その小さな殺意を受けたマウロは、意外そうに眼を見開く。



「銀猫が他者を庇う……。いえいえ、私はなにも、貴女に危害を加えるつもりはありません。勿論、そちらの子にも」

「ではなぜ、私を訪ねて来たのです。それも変態的手法を使って」

「久しぶりに同胞の気配においを感じたもので、顔を見ておこうと思いましてねえ。貴女はこちらにきて何年ほどですか?」

「……」



 ゼラは無言で右手の親指を曲げ、四本指を突き出す。



「四年ですか、ほうほう、それはそれは。ちなみに私は五十年とちょっとです」

「結局オジサンはなんなのですか。なんの人なのですか」

「私は炎狗えんくですよ。不慮の事故でこっちに来てから色々ありました」

「やけにきらきらした格好ですが、お金持ちなのですか」

「縁えにしに恵まれましてねえ。最初はこの国で奴隷同然の扱いだったのですが、助けてくれた女性がいたのですよ。貴女もそうですか?」

「…………」



 ゼラは表情のない顔を、天井に向ける。



「……まあ。ウイングとウェンディには、これでも結構感謝しています。ついでに、あの顔が良いだけの男にも」

「そうですかそうですか。居場所が出来た様で、良かったですねえ」

「居場所……オジサンは、あっち・・・に帰りたいと思わないのですか」

「こっちでの暮らしも長くなりましたしねえ。ですが、それももうすぐ終わります」

「終わり……帰る手段があるのですか」

「ありますねえ。ただし一度きりの手段ですが」



 それを聞いたゼラは再び、ビクリと身体を震わせ、マウロの顔を見た。



「これは転移の魔法石」



 マウロは懐から、拳大の石を取り出して見せる。琥珀色をした、土の紋章が刻印された魔晶だった。



「こっちにある魔法というものは大変高性能ですが、離れた場所と場所を繋げる、転移の術は無い。ですので、これはそれを模した魔法を込めた魔晶と言いますか⋯⋯」

「帰れるのですか、邑むらに」

「ええ、ええ。知り合いの高名な魔法師に頼んで造ってもらいました。貴女一人程度でしたら共に運べますが、いかがします?」

「私は――」



 ゼラはその魔晶に手を伸ばし掛け、



「え、あ……えあ・・……?」



 不安に満ちたパティの声に、手を止めた。



「パティ子……言葉が……?」

「ん、んん……えあ!」

「――私はゼラです。えあ・・ではありません」



 ゼラは踵を返し、ベッドの上のパティに抱き着く。



「んー!」



 パティは嬉しそうに身を捩らせ、ゼラの頬に頬ずりした。



「⋯⋯オジサン、私はまだこっちに残ります。友達を見捨ててはおけませんので……あ、この台詞かっこいいですね」



 マウロは残念がる様子もなく、笑顔で頷いた。



「それもまたよいでしょう。ちなみに、これは興味本位でお聞きするのですが、貴女がその少女に入れ込む理由はなんですか? 銀猫族は他者を信じず、利用する事を憚らない恥知らずの一族と聞いていたものでして」

「パティ子はよく笑い、よく泣きます」

「……? そうですか、よく分かりませんが、分かりました」

「質問を返しますが、オジサンはなぜ、わざわざ私を誘ったのですか」



 その問いにマウロは、懐かしむように目を細める。

 やがて閉じられた瞳から一筋の涙が流れ、頬を伝った。



「いきなり泣かないで下さい。気色が悪いです」

「これは失敬。いえね、私も、すぐにでも発つつもりだったのですよ。ですが、義理を果たさねばならなかったのです。今日、ようやく義理を果たしたので、出発の目途が立ったのです。そこに、懐かしい同胞の気配がしたものですから、せっかくだからとお誘いした次第です」

「ギリ……よく分かりませんが、分かりました。お元気で、オジサン」

「ええ、貴女も……!?」



 細められたマウロの瞳が、急激に見開かれる。

 部屋に入り、窓を開け、顔を外に突き出し、せわしなく鼻を動かす。

 その様子を見たゼラは、ぽかんと口を開けた。



「なんですかオジサン。パティ子が怖がるので奇行は止めてください」

「……同胞の臭いがする」

「は……またですか。意外とこっちに来ているヒトは多いんですか」

「……いや、これは違う! 同胞などでは無い! ……アーリア様!」



 マウロは窓を閉め、部屋から出て行こうとする。

 ゼラはその袖を引き、引き留めた。



「なにが来たと言うのです。一人で勝手に盛り上がって出て行かないでください。それに、アーリがどうしたと言うのです」

「……血の臭い。それに、幻狼げんろう族、と言えば理解していただけますか?」

「――――!」

「気配においは南へ向かっています。恐らく、アーリア様のいる遺跡へ……クソっ、どうして奴らが……!」



 マウロはゼラの手を振りほどき、早足で部屋から出て行った。

 取り残されたゼラは、表情こそ変わらなかったが、その顔からは血の気が引いていた。



「幻狼……逃げなくては」

「んー、むー?」

「パティ子、逃げましょう。幻狼族はとても危険な連中なのです。ここにいたらどうなるかわかりません。私は団のみんなを集めて……あつ……めて……」



 ――『アーリア様のいる遺跡へ』。マウロが言い残したその言葉が、ゼラの動きを止めた。

 遺跡には、今頃ウイングとシャーフが向かっており、幻狼族と鉢合う可能性は高い。



「いや、死にますねこれは。間違いないです。今から向かったところで手遅れです」

「んー、むー?」



 ゼラの額から汗が流れ落ち、肩に落ちた瞬間、宿屋の店員が開きっぱなしの扉から顔を覗かせた。



「お客さーん? いまマウロ様がとんでもない形相で出て行ったけど、なにかありましたかー?」



 店員は怪訝な表情で言った。

 ゼラの目が店員に移り、部屋内を見渡し、手に握ったウイングの財布を見て、最後にパティの顔に向かった。



「⋯⋯パティ子は私が守ります」



 ゼラは、もう一度パティを抱きしめ、そして、店員に向かって言った。



「――宿を引き払います。外に停めてある団のマナカーゴに、荷物を運んでください」

「はあ⋯⋯? お連れの方は?」

「⋯⋯もう、帰ってきません」

 



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