みんな元気ですかドキドキ

 

続きだよ・・・グッド!

 

長く続いた家系をもつ家柄は日本にはいくつもありますが

 

これをジョークのネタにしたこんなお話があります。

 

「当家には、昔はもっと良い宝物があったんですが

 

戦争でかなり焼けてしまったんですよ。

 

いやいや太平洋戦争の時ではなく応仁の乱

 

の時ですがね」・・・

 

これは1993年8月に日本の第79代首相になり7カ月で

 

退陣した細川 護熙(ほそかわ もりひろ)氏の

 

父親が言ったとされる細川家のジョークです。

 

ちなみに細川家は家系図をたどれば数年前の

 

NHK大河ドラマで有名になった「お江(おごう)」の

 

血筋を引いています。

 

お江は徳川家3代将軍家光の母親です。

 

細川内閣は1994年4月8日に退陣します。

 

実はこれをさかのぼるほんの一週間前に

 

日本でフリーメイソンの大会議が開かれました。

 

200名以上の大物が日本に集結しました。

 

ほとんどのメンバーが自家用ジェットでやってきました。

 

ロックフェラー家の当主もいたと言われています。

 

”言われています”と言うのははっきり

 

わからないからではありません。

 

そのことは関係者にはよく知られているのです。

 

しかし当日は完全な緘口令(かんこうれい)が敷かれました。

 

誰も報道することを許されなかったのです。

 

アメリカのメディアは彼らの勢力が支配しています。

 

その日は日本の主要な新聞社もこれは何事かと

 

会議が開かれた都内の某名門ホテルに取材をかけました。

 

しかしマスコミ各社には「これを一切報道してはならない」

 

という命令が出たのです。

 

日本の報道各社も彼らの意向に逆らうことは

 

できなかったのです。

 

余談ですが・・・

 

国をまたがる政治的なニュースに関しての日本の報道が

 

外国の独立系のそれといつも大分違う微妙な

 

ニュアンスがある・・・あるいはない理由もわかる気がします。

 

話をもとにもどします・・・。

 

彼らの会議から1週間後に細川内閣は

 

よくわからない理由で退陣しました。

 

関係者のあいだではあの勢力の意向が

 

働いていたといわれています。

 

細川内閣は何をしたのでしょうか。

 

実はその後の日本の政治を大きく変えるかも

 

しれない事をやりました。

 

政治制度の改革です。

 

今まで自民党が変わることなく手もつけなかった

 

選挙制度を改革してしまったのでした。

 

なぜそれが出来たのでしょうか。

 

細川内閣は自民党を除いた複数の野党からなる

 

不安定な連立内閣でした。

 

それでも支持率は時を経ても下がりませんでした。

 

細川内閣がこのまま続き自民党が再浮上出来なく

 

なると極めてあの勢力にとって都合が悪くなるのです。

 

これが日本にとってよいのか悪いのかは時が

 

経ってはじめてわかることです。

 

しかしあの勢力にとっては明らかにそのことが

 

都合が悪かったのです。

 

日本の政治に対して自分たちの意向が反映しにくくなるのです。

 

日本の政治が彼らの意向を忠実に反映せざるを

 

得なくなった事例は実は他にもいくつかあるのです。

 

続きはまたね・・・グッド!

 

 

イッピーの独り言

 

(立ち上がる時を待つボク・・・’待て’してるんじゃないから汗