福島県双葉町では3月下旬に行われる聖火リレーに向けて、沿道の整備が続いている。
だが地元の人々は、うわべだけ飾り立てても復興には程遠いと話す。
双葉町に立地する福島第1原発では依然廃炉作業が続いている。
大沼勇治さんは原発事故で避難した。大沼さんは、町が政府による「偽りの復興PR」に利用されていると感じている。
「五輪のためだけに避難指示を解除したり、道がボロボロのところを整備しているだけ。
町民目線では全然復興していない、言葉だけの復興だ。
逆に沿岸部の方は(除染廃棄物の入った)フレコンバッグや、家屋を解体したごみが積まれているので、逆じゃないかな、と。
そんなところに避難指示解除して帰還させようとするのがちょっと疑問です。」
新型コロナウイルスの感染が世界に拡大し、東京五輪の開催を危ぶむ声も出ている。日本政府は、大会に影響はないという立場を崩していない。
だが大沼さんにとって問題は、長引く放射能汚染だ。
「枝道に入ると、昨日も来たんですけれど(毎時)15マイクロシーベルト以上あったので、その復興している、見せかけの部分はそうですけれど、実際はまだ全然9年近く時が止まったままの場所が多いので、『偽りの復興PR』だと思います。」
聖火ランナーは双葉町の整備されたコースを走り、うずたかく積み上げられたがれきのそばを通ることはないだろう。
建物は崩れ落ち、7000人を超える町民たちは急いで避難せざる得なかった。
安倍首相は事態は制御下にあると繰り返し、この大会を「復興五輪」にすると述べた。
だがその五輪が、地域の復興の妨げになっていると憤る住民もいる。
五輪施設や競技場建設のために人材が奪われ、復興事業に遅れが出ているのだ。
<転載終わり>
東京オリンピックにかけた金額をそっくりそのまま被災地の復興に使えば良かったのではないでしょうか。
東京五輪は最初から頓挫してばかりいました。
そして、ついには新型コロナウイルスが世界中に蔓延して五輪の開催が危ぶまれています。
日本が大丈夫でも、他の国も五輪どころではなくなっているのです。
「東京五輪の開催は間違っている」と何度も何度もお知らせが来ていたんだと思わずにはいられません。
都会の電氣のために福島が犠牲になったのに、復興と綺麗事を言い、結局また福島を利用しようとしているのですから。
9年後の「ニコニコ発言・ミスター100mSv」の山下俊一氏
今さらながらの釈明とお詫び
「言葉足らずが誤解を招いたのであれば謝る」。
9年後の〝釈明〟に法廷がどよめいた─。
「子ども脱被ばく裁判」の第26回口頭弁論が3月4日午後、福島市の福島地裁203号法廷で開かれた。
福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」として福島県内各地で「安全安心講演会」を行った山下俊一氏が出廷。
当時の発言の誤りを一部認め、「誤解を招いたのであれば申し訳ない」などと述べた。
多くの人が信じた〝世界的権威〟の9年後の釈明。
パニックを鎮めるために説明を省いていた事も分かり、原告たちからは改めて怒りの声があがった。
原発事故から丸9年。
福島県立医大が「チェルノブイリ原発事故の被ばく研究において世界的第一人者」と絶賛する男が法廷の真ん中に座っていた。
あの時、福島県内を隈なく巡り、子や孫の被曝を心配する人々に向かって「安全」「安心」を説いた〝専門家〟は、当時の講演がいかにいい加減な表現だったかを今さらながら一部認め、しかし一方では、自身の正当性を明確に主張した。
あの日、この男の言葉を信じて疑わなかった人々にこそ、聴いて欲しかった9年後の「言い訳」。
約3時間に及んだ尋問は、とてもニコニコと受け入れられるようなものでは無かった。
「ニコニコ」。これは山下氏の代名詞と言っても良い。
2011年3月21日に福島県福島市で開かれた講演会で、こう語ったのだ。
「放射線の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません。クヨクヨしている人に来ます。これは明確な動物実験で分かっています」
この発言の趣旨について、主尋問で福島県の代理人弁護士から問われた山下氏は「非常に緊張や不安、怒りが蔓延した中でのお話でした」と振り返り、聴衆の緊張をやわらげる意図があったと語った。
あれは〝ユーモア〟だったと言うのか。
原告代理人の井戸謙一弁護士が反対尋問で改めて質すと、山下氏は「緊張を解くという意図だった」と答えた。
井戸弁護士は、「聴いていた人たちは当時、放射能について真剣に心配していたのだから、こういう発言をすれば『自分たちはクヨクヨに属するのか』『自分たちには放射能の影響が来るのか』と脅迫、愚弄されたと受け止められるとは考えなかったのか」と井戸弁護士が重ねて質問した。
山下氏は「不快な想いをさせた方には誠に申し訳ない」と詫びた。
山下氏は法廷で「誤解を招いたのであれば」、「そう思わせたのであれば」という趣旨の発言を繰り返した。まるで政治家の下手な言い訳のようだった。
「100mSv以下の発がんリスクは証明されていないのであればリスクを否定出来ないのだから、被曝は出来る限り避けた方が良いのではないか」という井戸弁護士の問いには、山下氏も「はい。そう思います」と明確に答えた。
しかし実際には当時、福島市での講演で子どもの外遊びを奨励し、「マスクはやめましょう」とまで発言している。
井戸弁護士は「故意に被曝させる意図だったのか」と質したが「そういう意図は全く無い。子どもを部屋に閉じ込めて制限する事に対して外に出ても大丈夫だという話をした。過剰に被曝させる事は良くないが、リスクとベネフィットのバランスを考えた」と答えた。
略
山下氏の発言を聴こうと、福島県内外から多くの人が駆け付けた。山下氏が今さら当時の誤りを認めても、当時の行動は変えられない。あの時なぜ、被曝リスクをきちんと話してくれなかったのか。改めて怒りの声があがった。
国の指定代理人が追加尋問でフォローすると、山下氏は「放射能に対する強い不安を出来るだけ早く払しょくする事がきわめて重要だと考えていた。
(講演会の聴衆は)パニックに近い、きわめて不安定な状態だった。また、スライドなどを準備する時間が無かった」と改めて釈明。そして、再びこう語った。
「今日指摘されて分かったが、私の言葉足らず、舌足らずが大きな誤解を招いた事は本当に申し訳ない」
一方で、最後にこんな言葉も発している。
「長崎の原爆被爆者、チェルノブイリ事故の被災者に接した経験を福島に活かすというのは運命的だと感じた。福島県民に一番伝えたかった事は『覆水盆に返らず』という事だった」
つまり、起きてしまった原発事故についていつまでも不安や不満を口にするな、という事だったのだろうか。
それとも、取り返しのつかない大事故だと認識していて嘘をついていたのか。
閉廷後の報告集会で、原告の男性は「講演会に行った人は、いかに危険を避けるかという話を聴きに行ったはず。ところが彼は、危険は無いという話をした。
最初からかみ合っていなかった。
聴いた人の多くは『取り越し苦労だった』と安心して帰宅していた。
その意味で山下氏の講演は本当に影響があった。
彼は科学者では無く、安全を語りに来ていたというのが改めて分かった。あれを信じた人は立つ瀬が無いと思う。
私たちは、彼にどうけじめをつけさせるかという事を考えなければいけない」と振り返った。
女性原告は「怒りしか無い」と涙をにじませた。
「法廷で山下氏の顔を見たら、腹立たしくて腹立たしくて…。私の母も『ニコニコ発言』を信じていた。最後に『覆水盆に返らず』と言っていたが、本当に悔しい。
避難したくても出来ない人、避難先で苦労している人がいるという事を改めて胸に刻んだ。この裁判に負けたくない」。
<抜粋終わり>