミ」が「民」を表していた事は

 

間違いないのです。

 

日本語の匂いが強くします。

 

そしてこのエラム古王国の首都がスーサと言います。

 

古代ペルシャの憲法である有名なハンムラビ法典も

 

このスーサから発掘されており、いまではパリの

 

ルーブル美術館に保管されています。

 

余談ですが・・・

 

アメリカの憲法はこのハンムラビ法典を元にして

 

作られているとされています。

 

現在アメリカには「リパブリック」という潮流があります。

 

憲法を「イルミナティー」の支配の解釈から見直し、

 

イルミナティーを排除し、原点回帰しようという動きです。

 

反フリーメイソンの潮流です。

 

この運動の主催者は既にオランダのハーグの

 

国際司法裁判所にアメリカの新たな憲法草案を

 

提出したとされています。

 

ハンムラビ法典はこの原点回帰した憲法の

 

もとになっているとされます。

 

以前ご紹介したように、もしこのエラム王国が

 

古代レムリア・やまと文明の「民」が作ったものであれば、

 

アトランティスとレムリアの戦いのカルマが日米の大戦に

 

つながり、さらに古代レムリア・大和文明が作った憲法が

 

アメリカの原点になりました。

 

さらにはそのアメリカが日本の戦後憲法を作り、

 

その憲法は一度も改変されることなく、今なお

 

続いていることに不思議な歴史の、より紐のような

 

縁を感じるのです。

 

話を戻します。

 

スーサは考古学上で分かっているだけでも、

 

数千年のあいだこのエラムの首都でした。

 

おそらくは1万2前年前の大洪水の後より続いているとすれば

 

実際には、それよりはるかに長い間続いた

 

みやこだったかもしれません。

 

エラムのアクロポリスには紀元前5000年に作られた

 

宮殿も発見されていると言います。

 

(参照ウィキペディア→スーサ )


 

(ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(スーサで発見されたスフィンクス/ルーブル美術館蔵)



さらには・・・

 

古代ペルシャには「王の道」と呼ばれる整備された

 

幹線道路がありました。

 

(参照ウィキペディア→王の道 )

 

全長約2700キロの大路です。

 

日本の北から南の全体よりも長い距離です。

 

この道のりを伝令が7日間で走破したと言います。

 

ちなみに江戸時代薩摩から江戸までの参勤交代は

 

歩き詰めで50日ほど要したと言います。

 

驚異的なスピードです。

 

この王の道の南の終点はエラムの都スーサでした。

 

北はシルクロードの西の終点につながり、

 

その終点からさらに西に行けばエジプトです。

 

古代やまとびとがこの道を通って来た可能性があります。


 

続きはまたね・・・グッド!

 

 

(砂漠の旅にはバンダナと毛布を・・・グッド!